見出し画像

8年ぶりに見つけたあるひとの名前

初めて人前に文章が出たのは中学1年生、夏休みの課題で書いた読書感想文が学年のお便りに載ったことだった。全文がでかでかと書かれているものだから、自分では恥ずかしくて読めなかった。

あれから14年が経ち、誰からも頼まれていないのにインターネットの片隅でつらつらと文章を書き、誰かに見つけてもらいたいと願っている。照れ臭さと恥ずかしさを感じていた12歳の自分とは違い、承認欲求を全面に出して言葉を綴っている。そう考えると時の流れ、変化というものは恐ろしい。

それはさておき、こうして細々と文章を書き続けてきたことで交わる縁もあるのだな……と感じさせられるできごとが先日あった。昨年、須河宏紀さんのインタビュー記事を書いたWebサイト「ふつうごと」のエッセイ記事を読んでいたときのこと。

東北出身だという方のエッセイ記事を読みすすめていて、自分が経験してきたこと、今感じていることと重なることがありすぎていたく共感した。その方はペンネームで書いているのでそれ以上は分からなかったが、文章の内容や年齢がそう離れていないことからどこかですれ違っているのだろうか……と思わせられた。

編集後記も含めて読んでみたいと思い、Webサイト「ふつうごと」を運営されている堀さんのfacebookを流し読みしていると驚くべき事実を知ってしまった。その編集後記の最後にタグ付けされている名前をみて。

なんと、そのエッセイを書いた方は、僕が高校3年生のときに石巻で被災地を見学するスタディーツアーを行うために、一緒に企画してくれないかと連絡をいただいた大学4年生(当時)の方だった。そんなことがあるのか……。

あまり詳しくは書かないが、その方には僕の受験の話なども少し相談したこともあった。大学入学の頃まで少し連絡をとっていたが、それっきり。

まさか、9年後、ここでその方の名前を見ることになるとは。慌てて堀さんにそのことを連絡すると、実はその方も僕の名前を出していたらしい。なんと。

当時高校生だった自分を覚えていてくれたとは。

間接的にではあるけれど、こうして交わることができて嬉しかった。世の中にはこんな偶然もあるんだ、と。

自分には特筆した文章力もなくて、書き続けていて意味があるのだろうかと思わせられることもある。けれども、時々こういう偶然が起こる。だから、10代の頃から書き続けてきてよかった。

感想も含めて、また連絡をしてみたくなった。大学に入ってから卒業するまでの紆余曲折、社会人になって関東に来たこと、いま東北にたいして思っていること。そんないろんなことを共有したい。

書き続けているとこんなできごとも起こる。

いつも僕のnoteを読んでいただいてありがとうございます。スキ、コメント、サポートなどで応援していただけて励みになります。いただいた応援は大切に使わせていただきます。応援よろしくお願いします^^