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それでも、この街で生きていく|映画「キリエのうた」を観て

10月、学生時代から仲の良い友人が東京を離れた。

19歳の秋に知り合い震災復興の渦中にあった東北で将来の理想像を語り合い、教育やまちづくり、建築、メディア、色々なことについて深く話し合える仲だった。大阪出身で仙台に進学した彼は、生きてきた土地も通う大学も違う人だったが、どういうわけかすぐに仲良くなった。

仙台の街の一角で、ビルのテナントを借りて一緒に教育系の事業を行なったこともあった。その期間は上手くいかなかったが、良くも悪くも自分の人生にとって深く記憶に残る時間だった。

10代という多感な時期を、石巻と大阪という2つの街で生きてきた僕と彼。その後しばらく疎遠になっていたが、互いに走り続け、東京で再会した。

事あるごとに会っては話し、10代の頃とはまた違う距離感で接することで自分は少なからず刺激を受けていた。そんな彼がこの秋、東京からとある地方へ移住した。

自分の力で歩める今、近くに友人がいようといるまいと変わりはしないのだが、小さな小さな喪失感を抱いた。それははっきりとした哀しみではなく、どこにでもある、仲の良い人がいなくなった淋しさだ。

生きてきた街も環境も違う。けれども、人生のどこかで記憶に残るような出会い、そして離れていくのは誰しも経験すること。ちょうど、先週末に映画館で観た岩井俊二監督の『キリエのうた』が、そんな自分の10代を深く想起させる映画だった。

2023年・東京の描写からスタートし、さまざまな時間軸、空間を往来するこの物語。

石巻出身のキリエは震災をきっかけに声が出なくなる。唯一、声が出るのは歌うときだけ。新宿で路上ライブをしていたときに、イッコと名乗る謎めいた女性に声をかけられる。イッコはキリエがかつて帯広にいた頃、友人になった子だった。イッコはマネージャーになることを名乗り出て、キリエはシンガーソングライターとしての道を歩みだそうとする。

石巻・帯広・大阪・東京。彼女たちの記憶が染みつく街の景色が時間を遡りながら、過去が浮かび上がってきた。

この映画を観に行こうと思ったのは、吉岡里帆さんがパーソナリティーを務めるラジオ番組に主役のアイナ・ジ・エンドさんがゲストで出演した回を聴いたことだった。この映画の話をしていて、石巻でのロケについての思い出を語っているのを耳にして、高校時代石巻で過ごした僕は今観ておきたい気がした。実際、石巻のロケ地の多くは僕が通っていた高校の近くで、記憶が染みついた場所だ。

また、監督の岩井俊二さんは仙台出身。震災復興文脈においても、彼の名前はたびたび目にしてきたが、彼自身の作品として震災というものをどう切り取るのか知りたいと思った。

観始めると、アイナ・ジ・エンドが歌うというだけあって、その声と姿に惹き込まれてしまった。彼女が歌う姿とその空間の切り取り方は、綺麗な景色や絵画を見ているような世界観だった。

3時間ずっと、MVを観ているような、そんな美しい世界が広がっていた。

その美しさとは裏腹に、キリエの孤独感やこの世の中の不条理な姿がはっきりとした輪郭として現れる。性暴力のシーンは、観ているのがしんどいと感じるほど。

キリエは2011年の“あの日”を境にそれぞれの場所で孤独を抱え、哀しみを背負ってきた。大切な人を失うという不可逆な経験とともに声を出せなくなる。2011年3月11日よりも以前には戻れないという意味において、彼女は深い孤独と絶望に何度も苛まれたはずだ。

自分自身は家族を失くすという経験はしなかったが、当時近くにいた友人には似た境遇の人たちがいた。そのことを思い出して、重ねると9歳という子どもがその悲しみを味わうのはなんとも残酷だ。

それでも、それぞれの場所で彼女を肯定してくれる人たちがいてくれた。

姉の婚約者になるはずだった夏彦、大阪で助けてくれた風美、あるいは一緒に路上で歌ったおじさんかもしれない。また、帯広に行ってから出会ったイッコ(当時は真緒里)は友達のいなかったキリエにとってかけがえのない存在になった。

