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サッカーとの出会い(幼少期~中学入学)

2022年7月23日 日曜日
今日は自分のサッカーについての出会いと今に至る経緯を綴ろうと思います。ヘタクソで決してサッカーエリートでもないただのサッカー好きが、まだ懲りずにサッカーを続けている今に至るまでのお話です。

・幼少期(兵庫県時代)
サッカーボールを蹴っていたのは記憶にある範囲では幼稚園時代。
当時兵庫県の西宮市に住んでいた僕は、よく父に弟と一緒に武庫川という川の河川敷に遊びに連れて行ってもらっていました。
そこではキャッチボールやサッカーボールを蹴ったりして遊んでいたような楽しかった記憶があります。
実は小学校1年生の時に大阪に引っ越してきてから今まで大阪で暮らしているため、幼稚園や小学校1年生時代の記憶があまり多くなく(当時の友達も引っ越してからは特に関わることもなく育ったので、景色も含めて思い出を話したり思い返したりすることが少なかったからだと自分では思っている)そこまで深い記憶があるわけではないのですが、一つエピソードとしては家から少し離れた大きいグランドのある公園である日無くしたサッカーボールを、阪神淡路大震災の時に家族で避難した時にたまたま発見してそのボールを蹴っていたことは覚えています。
あとは小学校時代に友達の家でサッカーのゲームをしていたり、クリスマスプレゼントにロックマンのサッカーゲームをサンタさんが持ってきてくれたりなど、当時から漠然とサッカーには興味があったんだと思います。

・小学校(大阪へ引っ越し)
大阪へ引っ越してきてからは習い事でサッカーとソフトボールに通わせてもらっていました。
サッカーの習い始めは小学校2年生の時だったと記憶しており、地元にあった泉大津JSCアルザスというチームに入りました。
平日学校終わりにサッカーの練習、週末はソフトボールの練習に行くというようなイメージだったと思います。
父が野球好きなこともあり、練習や試合はソフトボールのほうが印象としては強く残っており、土曜日の学校終わりに家に帰って吉本新喜劇を見ながら焼きそばを食べ、ソフトボールの練習に行くというようなルーチンだったような気がします。
サッカーの練習でいえばリフティングが苦手で嫌いだった思い出があるかな。
低学年中学年の時のポジションは記憶になく、たまたま5年生の時にコーチに「キーパーやりたいやつ!」と言われその時に手を上げ、そこからゴールキーパーとしてプレーしました。
当時は身長が低く、背の順でも前から4番目ぐらいのチビでした。体格もよくなければ筋力もなく、ゴールキックの時はセンターバックの子に代わりに蹴ってもらっていたキーパーでした。それでも小さいながらになんとかボールに食らいついて止めようとプレーはしていました。今思い返すとソフトボールをやっていたことも少しは影響していたのかもしれません。逆にソフトボールの試合時でも、サード(ソフトボールのサードはポジショニング上バッターとの距離も近く、右バッターの時は強烈な球が飛んでくることが多い)を守っていた時に強襲のボールを体で止めてサードゴロにするなど、守備は比較的得意にしていたと思います(肩は弱かったので1塁送球に難ありやったけど笑)。
ある日のサッカー合宿で色んなチームが合同で練習する場面があって、ゲームでめちゃめちゃ失点したりホームシックにもなったりしてその時はよく泣いていた記憶もあります。
今改めて思い返すと、小学校時代はどちらかというとサッカーよりソフトボールのほうが得意だったような気がしますね。週末もソフトボールの試合がない日はサッカーの試合に行くみたいな感じも多かったように思います。
ちなみに小学校のクラブ活動はサッカー部に入っていました(野球系はなかったように記憶してます)が、同じ校区内でも弱小校でした。通っていたクちゅうラブチームも弱いチームだった為、サッカーに関しては個人もチームもいい成績を残せていたとは言えませんでした。しかしソフトボールに関して言えば、同地域内ではそこそこ強いほうで、地域の少し大きな大会でも少しはいい成績を残せていたように思います。

・小学校卒業(サッカーと野球の分岐点)
小学校時代にサッカー、ソフトボールとどちらも経験することが出来、いよいよ中学校へ進学。スポーツ活動もサッカー、野球とどちらも選択することはできなくなった僕がまず体験に選んだのは、地元の硬式野球チームの練習でした。確か中学に入学する少し前の時点での体験練習だったように思いますが、その時の練習自体はソフトボールを続けていたこともあってこなせてはいたと思いますが、初めての硬式野球、体の大きい先輩方に緊張していた疲れなのか、その練習後に高熱を出して寝込んだ記憶があります。
そこからそのチームの練習に行くことはなくなり、中学校のサッカー部に入ることにしました。ちなみにこの時なぜ野球部じゃなかったのかは全く覚えてません。硬式野球に練習に行った時の高熱のトラウマでもあったのかな(笑)。。

・中学校入学(まさかの部活選択)
そんなこんなでサッカー部に入部した僕は、そこで衝撃の事態に直面します。
入ったばかりのサッカー部が、一瞬にして消滅したのです。
理由としては2つあって
①当時の先輩方の素行が極めて良くなかったこと
②顧問の先生が他校に転勤になったこと
が原因で、入ったばかりのサッカー部は一瞬にして消滅したのです。
はっきり言って衝撃でした。そんなことあるのかと。サッカー部の無い中学校があるのかと。。
そこで僕が取った部活動の選択は、野球部ではなく”陸上部”への入部でした。今考えてもまさかの決断でしたが、当時の僕にとってみれば「いずれサッカーができる時に必要な体力をつけるため」の入部でした。一応僕が行っていたところの陸上部では大阪府でも上位の学校で(特に女子は全国区)、学歴的にも優秀な人たちが在籍していたクラブでもありました。結果的には数か月で辞めることにはなるのですが、この時の決断のおかげでこの後今に至るまでサッカーを続けていた要因となったように思います。


書き続けているとダラダラ長くなってきてしまっているので、今回はいったんこの辺で。稚拙な文章にお付き合いいただきありがとうございます。

つづく。

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