僕がマラソンを走り続ける理由。
久々の渡米。ハワイへきた。
今回で何度目のハワイかは忘れたが、一人で来たのが生まれて初めてなのは確かだ。ある意味で、僕にとって重要な年内タスクを仕上げるためにきた。先に言っておくと、1週間ハワイに滞在する目的はただ一つ、ホノルルマラソンに出場することだけ。
年内にマラソンさえ走れれば場所はどこでも良いと思ってエントリーしたのがホノルルマラソンだった。なので、マラソン道具一式のほかに持ってきているのは、下着3枚、服1セット、新しい水着。PCとわずかなガジェットのみ。あえて「新しい水着」と書いているのには訳がある。なかなか気に入っていた水着を、どうやらあのエキサイティングな出来事のときに部屋に忘れてきたということが、つい最近になって判明した。まあ、そんなことは今となってはどうでもいい。
なぜ走るのか?
僕は年に最低でも1回はフルマラソンを走ると決めている。これまで日本では大阪マラソンに5回ほど、世界ではグアムとローマと今回のホノルルで3回目の大会だ。
根本的なきっかけは、忘れもしない。 2012年9月15日、ニューヨークに世界中の仲間たちが集い、夜中まで飲んだ次の日の朝。セントラルパークに集合して、みんなでランニングをすると言うのだ。そのタフさに驚きながらも、世界中のリーダーたちに負けてられないと僕も参加したのは良いが、ものの3分ほどで彼らのペースに全くついていけなくなり、気づいたときにはセントラルパークでひとり迷子になっていた。
あの時の悔しさは今でも覚えているし「こんな自分では、世界に通用しない・・・」と7年前の自分は心からそう思ったらしい。今思うと、あまりにも飛躍しすぎな28歳の自分が愛おしくもなる。
なぜ今も走り続けるのか?
僕は世界のために走り続けている。恥ずかしげもなくそう言えるのは、それが僕の本心だからだ。
「後藤さん。マラソンはね、僕にとっての健康診断みたいなものなんですよ。完走できたら健康。さらにレース前夜にワインを1本あけて完走できたら絶好調。やっぱり何かを成すためには健康でないとね。」
古希を迎えられた尊敬する恩師が教えてくれて以来、僕は自分なりの健康診断としてフルマラソンを活用している。なぜなら僕が生きていることで、より良く変化していく世界の可能性を僕は信じているし、そのためには健康であり続けることは必須条件。だから僕は世界のために走り続けていると言ってる。
ただし、現時点での僕のレベルではレース前夜にワインを1本あけることはまだできないということだけは付け加えておく(苦笑)僕もそういう年の取り方もしていきたいものだ。
まずはエントリーしてしまうこと。
日常の業務が詰まってくると、日頃のジョギングが少しおろそかになってくる。しかも最近の詰まり方は尋常じゃない。社内の全部門に加えて、新規事業の仕込みも2つある。家族で夕食をとった後のもうひと仕事。4時に起きて朝食までのひと仕事が続いてくると、朝も夜も走る時間がなくなってくる。そこに追い討ちをかけるかのように、今年はこれまで5年間走り続ける理由になっていた、大阪マラソンのチャリティーランナー枠もなくなってしまった。
「今年ばかりは仕方ないか・・・」と走らないための都合の良い言い訳は山ほどでてくるが、僕が世界のために走り続けることを決めたことと、その決めたことは現時点では無期限であることに変わりはない。
なので年1回の自分との約束を果たすために、ギリギリ間に合うホノルルマラソンにエントリーしたわけだ。自分の決めたことを、決め直すまでは絶対に曲げないのが僕の生き方。僕にとって決めることは、生きることそのものでもあるからだ。
目標が定まれば自ずと変容していく。
本番が近づいてくると、あれだけ走る時間がないと思っていたことが嘘のような日々になる。例えば昼ごはんをおむすびにして昼に30分ほど走れば5km。これを週2回で10km。
そして、ついに僕は思いついたのだ。通勤の片道をジョギングの時間にできることを。自宅からオフィスまでは18kmある。普通に電車で通勤すれば、ドアtoドアで45分ほどかかるが、18kmを走っていけば僕のペースでは100分ほどだ。これを週1回でもすれば、余裕で週28kmで月に100km以上トレーニングできるのだ。
このアイデアを実践したことで、これまでの自分がどれだけ言い訳していたのかがよくわかった。まあマラソンをする以前の僕がもしこの文章を読んでいたならば、かなりの狂気に共感どころか理解すらできず、画面をスワイプしてホーム画面に戻り別のアプリを起動するか、そのままスマホをしまって何もなかったかのような日々を過ごしていたのかもしれないが、今の僕にとっては極めて普通のことだ。
目的のために手段を選ばないといった次元ではなく、目的の高まりとともに手段を選び続けている。それまでの思考を完全にぶっ壊してでも。
なぜそこまでトレーニングするのか?
