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難しいから、挑みたい。

抽象的なタイトルで始まりましたが、今回はなぜ私が「自然体で生きよう。」という理念を掲げることにしたのか。個人的な想いを語りたいと思います。(以前、社会的な背景については別の記事で語りました。興味があれば、こちらからどうぞ)

私は「人間が自然体な状態でいること、ありのままでいることはとても難しい」ということを自覚しています。それは、今から20年近く前の話ですが、身近な人が心の病を発症し、その病が原因でその人自身が「自分の本心」を見失ってしまう、そんな姿を見たことがあるからです。

心の病のトリガーは結局のところわかりませんが、「仕事」だったのではないかと推測しています。そのときから「仕事」が心を蝕む存在になり得る、どうにかしなければ同じように苦しむ人が生じてしまう、と危機感を抱くようになりました。

ひとつの仮説が浮かびました。みんな、プライベートと仕事を分けたがるけど、それは自然なことなんだろうか?仕事もプライベートも区切りなく、常に「あるがままの自分」でいられたら、苦しむ必要はなかったのでは?という仮説です。

もう少し詳しく話すと、「ワークタイム」という制約を作ろうとすればするほど、プレッシャーや不安が生じるのだと考えたのです。

私はグレーな世の中の方が気持ちいいことが多いと思っているんです。世の中の事象は、白黒はっきりつけられるほど単純なものばかりじゃない。仕事とプライベートも同じです。はっきりと切り分けることの方が不自然で、切り分けようとするから「歪み」が生じてしまう。白か黒かの単純な型に自分を当てはめようとして、「無理をする自分」が生じてしまう。そんな風に考えるようになりました。

じゃあ私に何ができるのか。それは、「ワークタイム」という制約をつくらない。プレッシャーや不安を感じさせる役職をつくらない。仕事とプライベートの両立を自分でコントロールできる。そんな環境をつくること。

結果、行き着いたのが、フラット組織であり、「自然体で、生きよう。」という理念だったのです。

親とか、兄弟とか、パートナーとか、子どもとか。どれだけ身近な存在であっても、自分以外の人間の考えや心の状況を理解するのはとても難しいことです。ましてや働く仲間といった関係になれば、なおさら難しい。だったら、それぞれが、それぞれで、あるがままの自分らしく生きられる環境を整えるしかないんです。それがどういう組織なのかいまだ正解はなく、一つひとつの施策を試す日々ですが。

ありのままで生きること、自然体な状態でいること。これは簡単に達成できることではありません。とても難しいことです。でも、その難しさをよく理解しているからこそ、あえて挑んでみたい。挑んだ先に、無理のない心おだやかな人生が待っていると思うから。歪みや苦しみから解放できると思うから。

あなたもこの難題に、無理なく、でも、”一生懸命に”、挑みませんか。


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