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やっぱり、健やかに生きるのは大切だ【2024年1月ふり返り】

気づけば、2024年の12分の1が終わってしまった。早い。時間が過ぎていくのが早すぎる。世の中的にも自分の身の上的にもこの1年のスタートはあらゆることが起こり、気持ちが揺れ動いた1カ月でもあった。

とくに元日に起きた能登半島の地震には、2011年の体験がフラッシュバックした。13年前、実家は内陸にあったので津波はなかったが、激しく揺れ、地面に垂直に立っていたはずの庭の作業小屋の柱が平行四辺形のように斜めに右往左往する姿を見て言葉が出なかった。あの晩はものが散乱した家には到底踏み入ることなどできず、親の車に車中泊した。揺れていない時間がないのではと思えてくるほど定期的に発生する地震。夜更けすぎにラジオでアナウンサーが読み上げる沿岸部の悲惨な光景に、いったいこれからどうなるのかと震えた。今回の地震でも、現地にいる人たちが心細くはないだろうかと思いを馳せる夜だった。

仕事はじめの日、会社で毎週配信しているメールマガジンをつくるときに、文頭の挨拶をどうするか考えた。もちろん、地震のことをスルーせずにはいられないが、そのうえでどのような言葉を紡ぐか。完全に分かることはできずとも、寄り添う言葉を届けられたら。13年前の夜に感じた心細さを頼りに、自分の言葉を綴った。

ランニングに関する情報を届ける仕事をしているのでそれ自体が被災された方々にとって今すぐ必要になる情報にはならないかもしれない。しかし、たとえ微力でも普段触れている動画や文章に触れることで、目の前の厳しい現状から少しでも気持ちを緩めることができたなら。そんな想いを片隅に浮かべながら、キーボードで文章を打ち込んでいった。

2024年。それが1年のスタートとなった。

他方、年明けといえば箱根駅伝があり、今年は写真撮影のために沿道へ出向いた。5区と8区以外はすべての区間で撮影。復路、大手町に帰ってきたころには疲労困憊だったが、後悔はない。選手たちの懸命に走る姿を収められて満足だった。

中旬は札幌出張へ。新幹線や飛行機が昔から好きで、出張のときはいつもワクワクする。飛行機の離陸がとても好きで、それを知り合いに話したら「ジェットコースターとは違うの?」と言われたが明確に違う。すごい速さで走って離陸していく物理的なスリルでは共通しているのかもしれないが、飛行機には非日常を体感しにいくという高揚感が付随している。新幹線から見える時速300kmの車窓もそうだ。そういう意味で、取材が好きという理由は、乗り物が好きなのと近しいかもしれない。日常のなかで、聞けない人の話を聞けるから。

出張から10日間ほど外に出ずっぱりな日が続き、その後年末からの忙しさによる反動で体調不良にすべてが現れた。高熱、吐き気、頭痛。完全に立ち直るまでに10日ほど。気づけば1月が終わろうとしていた。

1月に考えた文章のこととか、記事のこととかをもっと書きたかったが、それ以上に身体が資本であることを突きつけられた1カ月。身体がボロボロだと思考も朧げになり、全然なにも進まない。やはり健康は大切だ。

ちなみに、今年の目標は「健やかに生きること」。過去数年間、毎年どこかで身体の調子を崩しているので今年は心身ともに健やかな日々を過ごしたい。生身の人間なので、どこかで崩れることはあるだろうが、そこも含めて体と対話しながら生きていきたい。

2月はとある仕事で地元仙台へ行くことが決まった。しかも、学生時代に研究室の活動で出入りしていた場所へ偶然行くことに。出張のあいだ、研究室に顔を出すことにした。大学を卒業してから3年、先生とは一度も連絡をとっていなかった(意図的にとっていなかったこともある)が、思いがけずこんなことになるとは思ってもみなかった。とくに、自分が学生最後の年となった2020年の1年間はコロナで対面のゼミがなく、先生とはリモートで話すしかなかった。オンラインでのゼミで話すのはほぼ業務的なことばかりなので卒論も先生とじっくり進めたというよりも単独走に近かった。ゆっくりと膝を突き合わせて先生と話すのは実際のところ2019年2月に「休学して東京でインターンさせてください」と直談判して以来。自分が一度東京に出てから、その時間のことを話すのははじめてと言っていい。

どんなことを話せるのだろうか。そして、先生はどんな時間を生きていたのか。仙台で会えるのが楽しみだ。

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