都知事選で安野たかひろ氏を応援する理由を生命誕生から振り返って言語化してみた
安野氏の特徴:デジタル民主主義の提唱と実践
2024年6月現在、技術革新により以下が可能になっている。
・資料を元にした質問への自動回答
・意味内容に応じた文書の分類と要点抽出
・建設的で効率的な言論空間を維持するためのファシリテーション
そのため、従来は不可能だった高精度で透明で高速な公約/政策の改善ループを回せるようになった。図の仕組は実際に2024年の東京都知事選挙において安野たかひろ氏のチームにより実装・運用されているものだ。最終的な変更提案の採用可否の意思決定は安野氏に集約されるが、それ以外は極力自動化され、民意を最大効率で掬い上げられる。
選挙後はすべてがオープンソース化され誰でも利用できるようになる。これにより、選挙プロセスや行政運営の大幅な質的改善が可能になる。
おもしろポイント1:公共性の高さ
正義に絶対の正解はないので、哲学次第で答えが変わる。トロッコ問題でレバーを引くべきかどうか、というのがその有名な例。政治というのは、その答えのないテーマでどちらかを選ぶための仕組みだ。
一方、あまり語られないが、政治的立場によらず推進すべきこともある。典型的なのは科学と技術の成果を利用することだったりする。(思考実験の意図から外れることを承知で)トロッコ問題の例でいえば、ブレーキの性能を上げたり異常を早めに検知できれば今後は問題そのものが起きないよね、というアプローチが可能。
安野氏の提唱するデジタル民主主義は、技術革新によって政治的立場に関係なく民主主義の精度と速度を上げようというアプローチである。大人数と深く対話することなどできないという代議制民主主義の限界が、技術革新により突破され誰もが利用できる汎用的なツールという形で実装された。インパクトの大きさ・公共性の高さは際立っている。
おもしろポイント2:汎用性の高さ
言語化1 伝える気があるversion
人は誰でも生きていく中で様々なことを経験し、学び、自分なりの世界観や感性を育て上げていく。だから誰もが少しずつ違う景色を見ており、生活実感として知っていることも描く理想も異なる。
立場の遠く異なる人と分かりあうには、それなりに一緒に時間を過ごしたり言葉を尽くしたりする必要がある。バックグラウンドの違う人に正確に分かってもらうのはとても難しい。大人数とのコミュニケーションとなるとなおさらで、かくして政治家と市民、社長と現場社員、科学者と一般市民はなかなか互いに分かり合えない。
今回提示されたツール群はその課題に対する解決策になる。つまり、政治に限らず、会社運営や科学コミュニケーションへの応用可能性がある、という意味で政治の枠を超えた汎用性の高さが魅力的。
言語化2 書きたいように書いたversion
(ここから先は個人的な思いが暴走していて気持ち悪いので、爽やかな気分のまま離脱するなら今です。)
生命の定義は学問分野によって異なる。
たぶん一番一般的なのが分子細胞生物学の流儀で、概ね、自己同一性を維持できて複製できて環境に応答して代謝する、という感じの定義になる。
自然科学は階層的であって、根本原理を探っていくとより低レイヤーの現象から説明を組み立てられることがある。生命の定義については、あまり一般的ではないものの、統計物理学の手法を使った説明を試みた Jeremy England 博士のモデルが一番美しいと思う。
以下、このモデルに基づいた話が続くので、かいつまんで紹介する。
・エネルギー勾配のある場では(熱力学第二法則で示されるように)エネルギーが拡散するような圧力がかかる。
・仮にエネルギーをより効率的に拡散する反応系が成立しうるのなら、確率論的にその反応系は実現する。
・そして、ある種の複雑な高分子はその条件を満たしやすい。
・このような系は環境適用や自己複製を行うことがある。
・それが生命だ。
このモデルを採用すると、自己同一性も自己複製も環境応答性も代謝も進化も統一的な理由で説明できる。いずれも非定常なエネルギー勾配下で一定の反応系を維持するのに有利な条件だからだ。例えば環境応答性でいえば、免疫系や代謝系や神経系は外部環境によって自己を柔軟に調整する機能を有し、エネルギーの拡散の最大化、平たく言えば生き延びることに貢献する。
