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『怒り』とやさしい言葉の間で声をあげる。 #編集後記

自分の身近な人たちも含め、『怒り』の声を本当によく聞くようになった。コロナ禍がきて、気づけば1年半が経とうかという2021年の夏。

いよいよ始まった五輪の一連のプロセス(事故や厄災ではなく、明確に原因がある)にも、まるで整合性がなく行き当たりばったりだった政策(未遂で止まったものも多い)にも、今なお奪い去られ続ける子どもたちの貴重な体験(論理的に説明できない謎ルールの数々)にも、たくさんの人が怒ってSNSなどで声をあげている。もちろん僕も怒ってる。

『怒り』を表わすときは、問題を生んだ構造とか、組織の仕組みとかに原因を見出さないとと思うけれど、なかなか苦しい場面も最近は多い。

国のリーダークラスからペラペラの軽い「言葉」が流れてくるとダメージは大きくて、曲りなりにも編集者として「表現」を扱う仕事をする(特に業界を率いるような方々の話を「言葉」にすることの多い)身としては、ふつうに心が折られる。

大した影響力を持たないことを悔しく思いながら、それでも毎回魂を込めて記事をコツコツつくっている。その傍らで、影響力のある人たちがもう言葉遊びにしか見えない言動したり、その道を歩んできた人たちが大切に使ってきた表現を軽々しく奪ったりしているのを見ると、「自分たちがやってる仕事って何なのか?」とどうしても一瞬思ってしまう。

「僕の原動力はね、怒りなんですよ」


「僕の原動力はね、怒りなんですよ」

最近仕事をご一緒している方が、少し前に、突然こんな発言をされたことがあった。

その方の活動は外から見ればすごくポジティブで、時代に合った方法を探しながらいろんな人に新しい提案をしていく。声を荒げることのない姿に『怒り』のワードは一見似合わなくて、最初ちょっと驚いた。

けれど同時に、その言葉を聞いて、これまでにもネガティブな感情を原動力にしている人たちをたくさん見てきたことを思い出した。

2017年に独立してから4年経つけど、「この人と仕事したい」「この人の話を聞きたい」と思ってきた相手は、原点をたどると「何でこうなっちゃうのか?」をエネルギーにする方がほとんどだ。保育や福祉の分野でも、ビジネス領域でも、ローカルの仕事でも変わらず、何かを成している人の背後には共通して健全な『怒り』があった。

特にコロナ禍では、静かな『怒り』を取材のなかで感じることはとても多かった。あえて1つ紹介したいのは、『保育アカデミー』に登壇した上町しぜんの国保育園の園長・青山誠さんの話。

この記事ができてすぐ妻に読んでもらったとき、「頭からすごい引き込まれた」などと感想をもらいながら、実はハッとすることを言われていた。それが「青山さん、怒ってるね」という言葉だった。

今読み返しても、青山さんの言葉はどれもやさしい。子どもへの視線もやさしい。

だからこそ、子どもの育ちを奪うような社会のあり方にすごく怒っていた。みんなで考え直そうよと講演の90分間、あらゆる言葉に換えて何度も訴えていた。

コロナが来て、人と人が“一緒にいる”こと自体がすごく脅威だと言われるようになってしまった。その中で今、子どもたちや保育者のしようとすることが、すごく脅かされているなと感じます。

でもね、“一緒にいる”からできたことって、本当はいっぱいあったじゃないですか。子どもたちの姿を思い返してください。僕ら保育者だからすごくよく分かる。

一緒だからおもしろいこと、うれしいことっていっぱいあって、人と人が“一緒にいる”ってむちゃくちゃ大きい力になるんです。

今の子どもたちが大きくなったとき、「子どもの頃、周りの大人たちって誰も自分の意見聞いてくれなかった」「信頼できる人なんていなかった」って経験をもし今していたら、その子たちがつくる社会って明るいでしょうか。

そうじゃなくて「すごく大変だったけど、みんなで一緒に考えながらいろんな楽しいことやったよね」「誰かひとりが責められたり、排除されたりしてなかったよね」と思えたのなら、社会に希望があるでしょう。

