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ぜんぶ春のせい

いつものようにちゃんとした内容はないが、気分が落ち込んでいるときでも文章を書いたら少しは気持ちが晴れるだろうと思い書いてみる。

春だというのに気分が晴れない。今日は一日中部屋の中にいて本を読んだり、少し仕事をしたり、検索して出てきたnoteを読んだりしていた。こうして書くと何かしらしてはいたけど、気分が曇っている。気温の変化や忙しさによる疲れだろうか。

具体的にいうと、仕事に向き合うのが億劫。ちょっとしたやりとりでも、うっと思うことがあると自己肯定感が下がっている。そして、余計に疲労感を感じている。今日は料理をするのも面倒くさくなって、3食すべてコンビニのごはんで終わらせた。

先月のマラソンが終わってから脚のダメージが残り、左脚が張っていい感覚で走れない。右足の指の付け根も痛くて、普段は2日くらいで痛みが引くのだが、今回は約1ヶ月そのまま。骨折してるような感じではないので静観しているが、痛みが気になって走る距離も伸ばせない。走り方もギクシャクしてて違和感がある。

マッチングアプリで知り合った子と2月に良い雰囲気になったと思っていたら、3月に入り相手がそっけなくなり、結局あれは付き合ったと言えるのか分からない状態に。とても思い入れがあったわけではなく、いい雰囲気だなという程度だったのでぷつんと関係が切れたことにはダメージがないと思っていた。しかし、なんとなく動くのがしんどい時期に重なったこともあり、じわじわ黒い感情が滲み出てる。後輩には「こはたさんが恋愛で苦戦する理由が謎」と言われ、自分もその理由を知りたい。いつになったらまともに恋愛を楽しめるのか。

こんなに気分も落とす必要はどこにもなくて、たとえ恋愛がなくてもそれなりに楽しい毎日は送れる。けれど、条件反射のように恋愛することを求めてしまう。なぜだろう。好きな人がいることのときめき、分かりあいたい、安心したいが大きな要素。精神的に強くはないゆえ、恋愛を求めてしまう。なぜ恋愛したいのかという理由を少し忘れていたが、精神的支えが欲しいという気持ちの末恋愛にたどり着いている。ここ2年の経験を経て恋愛的に成就しなくても、今はタイミングじゃないんだなと思える大人さは備えるくらいになった。それでもやはり、自分が好きな人にそばにいてほしいと願望は持つし、安心感が欲しいと思う。できるだけ近い将来であって欲しいが、どうなるか、それは分からない。

それから、先日起きた地震のことで、やはりいろんなことを考えてしまった。地震が起きてすぐに宮城の実家にいる母親へ電話をかけたが出なくて動揺した。その10分後に電話が返ってきて一安心した。次の日、自分の住んでる首都圏は通常通りに世の中が動いていて当たり前の話なのだけど、全く違う世界にいるんだなーと突きつけられた。先日の3月11日も東北出身の子たちや復興支援系の活動で出会った子たち以外とは東北の話が出なくて、自分にとっては大きかった出来事が世の中ではどんどん消えていこうとしてるのだと思うと悲しかった。理論と感情は切り分けていて、出来事を知らない人や忘れていく人が経年によって増えるのは当然のことだと僕も思う。一方で、自分が思っているよりも、自分の経験したことが身の周りで小さかったと突きつけられることは感情的に受け入れ難い。

いろんな出来事が複合的に起きて、自分の感情に沈澱していって濁りを作っている。一昨年の体調を崩した直後や昨年の鶴見に住んでいた時のようになるのがちょっと怖い。抜け出せなくなるのでは?と不安になるから。自分はもともとメンタルが強いタイプではないので、打たれ弱いし、常時元気でいることはたぶんむり。1年間のなかでも周期があって、今はダウナーな時期にいるのだと思う。ぜんぶ春のせい。たぶん。

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