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興味ある方向へふらふらしてたら、グラフィックデザイナーになっていた。①

4/22(水)なんだか曜日の感覚が曖昧になってきた。似たような日のルーティーンでよく分からなくなってきてるんだろう。きちんと1日1日実りある日にしたいなぁとは思うけど、そう上手くもいかないので、あまり欲張らずにしよう。娘たちは工夫してよく遊んでいる。youtubeも時間決めて愉しんでいる。昨日は夕食後、娘たちが最近お気に入りのレコードをかけてゲラゲラ笑いながらダンスをしていた。笑う事は免疫力を上げるらしいのでとてもいい事だ。大人も笑っていこう。

僕はきちんとデザイン事務所を経て、デザイナーになったわけではなく、東京造形大学に入り、無茶なローンでmac(当時はG4)を購入し、見よう見まねで友達のイベントフライヤーやTシャツのデザインをするところから始まった。友人と今の会社の前身となるgaimgraphicsを学生時代に組んでいる。そして大学〜卒業後しばらくはバイト&フリーランスとして働き、25歳のタイミングで今の会社を立ち上げた。なので、一般的なデザイン事務所がどういったプロセスで1人前のデザイナーを育てるのかを知らない。ただ、幸運だったのが、そのバイト&フリーランスの仕事内容がとても濃く、考え方や物の見方など今の自分の基礎となっている。

大学時代、出版社でバイトをしていた。先輩が卒業をするにあたり、後任を探していて、声がかかった。その出版社は『マガジンハウス』だった。カルチャーやファッション誌を多数出版している出版社で、『POPEYE』、『BRUTUS』、『GINZA』、『anan』など雑誌界を常にリードしてきた出版社だ。そんなマガジンハウスには2000年代『relax』という雑誌があった。ちょうど復刊をし、ファンとして購読をしていた。最近ヴィトンとコラボレーションもしたFuturaだったり、今は現代アーティストとして確固たる地位を築いたKAWS、今では知らない人はいないであろうSupreme、と思えばドラえもんやラヴァーズロック(レコード)の特集など、毎回特集内容が尖っているんだけど、なんだか独特のユルさを持ったそんな雑誌だった。

編集長は岡本仁さん、副編集長は中島敏子さん。絶妙なバランスだった。僕はここでバイトをする事で、物を作り上げていく工程や、姿勢、考え方などを遠巻きに見ていた。バイトの仕事は雑用がほとんどで、カメラマンさんの事務所から写真をピックアップしたり、外部のデザイナーさんと編集者の間を行き来する素材(MOディスク)などの受け渡しをしたり、ちょっとした写真をデジカメで撮りに行ったり、スタイリストさんの手伝いをしたり、必要な資料や物を借りに行ったりと、まだまだそこまでネットが発達していなかった事もあり、今だったらメールで送ってしまえるような事も、実際に運んだりして、頼まれた事は色々やるそんなバイトだった。

編集者という仕事の奥深さも知った。とにかくマガハの社員さんは優秀な人が多かった。大学のつるんでいる連中は決して高学歴ではなく、僕を含め地方出身の田舎モンだったけど、マガハの人たちはまじで高学歴で普通にしていたら出会わない人たちだった。でも鼻につく感じは一切無かった。バイト仲間も慶応でダンスサークルに入ってるとか、早稲田で演劇をしているなど、キラキラしてんなぁ!って人もいた。さらに『relax』編集部には魅力的な大人が集まってきた。ちょっと不良感やナード感あるんだけど、かっこいい人たちが。そんな編集部でバイトができて時給も良くて最高だった(社食も美味かった!)。デザイナーといえば車とか大手企業の広告だったりのグラフィックデザインが1流みたいなノリがあると思うけど、僕はこの経験を経て雑誌などのエディトリアルデザインにすごく興味を持った。編集する力の凄みを味わいまくった。今でも紙文化が好きなのはこの時の経験が大きいと思う。

そして学生が終わるタイミングで、フリーランスの契約に切り替えてもらい引き続き『relax』で働くことになる。つづく…

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