メジャーデビューを果たすために紹介してもらったプロデューサーから、イッコは芸能界の素人だから、ちゃんと事務所に入ったほうがいいと言われる描写が何度かある。そのアドバイスに対して、キリエは頑なにイッコさんがマネージャーだからと言って受け入れようとしない。

映画館で見たときは、単純にプロデューサーがちょっと悪い人なのかなという印象を受けただけだったし、世の中の現実を教えたいという意味なのかもしれないと思った。が、あれはキリエ視点に立つといかにこの東京という街、あるいはこの不条理な世の中で自分が立っていくためにイッコという存在が大切なのかを思い知らされる言葉だった。

イッコがどんな顔を持っていようと、キリエにとっては孤独と不条理を背負わすこの世の中で闇を照らしてくれる灯りだった。それだけがすべてだった。歌だけがこの世界との媒介となる唯一の手段だったキリエにとって、肯定してくれるイッコはどの時間は、たとえ成功してもしなくても、永遠に続いてほしいと願わずにはいられない恍惚とした景色だったのだろう。

僕自身、はじめに書いたが、なんでも深く話せる友人が東京から居なくなると聞いたとき小さいながらも淋しさを感じた。深い話をなんでも話せていた友人が、そばから居なくなっていく。さらに、その友人は僕の書く文章に対して、背中を押してくれるまさにイッコのような存在であった。

東京という大きな街で生きるためには、自分だけでは心許ない、そんな友人がいてほしいと思わずにはいられない何かがあった。ここまで書いて、ちょっと重いかもしれない。友人よ、ごめん。

それだけに、最後この世からイッコを失うという結末は非情にも思えた。また、震災で家族を失い、13年の時を経て大切な友人を失う。そんなトラウマを彼女へ背負わすのはあまりにも、という感情さえ湧いた。

しかし、である。だからこそ、その最中でキリエが歌い続ける「キリエ・憐れみの讃歌」は、それでも、この街で自分の足で立っていくという強い意志表示に感じた。

たしかに、人を失うという経験は悲しすぎるが、地方出身であれば居場所が変わるたびに別れや交わる人が変わっていくことは誰もが経験する。そのたびに小さな孤独感を味わうが、同時に自分の足で前へ進んでいくということでもある。

もう自分の足で立っているじゃないか。ちょうど、淋しさを感じていた自分にとって、キリエが力強く歌う姿にそんなメッセージを感じ取った。

最後に、石巻のシーンは宮城県出身の岩井俊二監督が描くにしては、ちょっと薄くないかと思った。震災を取り扱う文学にリアリティーを求めるというのは、もしかしたらナンセンスなのか……とも思ったが、感動を誘うようなシーンにげんなりした。

また、姉・希が夏彦と交際して、妊娠するところは、冷静に見ると夏彦の言動や行動がずるいようにも思えた。

ただ、岩井監督が仙台出身であることを考えると、納得がいくことも多い。仙台(都会)から見た石巻(田舎)というのは、お盆に行くくらいの非日常な場所という認識の人もなかにはいる。

この映画は贖罪がテーマであるとどこかで読んだ。妊娠という非対称性(同じにしていいかわからないが)は、東北にいたけれどあるいは東北出身だけれど、津波は経験していない、自分は当事者と言っていいのか分からない罪悪感と重なるのかもしれない。被災地の人たちにすべてを背負わせてしまった、非対称な関係という。

被災によってすべてが変わったキリエが13年という時間を経て自分の足で立っていこうとする物語であると同時に、完全な当事者ではない、擦りつけてしまった感覚を抱いてきた夏彦のような人たちを肯定する物語でもあったのかもしれない。

13年。短いのだろうか、長かったのだろうか。

あの日、あの街で交わった僕たちが、またどこかで出会い、また一人一人で進んでいく。この大きな世の中から見たら、小さなことばかりかもしれない。けれども、その生きようとする一歩は確かに美しい。そんなことを感じた3時間だった。


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