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会社を辞めて占いで起業した私の自己紹介

はじめまして!たいせいです。noteをスタートする前に、自己紹介の記事をたくさん読んでみました。そこで、まずは自分のことをみんなに知ってもらうのが良いということを学びました。

さっそく書いてみることにしましたので、最初に自己紹介をします。

幼少期の思い出



私の本名は別にありますが、仕事では「二代目竹本泰成(たいせい)」と呼ばれています。
広島県の出身で、18歳まで広島で過ごしました。

なぜ「二代目」なのかというと、父親が初代として活動していて、その名前を引き継いだからなんです。だから私は二代目として活動しています。

私が生まれる前、父親はいくつかの仕事を経験しましたが、最終的には運命鑑定士としての道を選びました。

我が家は父親が占い師という特殊な家庭環境で育ちました。食卓での会話はいつも父親が「数理姓名学」について話すことばかりでした。毎日聞いているうちに、自然に覚えてしまいました。まさに英才教育を受けて育ったのです。

夕食の時間にはテレビからニュースが流れていました。ニュースでは当日の事件について報道されていました。すると、父親は事件の犯人の名前や年齢から即席の鑑定を披露してくれたんです。彼の即興の分析で、なぜその犯人がその事件を起こしたのかや、犯人自身の運の悪さ、そして名前と生年月日の組み合わせの重要性を教えてくれました。

当時、母親は美容院を経営していました。最初は母親は父親の占いを真剣に受け取っていませんでしたが、食卓での「講義」が日常化していくうちに、彼女も自然と数理姓名学を使って自分のお客さんたちに勝手なアドバイスをするようになっていました。

父親から聞いた話


父親から聞いた話ですが、1980年頃のエピソードを紹介します。

広島の百貨店で開催された新春イベントに父親が出演したときのことです。「初春占い師4人競演」というイベントで、異なるジャンルの占い師4人が集まり、お客さんの占いを行いました。
その4人は、「九星気学」の先生、また「四柱推命」の先生、さらには「西洋占星術」の先生、そして父親の「数理姓名学」でした。

最初の日は、父親の前にはあまりお客さんが並ばなかったそうです。他の先生たちは少し父親を馬鹿にしていたみたいですね。

ところが、2日目から状況が一変しました。父親の前には長い列ができたんです。前日の数理姓名学の鑑定精度が評判になり、お客さんが増えたんです。父親を見下していた他の先生たちはとても驚いたそうです。彼らは最後に父親に聞いてきたんです。「先生はどんな鑑定法を勉強されているんですか?」
当時の数理姓名学はまだプロの間でも知られていなかったんです。

数理姓名学に助けられた会社員生活


私は大学を卒業して日本で最大手の証券会社に入社しました。当時は「ノルマ証券」と言われていて、数字に厳しい環境で働ける自信はありませんでした。

最初に配属されたのは九州の佐賀支店でした。大学を卒業して間もない私は、少しコミュニケーションに苦手意識を持っていました。営業など絶対にやりたくないと思いながら入社してしまったのです。

最初の仕事は地元の会社経営者や医者などの富裕層の顧客を開拓することでした。

飛び込み営業をしてもなかなか会えず、会えても上手く話せないから逆に会えてしまうと困る、とまで考えていました。結果的に営業成績は最下位近くでした。教育担当の先輩からはコミュニケーション能力の欠如を心配される始末でした。

実は当時彼女もいて、彼女にはいつも「会社を辞めたい」と愚痴っているほど、私自身も情けない男でした。

鬱になりかけた私は、あるアイデアを思いつきました。

「そうだ、数理姓名学を使って営業に活かそう!」

数理姓名学を使えば、自分と相性が良くてお金持ちで投資に興味がありそうな人を見つけることができるんです。「これならうまくいくかもしれない!」

当時コンプライアンスの規制はまだ厳しくなかったので、見込み客のリストを持ち出し、飛び込み営業のフリをしながら朝から喫茶店に行きました。一人ずつ見込み客の名前と生年月日を分析し、自分に相応しい人物だけをピックアップする作業を一日中続けました。
そして、自分と相性の良い人々にだけアプローチを続けると、驚くようなことが起きたんです。

偶然かもしれませんが、これまで全く相手にされていなかった人たちが簡単に会ってくれるようになりました。さらに相性が良かったので、私の提案を素直に聞いてくれて、大きな契約を取ることもできるようになったんです。

私の営業成績は着実に上がっていきました。

また、数理姓名学を使って自分自身の運の循環も分析し、行動に反映するようになりました。

運の良いタイミングでは、時期に合わせて集中的に行動し、結果を出すことができました。運の停滞期では、慎重な行動を心がけることで失敗を未然に防ぐことができるようになったんです。

数理姓名学を正しく活用できたおかげで、私は厳しい職場環境でも3000人いるセールスの上位1%に入ることができました。さらに成果を上げたことで、営業の統括責任者のポジションを任されたり、支店の経営を任されるなどキャリアを築くことができました。

また会社の中にいると、半年に1度のペースで人事異動が行われます。人事異動のたびに上司や先輩そして同僚たちを勝手に分析していました。

なぜかある特定に人だけがどんどん出世していったり、あるいは不祥事や社内の異性問題で失脚や左遷する人などいろいろあります。その度ごとに数理姓名学のデータを蓄積していきました。

出世する人には数理姓名学的に一定にパターンがあります。また人生の途中で曲がった方向に向かっていく人にも一定のパターンがあることがわかりました。

人生の転機


今から約5年前のことです。

父親の認知症が強くなり、年齢の影響もあってますます悪化しました。

父親の自宅を整理している際に、たくさんのノートを見つけました。そのノートには父親が40年以上にわたって集めた鑑定データが詰まっていました。一般の人には価値がないように見えるかもしれませんが、私にとっては宝物でした。このノートを解読し、役に立つ形で活用できるのは私しかいないと思いました。

ちょうどその時、証券会社の支店長のポジションを辞めることになり、会社を去る決意をしました。

お世話になった会社には社会人としてのキャリア形成をさせてもらったことに大変感謝しているのと同時に、30年間に数理姓名学のデータを蓄積できたことにも感謝しています。

2019年10月に長い間お世話になった会社を離れ、まもなく数理姓名学研究会を設立しました。

私には小学生の頃から英才教育を受け、50年間数理姓名学を研究し、父親の代から集めた70,000人以上の鑑定データがあります。また、30年間証券マンとして経済の最前線で働いた経験もあります。これからは両方のキャリアを合わせ数理姓名学を多くの人に役立つ形で提供していきたいと考えています。



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