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走るのは「頑張りたい」ともがく自分がいるから

このところ不調が続いていて眼精疲労、頭痛や首凝り、口内炎とあらゆる症状が身体に表れている。疲れすぎて、noteになにかを書きたいけど、それよりもダラダラとしていたい気持ちが勝って書かず終いでいた。

なにかエッセイを書きたいが思いつかない。何をネタにすればいいのかと頭のなかで堂々巡りをして、スマホでタイムラインを眺めて日が暮れていく。そんな日を幾つもやり過ごして、何もできていないと自分を責めた。

2月に駒沢公園でフルマラソンを走り終えてから燃え尽き症候群に罹っていた。厳密にいうと走り終えたばかりの頃はやる気はあったが、脚があまりに不調で数週間が過ぎてもハムストリングスや足の指に痛みを感じて走れずにいた。

そうこうしているうちに再び走るのが億劫になり、インドア人間になっていた。元々アウトドア派ではないのだが、それに拍車がかかって引きこもっていた。

何も浮かび上がってこない。でも、自分が動いていることくらいなら書けるかもしれないと思い、気温が下がった夜に走ってきた。

だいぶ体重が増えていて、全然身体が追いつかなかったけど、たった5kmだったけど楽しかった。風を切って走るのは楽しい。

ゴールデンウィーク中、高校時代に「震災復興」界隈で(いい意味で)ライバル同士だったような友人たちと飲んだ。当時は関東の高校生と東北の高校生という関係で、お互いの立場で震災復興に関する活動をする高校生の団体を運営していた。

同世代でバチバチしていた人々が今や20代後半になり、それぞれ違う方向で生きている。その友人から「木幡が走っていることに共感するのは、チャレンジしているストーリーや想いがあるから」と言われた。

たぶん、何気ない言葉だったんだと思う。相手は覚えていないはずだ。それなのに、今の自分はその言葉に元気をもらっている。

その共感に応えられるように走りたいと思うし、9年前とは全く違う姿を見せているからこそ、走ることで壁を乗り越える姿を見せたいとも思う。

ここからはランニングに関係のない話を書こうと思う。最近少し自暴自棄になっていた。暴飲暴食をしてしまうし、料理もしたくないという生活が続いていた。顔が浮腫んでくると自信がなくなる。しんどい時にしんどいと言える人が居なさすぎて、誰に言っていいか分からなくなっていた。

関東にいて友人も少ない分「今日どう?」なんて言える人も少ない。恋愛も膠着気味。気分がさらに塞ぎがちになっていく。

なーんもしたくない、と思っていたけど、友人のその言葉がずっと頭の中に残っているのはやはり「頑張りたい」とどこかでもがく自分がいるからだと思う。

久しぶりに4分30秒のペースで走る自分のフォームは明らかに余裕のない動きで、贅肉がついていて、肺がきつかった。でも、それでいい。そこから始めて、また走れるようになればいい。

またストーリーを積み重ねていくんだ。

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