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夢見モグラは空を待ち侘びて 60日目

見たこともないくらい大きな、
それでいて真っ黒な天井が降ってきたが、
車の屋根がその衝撃を守ってくれた。
モグラは狭い狭い暗闇に閉じ込められていた。
自分の息を吸う音と、時折水滴が垂れる音がするだけ。
長い長い年月に感じていたが、
実際には1週間したところで、
大事そうに覆い被さる父の下で、
命からがらのところを見つけ出してもらった。
そこからまたぐっすりと長い眠りについて、
次に目を開けた瞬間、
手足は棒のようだし、
動かそうにも体中が強く痺れたし、
ベッドでただただ目をパチクリとさせるだけでもとても重労働だった。
それでもモグラは、いいや、空は、
病室の窓から、雲ひとつなく、青く輝いた空を見て、
明日が来ることを、待ち遠しく思っていた。

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受け身の話。


柔道で最初に教わったのは受け身だったような。
畳に投げつけられた衝撃を和らげるあのあれ。
高校生の時に柔道部の友達に、時折、高い〜高い〜と持ち上げられるのを、
授業時間の合間の気分転換にしていた僕は(なんそれ)、
体育の授業で柔道場に集まっても尚、
先生の話もろくに聞かず、
高い〜高い〜を進化させ、さらに上に投げ飛ばされる遊びを開発していた(ちゃんと聞けよ)。

恋が落ちることについて、という作品の続きを書いている時に思ったのだけれど、
人が恋に落ちた時の、受け身の取り方、なんてのは誰も教えてくれないな、と。
誰にでも起こり得ることなのに、
教えてくれないことなんてのは意外と実に、探せば結構ある。

受け身の取り方について、
柔道に限定せずに、これを現実に置き換えると、
何かトラブルが起きた時、
とてつもなく悲しい出来事が起きた時、
どう被害が最小限で食い止められたり、どう立ち直るのか、
相手に対しての謝罪の仕方だったり、そもそもリスクの回避の仕方を含めて、
人に教わる機会はなかなか少ない。
家庭で?友達関係で?社会で?自然と身につけていくこと。
ん?それでいいんか?
生きていく上で、あらゆる場面において、受け身って
もうちょっと大人の必修科目、大切なことなのではないかと。

柔道の話に戻るけれど、受け身をミスすると、痛いし、怪我をする。
僕は先生の話をあまりちゃんと聞いていなかったので畳に雑に打ち付けられ、
次の授業中は保健室で過ごすことになった。
なるほどね、痛みを持ってして、学習しろということか。

立ち直るという時に、
自らの力で立ち上がるのも大切だけれど、
本当に辛い時には、手すりのような存在、があるに越したことはない。
さらに言えば、手を差し伸べてくれる、そんな存在がいたら大切に思った方がいいし。またその分、自分もいつか時が来たら誰かに手を差し伸べられたら良い。

現代社会は一度ミスをして、うっかりにも転んでしまうと、
こぞって足蹴にしたり、遠くから石を投げられることも少なくない(投げている本人がその自覚をしてないことすらある)。

転んだ人を見た時に、失敗した人を見た時に、
足元を見てその揚げ足をとるのではなく、
自分の目線の方を下げて、手を差し伸べる側の人間でありたいな、
受け身、からの手を差し伸べられるか、という話。

それではまた明日。

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本日の表紙はm62o51eさんの写真を使用させていただいております。
というわけでお手数ですが、コメント欄にまた改めて、
テーマなどいただければ助かります。ゆるふわ募集。

褒められても、貶されても、どのみち良く伸びるタイプです。