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ショートショート 素数ゼミ

「ヴィゔぃゔぃヴィゔぃ、ゔぃゔぃ、みぃ、ゔぃぃうゔ」少年は不意に出くわしたご馳走に我を失い、それを自分の指ごと口に押し込みました。

「ヴィゔぃゔぃヴィゔぃみぃ、みぃみぃ」

13年ゼミのヒサンちゃんは、木と間違えて人間の額に止り木してしまいました。ヒサンちゃんは力の限り鳴きましたが、少年も負けじとセミを食べようとしました。最後の力を振り絞ってセミを嚥下したところで、少年も力尽きてそこで息絶えました。

新世紀から数十年、温暖化が進み、世界中の穀倉地帯に同時に長い雨が降りました。トウモロコシの不作が致命的で、家畜の餌がなくなり、豚も牛もやせ細って死にました。100億人の人間は深刻なたんぱく質不足に陥りました。

海は大量のゴミで汚染され、すでに魚は獲れません。家畜も魚も食べられなくなった人間は昆虫を食べました。セミは豊富な栄養素と美味で、ほとんど一瞬で食べ尽くされてしまいました。何年も地中で声を潜めて過ごし、やっと地上に出たかと思うと、血相を変えた人間に食べられてしまったのです。

話は変わりますが、人間はその謎解きに一億円の懸賞金を懸けていました。謎の主役は素数と呼ばれていました。その数字がどういう規則性で現れるか、人間は必死で探しました。謎解きはいいところまでいきましたが、やはり謎は謎のままでした。

その数字は自然界の色々なところになぜか現れます。まったく無関係なはずのミクロの世界に突如出現したり、黄金比に姿を変えていたり……。まだ見ぬ宇宙人へのメッセージに素数が使われることすらありました。素数は宇宙を統べる鍵だと思われていました。

急激な環境の変化についていけなくなった人間は、死に絶えました。人間が去った大都市圏には、やがて大きな森が生まれました。数千万人の人間の養分を吸い、土は肥え、豊かな自然が育まれました。

地中の深いところから、17年ゼミのヒナちゃんがむくむくと現れました。世界中の至るところでヒナちゃんはむくむくと現れました。17年ゼミのヒナちゃんと13年ゼミのヒサンちゃんが同時に地上現れることは200年に1回程度です。致死的なウィルスが出現したり、急激な気候変動が起きたとき、種が丸ごと絶滅することを避けるために、あらかじめ準備をしていたのです。

「ヴィゔぃゔぃヴィゔぃ、ゔぃゔぃ、みぃ、ゔぃぃうゔ」セミは木を見ずに森を見ていました。ヒナちゃんの蝉しぐれは巨大な森に、力強く響き渡りました。

この世は人間が生まれるずっと前から、セミの王国だったのです。

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