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「なんで?」の先にある未来。

編集者として仕事をしていますが、最近になって、「なぜ?」「どうして?」という“Whyの問いかけ”がもつ力を、すごく実感するようになりました。

それは、Webに軸を移して以来、いろんな方へのインタビューをさせていただく機会が増えたから……。というのもあるけれど、イチ親としての、自分の子ども(3歳の息子と娘)との会話が実はきっかけです。

いわゆる「なぜなぜ期」ですね。笑

上のツイートをしたときはまだ息子だけでしたが、今は娘も完全にこのモードに突入。細かな行動(「なんでそこに服かけたん?」とか)から、好み(「なんで今ビール飲んでるん?」とか)まで、毎日ひたすら質問を浴びせてきます

他愛もない疑問も多いぶん、答えるのも結構難しいのに(ええやんビール好きなんやから、、とか一瞬思う。笑)、3歳児はその先の追求も、簡単に手を緩めてくれません。やばいです。

やばいですが、そんな彼らと会話をしてるとき、ふと「言葉に向き合う」仕事のヒントを感じることがあったので、今日はそんな話をちょっとだけ。

子どもの「視点」と「掘り下げ」の強さ

息子の質問も娘の質問も、シンプルなだけに延々と畳み掛けてきます。基本、ゴールはありません。

(昨日出かけたときの車のなか)
「なんで信号赤なったん?」
「横の信号が青になってるからね」
「なんで横が青なん?」
「横におる車が前に進めるようにやね」
「なんで前に進むん?」
「ええ、なにか用事あるからちゃうかな」
「どうして用事あるん?」
「ええと……」

はぐらかすつもりはなくても追求は容赦ないし、こっちが満足に答えられなくても、切り替えてすぐ横を掘り始めます。上だと、用事の話が「人はなぜ働くのか?」みたいになったりします。笑

あとは「なんで」のあいだに「どうして」を織り交ぜてリズムを微妙に変えてくるのも、固まりかけたこっちの思考を再び突いてくる、なかなかのテクです。

で、これを浴びてて思うのが、なにげない現象とか、自分の行動とか、好みや思考のパターンって、「言語化できてないもの」がすごく多いんだなということ。

それに対して、子どものめちゃフラットに疑問を抱ける視点、何よりその徹底した問いの掘り下げで、世の中とか自分の内側に隠れていた言葉が出てくるのが、めちゃおもしろいなと思うんですね。
(もちろん、受けるこっちの気持ち的なキャパも大事です。。)

“「なぜ?」を4回重ねると、物語が出てくる”

これは、僕自身の言葉ではないんですが、以前、「PR Table」の菅原さんがイベントで語っていた、企業が抱えるストーリーの掘り下げ方の一つ。

「相手に絶対なにかある」と思ってくれ、と。取材で仮に事実しか言われなくても、別にその人は冷めた人じゃなくて、絶対に熱いもの、原体験があるから、そういう目線でかかってくれということは求めますし、僕もそういう目線で取材をします。
「なんで?」って4回くらい聞くと、だいたいみんな出てくるんで。

すごく納得感があったので、僕もよく取材前にこれを意識します。特にインタビューを受けることに慣れていない人が相手のときほど、大事になる考え方です。

これはただの体感ですが、「なにがありますか?」「どうやってやったんですか?」といった、WhatやHowを問う質問は、相手の思考を止めてしまうことも多いんですね。もしかすると「明快な答えをしなきゃ、、」という気になりやすいのかもしれません。あらかじめ回答が用意されていない場合、急に答えるのが難しくなってしまうのかな、という気がしています。

「なぜ?」という問いは、それと少し違います。そもそも一言で示せる回答があることも稀なので、話しながら思考が巡りやすい。仮に質問が予想外で、その答えがあらかじめ用意されていなくても、「どうしてかって聞かれても、別に考えたことなかったなぁ……」と、その場で答えを考えてもらいやすいのが、Whyの質問なんだと思います。

(その結果、「もしかしたら、こういうことかもしれないですね」といった言葉がインタビュイーの口から出てくる。この瞬間って、言葉を扱う仕事をしているなかでの、まさに魅力というか大きな醍醐味だと思ってます)

僕は今まで、この「なぜですか?」を問いかける側の経験しかなかったんですが、息子と娘が「なぜなぜ期」に入ったことで、奇しくもそれを受けられる側になりました。Whyを繰り返されることの意味というか、その言葉がもつパワーを、日々めっちゃ突きつけられるわけですね。

子どもの場合、4回ではとても許してくれませんが。。

「思考の解像度」を高めていく

今、テキストメディアに関わる人の多くが、言葉の価値ってなにかな?と考えてるんじゃないかと思います。言葉にしなくても、情報をよりリッチにわかりやすく届ける手段は、どんどん出てきているからです。

実際、絶対に言葉じゃ伝えられないもの、言葉にした瞬間こぼれ落ちていくものも山ほどある。これは、言葉を仕事にしているからこそ分かる部分がたくさんあります。

じゃあ、それでも僕らがやるべきことや、提供できる価値はなにか。

それが、この“Whyを繰り返すこと”と、そこから生まれる言葉をとどめていくことなのかな、と思います。

人は、やはり言葉で世界を認識して、言葉で思考して、言葉で未来を描く。言葉をの掘り下げは「思考の解像度」を高めていくことにつながるし、そこから未来のための「新しい言葉」が生まれることもある

これまで仕事をして、そうじゃないかな、とぼんやり感じてきたことだけれど、今は幼い娘や息子と触れるなかで、彼らの「世界を言葉で切り取っていく喜び」を見ていくなかで、改めて言葉ってすごいんだなと日々感じています。

(今朝方ちょうど、ドミニク・チェンさんの『未来をつくる言葉』を読み終わって、さらにその確信も深めました)

言葉の限界を知りながらも、僕は「なんで?」「どうして?」を繰り返す仕事をしていきたいなと思うし、何度でもそれを繰り返せる人でありたいなと思っています。

@masashis06

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