「あの地獄を知っているからだよ。」マラソンの話題になり、トレーニングの意義を聞かれたときに、僕は必ずそう答える。マラソンにおける地獄を知ることは、僕の人生の中でとてつもなく深い経験の1つになっている。トレーニングの量と、本番の質がここまでハッキリと比例するスポーツって他にあるのか?と思うほどに、完全にそれがイコールなのがマラソン。トレーニングを怠って走った大会の、30kmを過ぎたあたりから始まる地獄は、なかなか普通に生きていて経験できる苦しさの域ではない。まさに地獄なのだ。
逆に、トレーニングを重ねて挑んだ本番が天国かと問われると、マラソンを初めてから5年の中では、残念ながらまだ経験したことがないが、きっとその先に天国はあるのだと思うし、そう信じて毎回レースに挑んでいることだけは付け加えておく。
ラストフィニッシャーズの物語。
今回のホノルルマラソンで最も感動したのは、ラストフィニッシャーを飾った2人の日本人の物語だ。
一人目は72歳の日本人女性。驚くことに約17時間半かけてのゴールだったようだ。ホノルルマラソンは通常のマラソンによくある足切りタイムがないので、本人の意思次第で何時間かかってもゴールすることができる。ただし、経験者ならわかると思うが、マラソンは長時間になればなるほど、地獄の苦しみが増すばかりのスポーツとも言える。
それでも、彼女は朝5:00にスタートし、あの炎天下の中をひたすらに前へ進み、決して諦めなかった。他のランナーは遅くとも15:00にはゴールかリタイヤかの決着をつけているはずだ。そして完走を喜び合うか、リタイアを励まし合うかしながらディナーでも楽しみ、すでに眠りについたランナーも多いであろう夜の22:30。その時間まで彼女は、諦めずにずっと歩き続けたのだ。
それほどまでにゴールを目指す彼女の心底にある真意はわからないが、彼女がホノルルマラソンにかけた思いや、ゴールの先に見ていた世界に想いを馳せると、自然と涙がでてくる。
そして、その彼女とともにゴールまで歩み続けた、もうひとりの日本人がいた。彼は41歳の男性で、彼女とはコースの途中で初めて会ったようだ。偶然にも彼女が自分の母親と同じ年だということを知り、ともにゴールまで歩くことを決めたのだという。彼の優しさに僕の魂は震えた。彼は紛れもなく、みんなにとってのヒーローだ。
2人がゴールラインを越えた瞬間が、カラーでハッキリと見える。現地メディアで知っただけの、会ったことも見たこともない2人が歓喜しあってる光景をイメージすると自ずと我が情動が立ち上がってくる。
マラソンにナラティブあり。
金メダルの中には、一人ひとりの物語りが刻まれている。今回の最年長参加者は93歳のおじいさん。彼は定年退職後にマラソンランナーになり30年間走り続けているという。車椅子のランナーもたくさんいた。腕だけで、42.195kmを走るのだから、きっと相当なトレーニングが必要なはずだ。友達同士で走って励まし合ってる若者達。ひとりで黙々と走る少女。2人の赤ちゃんを乗せたベビーカーを押しながら走る夫婦。
その他にも無数に広がる一人ひとりのナラティブを、観客もスタッフもポリスも、あらゆる人達が全力で応援し、一人ひとりが未知の世界を、距離とともに発見できる道に変えている。
そして、その一つひとつのナラティブが、また次の新たな挑戦者の希望を喚起し、マラソン文化は年々育まれ続けているのだ。
マラソンと経営。
マラソン文化は、僕がつくりたい理想的な経営文化ととても近いところがある。世界中の老若男女が、自分自身の中にある大切な何かに挑戦するために大会に集い、タイムや順位を遥かに超えた感動体験がそこにはある。
速い人も遅い人もいるから、何万人が一緒に楽しめて、だからこそ大会全体の経営が成り立っていてサスティナブルなのだ。
そして挑戦する意志の弱い人は、自ずと途中リタイヤすることになる。能力も大事だが、意志の強さや思いやりの心が、ゴールするために最も大切だということはラストフィニッシャーズが教えてくれている。
次はどこを走るか。
本番が終わると、また次のマラソンを探し始める。その次の場所をイメージしているときの時間は格別だ。2020年からの3年間は、大阪とアムステルダムの2拠点生活なので、当分は日本とヨーロッパのマラソンを半年に1回ずつエントリーしていく予定だ。僕のマラソン・ナラティブはまだまだ続く。
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