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あなただけが、なにも知らない。#7

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「……拓海。起きろ!もう直ぐ着くぞ!」

 体を揺すられ、目が覚めた。

「……寒いね」

 そう言って僕は、不快な涼真の手を払い除けた。

 鉛のように重い体を起こして立ち上がり、船窓から外を見た。

「橋の真下、見過ごしちゃったな……」

 僕の平坦な声と伏せる心情は、涼真の耳と胸には届きはしないだろう。

「島が見えるだろ?あれ!」

 涼真は腕を伸ばして、窓の外を指差しながら言った。

「あれが小豆島か」

 そう言って僕は、直ぐに視線を下げた。

 足元にはアイマスクと耳栓が二つ、綺麗に重なり落ちていた。

 トラックや車、それと船のけたたましいエンジン音。それらが船内の鉄の壁に反響し、共鳴し、そして耳に届く。何処かで聞いた、記憶がある騒音。どこだろう、……思い出せない。

 車両用の下甲板には隙間なく車が停められていた。すでに車に乗り込んでいる人の視線を感じながら、僕達は車へ乗り込み、エンジンを掛けた。そして、ゆっくりと出口である船首の方へ進む。僕達が先頭だった。

 外の眩しさに思わず目を細めはしたが、いつもとは何か違った。島の港は思ったよりも大きく、地面はアスファルトで舗装されている。僕の想像とは少し違った。

「ここから車で一時間位かかるかな」

 涼真はそう言って僕を見た。

 彼の表情は落ち着いていた。何度も来ているのだろうか。道に迷う事なく涼真は車を走らせる。途中、初めて見るドラックストアーや、よく見るいつものコンビニがあった。

 窓の外を見る僕に涼真は、「もっと田舎だと思ったか?普通にコンビニもあるだろ」と何故か自慢げに言った。

「……うん。道路もアスファルトで舗装されているしね」

 僕は、少しがっかりしていた。

「でも、これは今だけだからな!」

 涼真は目を細め、脅すように冗談ぶって言った。

「期待しているよ」

 そう言って僕は、また車窓から外を見た。

 風景は少しずつ変わってゆく。店や民家、人の姿が消え始めたことに気が付いた。それらと入れ替わるように、樹や草、名前の分からない花などが目に付き始め、道路脇には壊れて錆びた車が放置されていた。途中、見知らぬドラックストアーに立ち寄り、五百ミリリットルの飲み物を四本購入した。

 島の日射しは強く、肌に痛みを感じる程暑かった。涼真の半袖のシャツは汗を存分吸収し、背中の濡れた模様が猛禽類の何かに見えて、なんだか心が震える。樹が多いわりに聞こえるセミの声は煩く感じないのが不思議だった。

「エンジェルロードって知ってるか?」

 海岸通りを走りながら、涼真が言った。

「……知らない」

「海が割れるんだよ」

「割れる?」僕は思わず表情を崩した。「……昔の映画みたいだな」

「拓海。その場所知ってるか?」涼真は必要に聞いてくる。「昔に、何となく聞いたことあるとか?」

「……だから昔の映画で」

「映画じゃないよ!現実にあるんだぜ。珍しい現象なんよ。フランスにもあったかな、確か」

 言った涼真は、白い歯を見せながら引き攣った顔で笑っている。

「トンボロ現象でしょ。そんなに珍しいかな、日本でも何箇所かあるよね。でも涼真がさっきから言ってるその場所は、……知らない」

 そう言った後に、胸に痛みが走った。本当は、その場所の記憶が僕の頭の中に薄っすらとあったから。おそらくそこが、涼真の言っている場所なんだと、弱い風に舞う綿毛を捕まえるような、そんなふわっとした感覚で思い出す事が出来る。

 フロントガラスから見える風景が、狭く見えた。

 その狭い世界。

 そこにあるだろう忘却の中から這い出てくる何かに、僕は集中した。

 僕達は、小さな歩幅で砂の上を歩いている。

 水に囲まれ伸びてゆく砂利道を見て大人達は微笑んでいる。

 僕は、それを見て嬉しくなったんだ。

 僕と手を繋ぐ少女も同じように微笑み、嬉しそうだった。

 ずっと先まで行くと大きな岩があって、行く手を阻まれた。

 僕は振り返る。

 大人達を見た。

 嬉しそうに微笑む二人が、理解できなくなってしまった。

「なんだろう……」

 無意識に声が出た。

「なにが?」とだけ言って涼真は僕の方を見た。

「……なんでもない」

 僕は答えた。

 涼真はそれ以上、何も訊いてはこなかった。

 また胸に痛みが走る。

 暫く進むと、初めての観光客なら見過ごしてしまうだろう小さな脇道に入った。

「この道。この道」

 涼真は目を大きく開き、何かを期待するように右へ大きくハンドルを切った。

 登り坂は緩かだったが、この古い車には荷が重い。スピードは上がらずにエンジンの回転数だけが上がった。車内にまでボンネット内部からの熱風が入ってくる。こんな所でエンジンが焼けてしまったらどうするのだろうか。想像すると少し可笑しかった。

 僕は目を瞑った。焦げたエンジンの臭いだろうか。よく分らない何かの臭いに集中する。揺れる体が心地よい。大きく揺れ、僕も揺れる。外に目をやる。辺りは樹々に囲まれていた。

 生い茂る草木は、中に入ってくる僕達の行く手を阻もうとでもしているのか道路にはみ出している。葉と葉が擦れる音は、まるで部外者を威嚇するようにざわめき、風に煽られ僕の耳に響いている。

 道は悪くなる一方だ。

「揺れるね」

 当たり前の事を口にし、僕は少し恥ずかしくなった。

「最高!いい感じでしょ。もう直ぐ着くよ」

「うん」

 理由は分からない。でも、確かに僕は普段と違う感情の動きを感じる。不思議と少し楽しくなっていた。

 左目から後頭部に欠けて痛みが出てきた。雨でも降るのだろうか。そんな事を考えながら車窓から流れる風景を見ている。なぜだろう。この島の光は眩しく感じい。

 車はスピードを落として停まった。不自然な停まり方だった。遂に車のエンジンが焼き付いたのかと期待したが、それは違った。

「着いたぁ。ここでOK。あそこ、あのログハウス」

 涼真は目を輝かせ、腕を伸ばした。

 ……つづく。by masato

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