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記憶の断片

空気が秋の気配を帯びてきた。少し前まで湿っぽかったのに、夕方外に出ると肌にまとわりつく感覚がなくなった。

長袖を着る季節の方が僕は大好きだ。

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最近、部屋に枝を買った。

花は貰ってもよく枯らしてしまう悲しい運命を辿っていたので、長持ちする枝はなんとも適当な僕に合っている。

花瓶と枝。喋るわけでもないのに、部屋に植物が居てくれると安心する。自分が目をかけて、保とうとする存在がいるからかもしれない。

枝を花屋で買えると知ったのは、確か3年くらい前。マッチングアプリで知り合った人に教えてもらった憶えがある。枝は長持ちするからいいよ、と。

その女性とはほんの一瞬、親しくした。でも、それっきり。その人が本当はどんな人なのかも、今どこで何をしているのかも知らない。

憶えているのは、枝を部屋に飾るといいということだけは知れたことだけ。

そんな記憶の断片と共に今日も生きている。

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小説を書くことにした。

自分がフィクションなんぞを創れる人間ではないと思い込んでいた。小説はやはり享受するものだと思っていた。三浦しをん、川上未映子、村上春樹、朝井リョウ、辻村深月……多くの作家の小説を読んで影響されてきたが、それは芥川賞や直木賞を取るような人こそが生み出せるものだと今でも思う。

それでも書いてみたいと思ったのは、自分の震災から12年の月日を表現として世の中に出してみたくなったから。

大学時代からの友人と話していたときに、自分は石巻で過ごして震災復興の過程で注目された時期のことをなかったものにしようとしているのだと気付いた。

あんなに注目されても、それは今の自分とは関係のない過去。そう話してみて、それはそれで虚しかった。

いわゆる私小説ではあるのだけど、自分語りではなく、あえて小説という客観的な創作に変えることで自分の過去から現在、今見える東北との関係を捉え直したい。

一体、どんな仕上がりになるのだろう。

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