「均質な社会」が生まれる仕組み(デジファシ構想2)
デジタルファシリテーション構想を連載しています。
第2回の今回は、そもそも、なぜ、今、デジタルファシリテーション構想を打ち上げようとしているのかについて書いていこうと思います。
工業化社会のパラダイム
現在の私たちが直面している課題の1つは、「多様性とどのように扱うのか」ということだと思います。
この課題が、今、現れてきているということは、裏を返せば、「少し前までは、均質だった」ということです。
社会の構成員が均質であることを前提として、組織のマネジメントが開発され、商品の販売の仕方が開発されてきたのです。
それが、近年になって、インターネットの登場などの影響で、情報を得るチャンネルが多様化したこともあり、社会の構成員の考え方が多様化してきて、かつてはうまくいっていた組織のマネジメントのやり方が破たんしてきたり、かつてはよく売れていた販売戦略が成立しなくなったりしてきていることを「課題」だと言っているのですが、それは、一体どういうことなのでしょうか?
そもそも、なぜ、少し前までは、「均質」だったのでしょうか?
本来は、それなりに多様性を持つ人間を、均質化してきたのが工業化社会のパラダイムです。
コミュニケーションの技術が発達していない段階で、大規模な組織を作る唯一の方法が中央集権的なやり方です。
そのためには、中央で決めた指令が、正確に周辺まで伝わる必要があります。組織を構成する人たちが、「同じ入力に対して同じ出力をする」必要があるのです。
そこで、考えられたのが、人々の思考を画一化する「思考の規格化」です。
たとえば、いろんな町工場がネジを好きなように作っていたら、お互いにネジとネジ穴が合わないので不便です。そこで、統一規格を決めて標準化するわけですが、それと同じことを人間に施したのが工業化社会のパラダイムです。
思考の規格化を実現した工業化社会の教育システム
では、どのようにして「思考の規格化」をしてきたのか、ということですが、大きな役割を果たしているのが教育です。
未来学者のアルビン・トフラーが、『第三の波』の中で産業化教育の3つの隠れた徳目(ヒドゥンカリキュラム)について、次のように述べています。
1)時間厳守
2)服従
3)単調な作業に耐える
子どもに、画一化した知識をインプットし、決められた行動をするように強制し続けるような教育のことを、私は、「フォアグラ型教育」と呼んでいます。
抑圧的な環境の中で、超自我として抑圧者の考え方を内面に取り込んでしまうと、子どもは、自分で自分を監視するようになり、そこから外れると罪悪感を感じるようになります。また、そこから外れている他人に対して否定的な感情が湧くようになり、同調圧力が働きやすくなります。
このようにして、「同じ入力に対して同じ出力を返してくる均質な大衆」というものが作られていきます。
それを図式化すると次のようになります。
ヒエラルキー組織の自己組織化
工業化社会の教育システムによって人間が均質化すると、温度が下がると水分子が雪の結晶を作るように、ヒエラルキー組織が自然発生します。
このようにして生まれる大規模なヒエラルキー組織が、『ティール組織』に登場する「アンバー型組織」です。
繰り返しますが、これは、コミュニケーション技術が発展していなかった時代に、大規模組織を作る唯一の方法だったのです。
国家は、この方法を用いて、中央集権型の構造を作り、人々を統治してきたのです。
しかし、インターネットの登場により、多対多の双方向コミュニケーションが可能になってきました。これを可能とする技術は発展していく一方です。
社会はコミュニケーションによって構築されていますので、コミュニケーションの在り方が変わると社会構造が一気に変わります。個体の氷が、液体の水に変わるような相転移が起こります。
そのときに必要となってくるのが、デジタルファシリテーションなのです。
その3はこちら
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