言葉の裏の静かな『怒り』は、構成や編集を通じて半分意識的に、半分は無意識に記事に染み込ませていたものだったのだと思う。もちろんそこが青山さんの講演の魅力だった。

そしてこの2本は、この上半期に公開された僕の編集・執筆記事のなかで、自分自身がもっとも感情を揺さぶられた内容になった。

(もちろん手応えとしても大きく、ある程度「よく読まれた」と言える数字やSNSのシェアにも現れたし、先日はある場で読書会の題材として扱ってもらい「みんなで読んで感動していた」などとコメントも頂戴した。すごくありがたい)

誰かの「言葉」を届けさせてもらう仕事は、


誰かの「言葉」を届けさせてもらう仕事は、とても勇気がいるし、おそろしいことをしてるなという自覚もある。優しいメッセージの背後に、やり場のない憤りが含まれるなら尚更。

だから、記事が公開される瞬間はすごく緊張する。URLが送られてきてもすぐクリックできないことも多い。それを「人から言葉を預かる責任」を果たすプロセスの1つと思っていたけど、一方で最近は、その先の「一番大事な責任」に向き合いきれてなかったかも、と考えるようになった。

それはやっぱり理不尽な状況とか変わらない社会とかに、あまり自分を主語にした文章を書いてこなかったから。(僕はこうやって「自身の言葉」を書くのにすごく時間がかかるから、noteだってぜんぜん更新してこなかったし、『怒り』を発信することもあまりしてこなかった)

でも、ふと今「何かが違う」「これっておかしい」ものを見ればどうだろうか。僕らが声をあげなかったもの、あげ足りなかったもの、他にもっと強い声があったものばかりな気がしている。

今ある負債は過去からずっと地続きで、今の僕らの暮らしの直接の負担や、少し離れた場所で進行してしまっているものへ違和感に現れていく。そしてそれを次に背負うのは、まだ幼い(とてもかわいい)自分の息子や娘たちの未来になる。

子どもらに「お父ちゃんらのせいで」と言われないことって何かなと改めて考えると、仮に黒子的な職業としても、『怒り』の声をあげない理由にはならない。誰かから受け取った「言葉」を届けるために、僕自身もそこに自分の「言葉」を重ねなくちゃもう申し訳ないなと思い、その方法をこの数ヶ月ずっと考えていた。

自分なりの「編集後記」を通じて、声をあげる。


自分なりの「編集後記」を通じて、声をあげる。

長々書いたけど、これが今回の結論であり密かな宣言。このnoteは実は前半部分はだいぶ前からできていたのだけど、アクションなしに吐き出すのものなぁ……と思ってずっと留めていた。(そもそもそれがよくなかったのかも)

『怒り』を含めた「もっとこうなったら」の声を、僕は仕事でたくさん渡していただく。今までは記事を無事に公開して、少なくとも自分の周り、SNSやコミュニティでシェアしていくまでが義務だと思ってたけど、より自分ごと化するために「編集後記」を始めることにした。


僕はインタビューや対談記事を構成するときも、話者のメッセージで終えていることが多い。だからこそ、制作に関わった1人として、別の場所で一人称で解釈を発する意味は少しあるだろうと思う。もちろん、仕事していて砕かれそうになる一瞬があったとき、自分の実践と絡めて健全な『怒り』に変える場所をつくっておきたい気持ちもある。

仕事柄、やっぱり人の言葉をお借りする機会は多いと思うけど、それを僕自身の言葉を添えながら、世の中に丁寧に表わし直す。やさしい言葉で『怒り』を伝えてくれる人の傍にいる以上、それは自分の役割の1つ。

今回のnote、青山さんの記事を紹介した意味でその第1弾でもあるけれど、いろんなインタビューや対談記事などで、僕個人の手応えや自分のなかの後の変化を書いていく。周りの反応なんかもシェアしていきたい。

あとは同時期の記事が、まったく違う企画なのに「同じことを示してるな」と感じることも多いので、そこに補助線を引くような、違う領域をつなぐようなこともしたい。

僕自身が「こうなってほしい」という声をちゃんとあげることが、息子や娘にもうちょっとマシな時代を残してあげるためにやっぱり必要だと思って、今そんなことを考えている。

https://twitter.com/masashis06


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