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シルフ終了と聞いて(23歳の自分語り)

2019年の下半期
僕は日本から7000キロ離れた南半球の大地でポケGOバトルに熱中していた。

『シルフリーグ』
Silph Roadという日本でいうところのGamewithやポケマピ、みんポケみたいな、ポケモンGOの攻略サイトが運営する、
6-3見せあいのPVPバトルの全世界トーナメントだ。
シルフリーグについての概要は今回は省略するが、気になる人は下記のふみかさんのブログを見てほしい。

そんなSilph Roadが、2023年5月12日にサイトを閉鎖することを発表したというのだ。

https://pokemongo-get.com/pokego04106/

私、Masanari34(まさたそ)のこれまでのポケモンGOのPVPを中心とした活動は、正直、このシルフリーグの存在がとても大きな原動力となっていたことは言うまでもない。

もともと私は、2017年ごろからポケモンGOのジムバトルの動画を趣味で投稿しはじめて、PVPの機能が実装された2018年末からは、その解説動画をアップする活動をしていた。

まだGOバトルリーグの実装がなかった当時は、有志のトレーナーが開催していた非公式大会に通い始めるなどのPVPライフを送っていた。
PVPの実装から数か月たった2019年の春頃、日本の一部のPVPトレーナーたちの間でシルフリーグの存在が知られはじめた。

最初は、『変なレギュレーションがついてて好きなポケモンが使えない大会はなんだかなあ』と渋っていたが、夏からオーストラリアへの留学を控えていた自分は、留学地のシドニーでも大会が開催されているということを知り、シルフリーグへの参加を決意したのであった。

この辺の話は、正直語りだしたらきりがなく、文章が整理されなくなってしまうと思うのでここでは一旦割愛し、当時の思い出のノートを以下に貼っておくことにする。


そもそも、今回なぜ久しぶりにnoteを書こうと思ったのか。

こんな思い出の話をただ『懐かしいなあ』と語るだけなら、なにもツイートを何個かすればいいだけでわざわざノートにするまでもないし、
ただ『楽しいことが終わってしまう』みたいな漠然にネガティブなことを書くだけでは意味がない。日本人のPVP勢の中でも、シルフリーグに最もお世話になった一人だと自負している自分はただそれを『いい思い出』の一言で片づけるようなことをしたくなかったんだ。

とはいうものの、自分はもはやPVP勢とは名乗ることができないような男であることは自他ともに認められているだろう(?)
数年前から自分のTwitterをフォローしてツイートをみてくれているフォロワーさんはお気づきだろうが、最近の自分はまともにポケモンGOをやっていなく、(とはいうものの起動はちゃんとしていてコミュデイは行ったりするヨ)ポケモンGOに関係のないツイートがとても多くなっている。

一体だれの話をしているのだろう…

また、一時は1万人以上の登録者をもっていた自分のYoutubeチャンネルも、最近は全く更新できておらず、
GBLについてもグリーンポーズのシーズン3を除いて達成していた最高ランク(ランク10・レジェンド)の継続もシーズン13(RSダイゴ)以降ストップしてしまっている。

そんな自分が今回、Silph Roadの終了についてなにか投稿をしようと考えたときに、これをきっかけにせっかくだから、なにか自分自身についてを書くことで、近況報告もついでに、自分という人間はどういう情熱をもった人間であり、なぜPvPをやっていたのか、そしてやめたのか、ということについて整理してみたいと考えたのだ。
これは自分のためのnoteだ、という建付けでいくので、文章の醜さには目をつむってほしい。

対面大会に熱中

2018年、当時私は本当に『普通』レベルの大学に通う1年生。
何かをしたい!という明確な目標がないまま、ただなんとなく、英語は科目の中では得意だから、留学の経験は大学生のうちにやっておいたほうがいいんじゃないか、ここなら通いやすいんじゃないかと思って入った大学。

自分はどこかひねくれた性格で、いわゆる大学生的な『飲みに行こう』『授業さぼって友達の家でゲームしよう』、みたいなノリへの参加や企画を行うことができず、

案の定、大学時代は学内でほとんど友達を作らず、ポケGOのTwitter上でのフォロワーと遊んだ経験の方が多かった。

かといって、ポケGOのフォロワーは近くに住んでいるわけではないので、そんなに頻繁に会うわけではなく、まあボッチだったというわけだ。

そんな自分が、2年生になって、前述のとおり留学で渡豪するわけだが、現地ではシルフリーグがほぼ毎週末開催されており、そこに参加できることは、それはもう自分にとってこの上ない最高の体験であった。

異国の人と英語で話をできる上に、なんといっても対面で大会を行うことの楽しさは、何にも代えがたい特別ななにかがあった。

ポケモンを外に出て捕まえて、育てて友人と戦う。アニポケOP『ライバル!』の歌詞にもあるような、『勝ち負けよりも大事ななにか』が対面大会にはあったんだと思っている。

そして帰国後も何回か日本でシルフリーグに参加しながら、2020年1月には例の大会で運よく勝つことができて、このときの自分は本当にサトシみたいな感じで純粋に対面大会を楽しんでいたんだ。

帰国前最後の大会の様子(2019年12月14日)

大きな転換期

帰国してからなんか運よく公式大会優勝できたし、これから対面大会うお~、残りの単位少ない大学生活うお~、みたいに意気込んでいたと思うんだけど現実は過酷なもので、例のウイルスによる外出自粛がやってきた。

それに伴ってシルフリーグは対面での大会の実施を禁止されて、オンラインのみでの開催に変わったんだ。

フレンド戦をやったことある人はわかると思うんだけど、対戦をスタートするまでが本当に面倒。(キラ交換みたいに対戦できればいいのに)
なにより相手と顔を合わせて戦って、そのあとに感想を言い合ったり、というのが醍醐味だったシルフリーグはあまり参加をしなくなったんだ。

