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その7 「わからない」と言えない教室…(1265文字)

1  はじめに


 公立学校なのに…義務教育なのに…すべての子どもの学びが保障されない…。
 わかった子をつないで、7、8割の子どもが理解する授業。
 2、3割のわからない子は、わからないまま……。
 
 挙手は、わかった人だけの制度と言っても言い過ぎでない環境が「教室」には、できあがっていませんか。
 
 挙手について書いた『その4  挙手は絶対ですか?』とつながるところもあると思いますので、そちらも、もし良ければお読みください。

2 「わからない」と言えますか?


 「わからない」と言える教室環境、人間関係がありますか?
 「わからない」と言おうものなら、成績に影響したり、子ども同士で上下関係が作られたりしていませんか。

 このような現場を、子どもが経験することで
    わからない=恥ずかしい、恥じ
という事実が築かれていくと思います。

3  先生の視点

 

 私の知る教室では、先生自身が「わからない」と言うことを大切にしていたように思います。
 先生であっても完璧ではない、わからないことは、わからないのです。
 
 大人も学び続けるスタンスを大切にしていました。


4 授業で大切なこと


 先生が『わからなさ』を大切にするクラスでは、学級開きや授業の際に
「『わからない』を見つけるのが大事」 
「毎日新しいことを学ぶんだから、わからなくて当然」
「『わからない』と言えるのは、かっこいいよね」
「友達同士でわかりあおうとするからこそ、学校に集まって勉強をする意味がある」
等と話すのをよく耳にしました。
 
 また「わからないこと、ありますか?」「お隣の人と話をしてて、わからなかったことをみんなに教えてください。」と問うて、挙手よりも、わからなさそうにしている表情を見取ることも大切にしていました。
 
 ペアやグループ活動では、わかったことを話し合うこともありますが、ベースは、わからないことを聴き合うことが大切かなと思います。
 
 わからないこと、できないことは、学びのきっかけ、入り口になるはずです。
 ひいては、それが他者理解、自分理解を深めて、上下、優劣のないフラットな関係性を築くきっかけにもなるのではないでしょうか。
 
 「わからない」と言えるフラットな関係性のある集団づくりをするからこそ、学校で学ぶ意味があるのだと思えてきます。
 
 一斉指導や講義型の授業であるならば、家にいてタブレットを開けば、事足りる時代になったのかなと感じます。

5  おわりに


 少し話が飛躍しますが、これからは『変化の時代』です。
 未来の社会は、誰にとっても予想が難しいものになっています。
 つまり『わからない』時代だと認識しています。

 未来では、タクシーの運賃が無料になると考える企業もあるようです。
 今までの価値観では「わからない」のです。そして、また、唯一解ではないはずなのです。
 
 未来の姿からも、またそれ以上に、目の前にいる『すべての子ども』の姿からも「わからなさ」から学び合う学校教育・授業観・教育観に、まず大人がアップデートする必要があるのではないかと思う今日この頃です。


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