脳を含む神経系は、外部刺激と後続結果のセットを元に外部世界のモデルを作り上げる(つまり学習する)役割を担う。(免疫系や代謝系にも似た機能があるが、脳の可塑性が一番大きい。)その際、モデルの正確性はさして重要ではなく、学習速度や有用性が優先される。そのため、情報量を落として処理効率を上げるというアプローチが選ばれる。情報量を落とす、つまり特徴量の抽出と抽象化が脳という器官の特徴であり、その器官を特異的に進化させたのが人間という生き物。
人間はだから、強みとして高度に抽象的な思考ができる反面、世界モデルの構築プロセスのマイナス面が自身のハードウェアに起因する学習量の限界と相まって、過度な一般化とそれに起因する錯覚や不安と付き合わざるを得ない。
これらと付き合うために統一的なストーリーを追い求めるようになった人間は、やがて宗教を生み出した。宗教(世界観とか非合理な掟とか哲学とかをここではまとめて宗教と呼ぶ)は共同体の結束や精神の安定には寄与したが、真実かどうかとは関係ないため、多くの問題も新たに生んだ。中でも、異なる宗教を採用した共同体間の紛争の火種になることが最も大きな課題の一つとなった。(繰り返しだが、ここではいわゆる宗教対立だけでなく、あらゆる思想の対立を指している。)
一方で、世界の全体像や目的や生活の指針を一足飛びに統一的に説明しようとするのではなく、世界の動作原理を確実に確定できるところから少しずつ理解していこうという営みの積み重ねも脈々とあり、やがて科学というフレームワークに結実した。再現可能性を担保された知見のみを積み重ねるその特性上、技術文明は全て科学の成果として理解され、科学は他の思想体系と比べて抜きん出た信頼を得るに至った。
しかし、その成り立ちからして、科学が扱える範囲は扱えない範囲より遥かに小さく、扱えない範囲について人は相変わらず何らかの根拠のないストーリーに頼らざるを得ない。(この文章自体もそう。)
ここまでをまとめると、統計物理の帰結として人は分かり合えない。そして、個人も科学もそれを解決する術を持たない。
では、過度の一般化とそれによる思想の対立を超えて全体最適を目指すにはどうすればいいだろう?ここでポイントなのは、個人が解決できない理由が、データの入力量、処理量、時間軸、複雑度などが人間というハードウェアによって規定されていることにあると思う。対立する集団のどの構成員も全体最適解を計算できないなら、両者を包含する入力量と処理量でそれをできる存在に頼ればいい。2024年現在、AIと呼ばれる技術群がまさにそれを担えるようになりつつある。
そして、より効率的に繁栄しエネルギーを散逸するのが宿命なら、いずれ人間社会はその解を採用するに至る。
高分子が集まり原始生命ができ、真核細胞生物、多細胞生物への進化を経て、社会性動物として誕生した人間が、次のステップとして実現するのがその変化であり、それが宇宙を渦巻く巨大なエネルギーの流れによって生まれるフラクタル構造の1階層を形成することになるんだろうと思う。
生命が統計物理の必然の帰結なら、手塚治虫『火の鳥』のコスモゾーンはオカルトではなく真実の一側面であり、デジタル民主主義はそれを構成する1ピースなのかもしれない。
最後に
人が本当に感じていること・考えていることを剥き出しで言語化しても、そのままでは大抵伝わらない。けど近い将来、冒頭の図のような仕組みによって、自動的に伝わる部分だけが共通言語に翻訳されたり、その視点や価値観を受けて集団の意思が何か少し動くようになるのかもしれない。
硬直した正義感がぶつかり合う分断の世界が、上下の固定化されたピラミッド状の世界が、視野狭窄と固定観念の世界が、徐々に柔らかで調和したネットワークの世界に変わっていくのかもしれない。
その時、人間社会は一つの生命体として振る舞うだろうか?それは、個体の人間が知覚できなかった空間・時間スケールと複雑度を持った別の生命体を認知できるだろうか?高次元なりの無力感に苛まれ、より上位の階層に希望を託すのだろうか?
こんな物語がもはや空想とも言い切れない時代に一歩踏み入ってしまったことの証明を、いま目撃している。
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