自分を侵す価値観と対話
早いもので9月中旬。来週には秋分を迎えて、一応暦の上では秋に向かっていく。暑さも湿気もまるで夏から秋に向かっているようには思えないが、分からないところで少しずつ季節は変わっているらしい。
ところで、今週ドラマ『こっち向いてよ向井くん』の最終回を観た。休職中の8月にNetflixで観たことがきっかけでハマったのだが、ずっと考えさせられていた。
例えば、向井くんの10年前の恋愛で当時の彼女・美和子を守ると言ったところ、妹の麻美と元気が結婚してから「夫だからしっかりしなくては」という元気の意識・行動により2人の間にノイズが入るようになったというところ。
向井くんが坂井戸さんから論破されているところ、麻美の言うことを元気が理解できないことに対して、「どうして分からないかな」と思ってしまうのだけど、それは傍観者だからだろう。
自分自身幼い頃から、結婚する際に男性が女性に対して「守りたい」「幸せにする」ということに対して、なぜ対等ではないのだろうかと疑問に思ってきたので、このドラマで言われてきたことには共感を覚えた。
しかし、現実社会を生きる中で自分が謂わゆるマッチョイズムやマチズモから脱却できているのかといえば、まだまだそんなことはない。同じアラサーである自分は、根底にまだまだ「男が上に立って守らなければならない」「結婚したのだから……」という概念が流れていることを実感する。
それをより強く実感するのが、マッチングアプリだ。相手の女性のプロフィールを見るときに、無意識に収入を気にしてしまう。自分と同じくらいなのか否か。また、職業や勤めている業界。自分より遥かにキャリアを築いている女性を見るたび、恥ずかしさと無力感を感じる自分がいる。
友人なら何も思わないのに。
自分より上の人など男女関係なくいて普通で、当たり前のことなのだけど、自分の恋愛の尺度になった途端に自分より上ということに対してどこかで拒む自分がいる。自分と同じくらいの収入の人を見ても、結局上の人の方がいいんでしょ?と穿った見方が現れる。
まさに今週『東京最悪最低最高』という漫画が賛否を巻き起こした。正直、自分はあの中で描かれている内容が好きではなかった。この世の露悪的な部分を顕にしてそれは一体…という気持ちだったが、主人公の女性に対して「ほらやっぱり男性が東京で生きていくためには、経済的に頼られることが大事なんじゃん」と思わなくもなかった。というか、静かに傷ついた。
恋愛がうまくいかなければいかないほど、どうせ自分は頼りにならない非モテ男性ですよとインセル的な思考で女性を咎めてしまう。
性別による差などないと信じているけれど、どこかで上にならなければいけないプレッシャーが働いてそれを許してくれない。
もちろん、全体からすればそんなことを思うのは心の奥のほうで小さな割合だけれど、そんな価値観で異性を見てヘイトじみた言葉が浮かんでしまうのは気持ち悪い。2023年にもなって「女性ならではの感性」だなんていう言葉を放った首相に対してふざけるなという想いでいっぱいなのに、皮肉にも気付かぬうちに自分だって同じ価値観に縛られている。
話を戻すと、だからこそ高みの見物で向井くんや元気の分からなさを責めることはできない。やはり、自分自身も内在するマチズモを見つめて、削っていかなければならない一人の男性に過ぎない。
人間って一人のなかに理想と汚物が同居していて、矛盾を孕んでいる。自分の汚さを見つめるたび、生きるのがものすごくめんどくさい。
めんどくさくて、ときには絶望したくなるときもあるけれど、どうにか信じる方向へ変わっていきたいのである。分からないなりに自分の中になかった価値観を理解しようとして、対話を重ねていく向井くんのように。
守ることでも、上に立つことでもない。対話の積み重ねが自分たちで立って生きていくことなのだと信じて。
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