同時に、GBLが開始されたばかりだったから、シルフをやる時間→GBLをやる時間にそのままシフトしていった。

GBLが始まったタイミングでのYoutubeのチャンネル登録者数は既に1000人に到達していたので、当時は数が少なかったポケゴーの対戦系ユーチューバーとして、そのまま先駆者利益をありがたく貰う形で、とても多くの人に動画をみてもらえることになった。


当時一番凝ってたのはこれだったかなぁ。レギュ替わりだったから全然伸びなかったけど強い構築を紹介したいっていう想いがあった。

細かい作業は好きなので、動画編集自体は自分なりに凝っていたけども、どちらかというと視聴者の方が見たい動画を作る、というよりかは自分が作りたい動画を作るっていうスタンスは貫いていたと思うし、声なんかボソボソで(実家収録)今見返すとちょっと的外れなこと言ってたりとかもあって…
でも、それでいてチャンネル登録者1万人に到達できていたことは今から思うとすごく運がよかったと思う。

当然、この時はこの時でシルフとは別の意味ですごく楽しかったし、コロナで外出ができない中での良い生産活動ができているとは思っていた。

でも次第に、シーズン3でレジェンドを逃したり、動画の再生数が落ちていったりする中で、
『そもそもGBLのシステム上、同じ3匹を使って戦い続けないと安定して高レートを維持できないから、パーティを変えまくって動画をたくさん出して再生数を伸ばすという目的とは相反しているんじゃないか』
とか
自分はしゃべりとかもそんなにうまくない代わりに、唯一無二の『公式大会王者』っていう型書きがあるので、あくまで俺は『真面目なチャンネル』みたいなポジショニングであって、
『視聴者にとって参考にならない動画は出したくない。』
『中途半端で勝てない構築を使った動画をアップするのは嫌だ(自分が満足できない動画に編集の時間を使いたくない)』
とか、そういった葛藤があったことを思い出す。

今になって振り返ってみると、2019年、シルフリーグを中心にPVP大会を楽しんでいたとき、当時としては大会で勝ちたいっていう想いはもちろん強くあったけど、思い返せばあくまで大会への参加や交流が一番の楽しみであって、帰国の時は、もう毎週末のあの大会に参加することができないのかと本気で泣いていた。

それがいつのまにか、運よく抽選で参加券を手にし、奇跡のようなチルタリス捨てスリーパーミリ耐え炎のパンチの脳筋イカれプレーで勝ち取った、帰国からたった1か月後のあの大会の優勝をきっかけに、

同じゲームを楽しんでいたはずが、いつのまにかゲームに求める目的そのものがまったくもって変わってしまっていたんだ。

今のGBL勢に話せば恥ずかしいことだとは思うが、俺は技のカウントもあいまいだし、フレンド戦とかで練習を積み重ねまくって完全無欠な状態でランク戦へ!とかそういう努力みたいなものを全然してこなかった。

だけどYoutubeとして続けていくのなら中途半端なものは動画で出したくないっていう変なプライドはあったから、なかなか動画を出したくないっていう想いが強くなっていって、動画を出せない状態になったんだ。

この間渋谷で外国の人とインスタを交換したときに、俺のアカウントのリンクに貼っているYoutubeのチャンネルに反応してくれて、ポケモンGOの話をしたんだけど、

ポケモンGOはやめてないけど動画はあげてない。公園で人とコミュニケーションしながらというのは好きなんだけど…みたいなことを言ったら、

“So, you are not competitive person”
って言われてなんだかすごく腑に落ちたし、楽になった気がした。
日本語で競争心が高くないっていわれるよりももっとこう、ラフでポジティブな意味合いを感じたのだ。

ネオンと昭和に走った男

そんなこんなでポケGOのPVPからすっかり離脱してしまったので
今までずっと動画を作ることを一つモチベとして外に出てポケモンGOで散歩をしていた俺から、PVPの要素だけがマイナスされた結果、本当にただのめっちゃ散歩が好きなバケモノが誕生してしまったわけだ。

直近の趣味でいえば、ネオンが綺麗な場所に行ってみたり、おしゃれな家具屋さんに行ってみたりするのが好きである。
また、80~90年代のシティポップやニューウェイブ、リミックスされたfuture funkというジャンルの音楽を聴くことにはまっている。

今もこうしてPvP大会のことを思い出してこんなに長いnoteを書いてしまうことや、生まれてすらいない昭和の雰囲気に心躍らされることからわかるように、どうやら俺は過去の思い出や記憶の輝きみたいなものに強く心が惹かれてしまう人種なのだと思う。

ただ、いつまでもそういったことに執着というか、拗らせていては前進がないと危機感を感じているので、今までYoutubeで行ってきた動画制作のように、なにか生産的なことをしたいなあと漠然と考え始めている今日この頃である。

その第一歩を踏み出すきっかけとして、『最近おかしなツイートばっかしてるあのコクーン大丈夫かな』と心配をする皆様(そう思われてるのかは不明)のために、この2年ほど抱えていた葛藤をまずはアウトプットする必要があると感じて、今回、大好きだったシルフリーグが終わってしまうという知らせを聞いたこのタイミングで記事を書くことにした。

この記事や、ポケモンGOについてなにか思うことがあったら、リプとかで共有してくれると嬉しい。 Twitter:@Masatason

昼の1時くらいから書き始めたのにもう6時過ぎてる😢
ではネオンを浴びに行ってまいります😇☆










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