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取材の場が好きだと思い出した話

生きていると、ごくたまに今日出会ったことは大切に記憶のなかにしまっておきたいと思う素敵なできごとがある。

先週金曜日、自分が遭遇したのはまさにそんなできごとだった。

箱根駅伝に出場するとある大学の選手を取材に、彼らが登壇するイベントへ伺ったときのこと。当然、報道陣の注目は取材対象である選手たちであったが、その傍で司会を務める方に目を奪われた。というのも、その人は元・仙台の放送局でアナウンサーをされていた方だった。

中学生の頃、その方が出演しているラジオをよく聴いていたし、プロ野球の実況でもよくその方の名前を目にしていた。自分自身がメディアで働きたいと思うようになったのはその頃。アナウンサーに憧れて、報道やスポーツを伝える仕事に関わりたいと思った。

それから約15年の時を経て、自分も20代後半の大人になり、仕事の現場でその方をお目にかかれるとは……。人生は本当に何があるかわからない。

選手への囲み取材の際、報道で横に並んでいるのは名前を聞いたことのあるマスコミばかりだった。テレビ、新聞。中学生の当時、アナウンサーや記者として、ぼんやりとではあるが報道もしくはスポーツに関する取材をしたいと思っていた。ラジオを聴いて、いつかこの先の人たちと仕事がしたい。

アナウンサーやマスコミの記者にはなれなかったが、紆余曲折を経てWebメディアのディレクターになり、スポーツ取材の現場で同じ場に立てた喜びは大きかった。

思えば、中学生当時から人へ話を聞きに行くこと、取材が好きだった。はじめから明確に思っていたわけではなかったが、中学2年生のときに国語の先生にマスコミで働きたいという想いを話すと「木幡はジャーナリストに向いているから」と言って、自分たちで新聞を作ってみることを提案された。

学校の公式ではない、生徒数名がつくる新聞として自分が編集長となって、1年間限定ではあったが何号か発行した。振り返ってみると、あのとき記事の切り口、取材の方法、記事を作っていく方法を先生から学んだ気がする。そう思うと、あの先生のおかげでその後の自分が形作られた。

高校生のときは偶然ではあったが、東北の被災地・石巻から高校生が情報を発信するWebメディアを立ち上げて1年間、地元の人へ取材をしたり、出会いを通じていろいろな人の話を聞いた。

大学生になってからは暗中模索したが、やはり人の想いや姿を文章にして届けるという行為が一番エネルギーが乗る瞬間だったと思う。今ではなくなってしまった記事も多いが、学生団体を主宰する同世代、陸上競技に打ち込む子、地域の手仕事を守る方、いくつか記事を書いた。

社会人になってからはRuntripに動画メディア(Runtrip Channel)とWebメディア(Runtrip Magazine)があり動画を中心にディレクターを務めてきたが、この秋からWebメディアを主に担当している。

その後、少しずつ自分のやりたかった記事作りが形になってきている。ランニングアパレルのものづくりに関わる方々を取材して、そこに隠された製作の過程やストーリーを文章で紡ぐ。

先日は奈良にも取材へ行った。

人の想いが語られる瞬間、自分の知らない世界を見せてもらえる光景、そんな新鮮さを目の当たりにできるから取材が好きだ。その言葉の数々を届ける瞬間に想いを馳せながら、文章を紡ぐときがさらに好き。

なんでもない。好きだと再認識した瞬間を切り取っているだけではあるけれど、この気持ちを忘れないようにいたいと思う日だった。


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