父の帰宅 22
「マサ、もう何してんのよ、ちょっとあんた大丈夫なの? 超心配してたんだけど……。なんかいい加減な返事ができないと思って……」
「ごめんね、とりあえず大丈夫だから」
「マサさ、あそこまで追い込まれる前になんで連絡くれなっかたの」
「うーん、パニックのときもそうなんだけど発作が起きてるときは誰かに助けを求める余裕がないんだよね、あんまりにも恐怖感が強くて、強烈なうつの状態もそうかな。誰とも話したくないんじゃなくて話せないんだよね」
「そうか、ごめん、もうわたしの理解の範疇超えちゃってるから、利いた風な口きけないんだよね」
「いいよ、アサコの存在自体が俺を支えてくれているから」
「ありがとう、あたしなんかぐうたら酒飲んで、毎日ぼんやり暮らしているだけなんだけど」
「そんなことないよ、頑張ってるじゃん、あんな辺境にもう二年もいるんでしょ」
「ほんとそうだよ、友だちいねーし、もう毎日ひとり晩酌。ほんっと、もう日本帰りたい。でもね、ここまできて引けないからね。まあわたしの話はいいとして家族の話していい? 嫌だったらいいけど」
「大丈夫だよ、なんか気になってる?」
「気になってるじゃないわよ、マサどういう環境で育ったの? 何、お父さん筋系の人?」
「いあ、そっち系じゃないけど、ある意味そっち系の人より厄介な人間だったかな」
「マサよくまともに育ったよね」
「どうなんだろう、ある面ではまともだけどそうじゃない部分も抱えているからね。だから病院に通うことになったんだけど」
「どういうこと?」
「俺ね、恐らく、複雑性PTSDだと思うんだ」
「PTSDじゃないの?」
「うん、PTSDはシングルとコンプレックスがあってね、シングルはいわゆる自殺を目撃してしまったとか、阪神大震災を実際に経験してしまって、それに関連することが起こると突然強いフラッシュバック起こしたりするやつ。俺は慢性的に幼児虐待を受けてきてるわけじゃん。それが俺の否定的な考えや自己嫌悪、虚無感を生み出してるわけね。
「PTSDって一口にいっても色々あるんだね。そりゃそうだよね、ひとの心の問題だもんね。わたしさ、マサがパニック障害者だって聞いてからネットでパニック障害者同士で運営しているサイトみたんだけど、もう見てられなかった。特に掲示板の類。完全に傷の舐め合いになっちゃってるね。今日はどんな薬を試したとか、今日のうつの感じはこれくらいで超大変とか。自嘲に走っちゃってるね」
「そうだね、PTSDも似ようなもんだけど。あれをしてしまうと回復の妨げになるからね。俺はちゃんとしたクリニックが主催してるやつとか、NPOが主催してるやつしかみないけど。でも自嘲に走るのも分からなくはないんだ。傷を舐め合ってる瞬間はやっぱり安らぐんじゃないかな。自分だけじゃないんだ、苦しんでるのはって。確かにパニックにしたってPTSDにしたって自嘲に走りたくなる気持ち分かるもん。辛いもん、それくらい」
「マサはなんでそんなにロジカルに自分の回復について考えられるの?」
「単純に長期間苦しみたくないだけだよ。でね、ここからが凄いんだけどEMDRってきいたことある?」
「ない」
「これはね、俺も名前だけは知ってたんだけど、これはPTSDなんかにかなり有効な治療法なんだ。でもこの治療法を扱える人間が日本にはまだ少ないんだよね。アメリカでさえ認知度は高くないと思う。だから、ああ、さがすにこんな先生探すのなんて不可能だなって思ってたら今通ってるクリニックの先生がその使い手だった」
「うそー、それって超凄い確立じゃない?」
「ほんとに、EMDRもレベル一、二ってあるんだけど俺の通ってる橋本クリニックの橋本先生はその上のEMDRファシリテーターの資格もってんだ。これって平成一三年の時点で日本で六人しかもってない資格なんだよ。しかも先生三年間でもうすでに三〇〇件くらいのEMDRのセッションこなしてるEMDRのプロ中のプロなの、信じられるこの偶然?」
「なんか偶然っていう言葉で片付けられないね。マサがここまで這いつくばってきたご褒美だね」
「ありがと」
「EMDRってどんなことするの」
「先生が指を一定のリズムで動かすのね。それで俺はトラウマを思い出しながらひたすらその指を目で追いかけるわけ、でもまず俺自身が的確に自分のトラウマの位置を把握しないといけなからそれが大変なんだけどね。かなり小さい頃の話を思い出して整理しないといけないからね、楽しい記憶ではないし、きつい作業になると思う」
「じゃあこれからが大変なんだ、なんかあったらいつでも電話してきてね。時差なんか気にしなくていいよ。ほんとだよ、絶対だよ」
「分かった、ありがと」
この後マサは一月八日に一一月に二日働いた給料一万円の中から三〇〇〇円を使って初めてキョウカ先生の心理カウンセリングを受けている。
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