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ローゼマイヤー 下

第5章 笑顔

 サーキットでは鬼神のごときドライビングを見せつけていた彼だが、その性格は爽やかで屈託なく、何よりレースを愛し、そして楽しんでいる1人の青年だった。
 ドン・ノイバウアーもローゼマイヤーの才能を高く評価していた。1936年シーズン、彼がヨーロッパ・チャンピオンになるとノイバウアーは彼を「第1級公敵」に定め、その打倒のために頭を捻るようになったが、時々、自分はなぜ早いうちに彼に目をつけメルセデスに引き入れなかったのかと愚痴をこぼしていた。

 1936年最後のレース、マサリク・グランプリでローゼマイヤーはとんでもないことをやってのけた。
 スタート直後、例のごとく一気に飛び出したローゼマイヤーを、私は後から追った。このレースは狭い公道を用いて行われていた。その狭い道を彼は鬼気迫る勢いで駆け抜ける。私は必死で追いすがった。
 しかし私が与えていたプレッシャーが功を奏したのか、彼は無謀な勢いでコーナーに飛び込み、コースアウトしてジャガイモ畑に突っ込んだ。私は労せずしてトップに立ち、そのまま勝ちを拾えるかと思っていた。

 だがその時ピットでは大騒ぎになっていたのだ。ローゼマイヤーは壊れたマシンから這い出すと、2.5キロメートルも走ってピットに戻り、新しいマシンに乗り換えてレースに復帰しようとしていたのだ。
 それを知ったドン・ノイバウアーは慌てた。既に私に対し「ライバルは消えた。エンジンを労わって走行しろ」というサインを出した後だったのだ。
 そのサインを見て私はペースを落とす。
 次の周で私がビット前を通過した時、ドン・ノイバウアーは何のサインも示していなかった。私は命令に変更無しと考え、落としたペースのまま走り続けた。

 しかし後から聞いたところドン・ノイバウアーは私に「全力走行」の指示である赤旗を出そうとしていたというのだ。だが私がピット前を通過する瞬間、後から忍び寄っていたローゼマイヤーがドンを羽交い締めにし、サインを出すのを封じ込めていたのだ。
 新しいサインを出せなかったドンが慌てて後ろ振り返ると、そこには大笑いしながら新しいマシンに飛び乗り、私の追撃に向かうローゼマイヤーの姿があった。
 その笑顔を見たドンは怒るのを忘れて大笑いしてしまったそうだ。

 このレース私は追いかけてきたローゼマイヤーを振り切って勝ったが、彼も3位を獲得した。

 私とローゼマイヤーはレースではライバル同士死闘を演じていたが、サーキットの外ではとても仲が良かった
 バンダービルト・カップというレースに出場するためにアメリカへ向かう船で、私はローゼマイヤーと一緒になったことがあった。その時私は新婚で、妻を同行していたのだが、ローゼマイヤーが船室に現れ、私たちに結婚祝いとして可愛らしい白鑞器の水差しをプレゼントしてくれた。彼はレースで私を下して勝ち、賞金2万ドルを手に入れたが、私と妻は「彼も新所帯を持ったばかりで物入りが多いからね」と笑ったものだ。ローゼマイヤーも新婚ホヤホヤだったのだ。

第6章 挑戦

 1937年、タイトル奪還に燃える我々メルセデスは、アウト・ウニオンに競り勝ち、ヨーロッパ・チャンピオンの称号は再び私のものになった。
 この年のローゼマイヤーはマシンの不調に泣かされていたのだが、1つだけ彼の溜飲を下げる出来事があった。シーズン終了後に彼はポルシェ博士の製作した特別製のPヴァーゲンで速度新記録を樹立し、世界で初めて時速400キロメートルを超えた男になったのである。

 ……だが、その記録は今日私が破ってしまった。
 再び不安が私の頭を過ぎる。
「……俺たちも行ったほうがいいだろうか」
 小さくマンフレートが言った。すでにノイバウアーは記録測定の現場へと向かったが、我々は動かずにホテルで朝食をとっていた。
 先ほどから、不安がひっきりなしに私の背中を小突いている。
「ここでじっとしていても落ち着かないな……。行こうか、マンフレート」
 彼がうなずくのを見て、私は席を立った。

 私が現場に着いたときには既に準備は整い、ローゼマイヤーのスタートを待つばかりとなっていた。
 そこは、わずか数時間前に私がスタートした時点と全く同じ場所だ。アウト・ウニオンもこのアウトバーンを使って新記録への挑戦を行うつもりなのだ。
 早朝に実験を行った我々の時とは異なり、あたりには大勢の観客が詰めかけ、人だかりができていた。
 私とマンフレートは路肩に車を止め、人混みの中をかき分けて進んだ。
 幾人かの野次馬が私の顔を見て驚きの声を上げるが、それを無視して私はアウト・ユニオンのスタッフが集まっているところに向かう。

 太陽は中天に差し掛かっている。私が走った時より、明らかに大気は不安定になっていた。周囲の森が風を受けて大きく揺れている。
 私の目に、銀色に輝くアウト・ウニオンの記録挑戦車が飛び込んできた。我々が記録を出したマシンよりさらに車高が低く、全体を流線形の鋼板で覆われているその姿は、まるで地面に寝そべった巨大なエイのように見える。
 天才ポルシェ博士が考え抜いて設計したマシンだ。その姿はたくましく、秘めた力がにじみ出てきているようだった。
 その銀色のマシンのコクピットに収まっているヘルメットを私は見つけた。その時、私の体を再び不安が駆け抜ける。

 コクピットの人物が私の方を向いた。
「ルーディ、来てくれたのか!」
 コクピットの人物はヘルメットを外すと、私に向かって手を伸ばしてきた。
 丁寧に整えられた金髪。面長の顔。そして輝くような笑顔。ベルント・ローゼマイヤーはすでにコクピットに収まり、記録に挑むその時を待っていた。
「ルーディ、新記録達成おめでとう」
「あ、ああ、ありがとう、ベルント」
 私はしどろもどろにそう言いながら、彼の手を握った。レーシング・グローブに包まれたその手は、興奮しているのか、とても熱かった。
「けど残念だったね。君の記録が残る事はないよ。これから俺がまた新しく塗り替えてしまうから」
 屈託なく微笑むローゼマイヤーを見ると、私が言おうとしていた言葉は喉に貼りついたまま出てこなくなった。
 しかし意を決し、唾を飲み込んで私は行った。
「ベルント、横風が強くなってきている。測定を延期したらどうだ」
 その言葉を聞いたローゼマイヤーは、一瞬考えるような表情を見せたが、すぐにまた笑った。
「大丈夫さ。俺はついてるんだ」
 顔は笑っているが、その瞳には自分の記録を抜かせはしない、と言う闘争心が燃えていた。
 抜かせないためには、今日でなければダメなんだ。だから、危険でも走らなければならない。
「カラッツィオラさん、下がってください。これから測定が始まります)
 スタッフが私の肩に手をかける。
「ルーディ、見ていてくれよな」
 彼はそう言って再びヘルメットかぶった。バイザーの奥で彼の笑顔は消える。眼光鋭くゴールを見つめるレーサーの表情へと変わる。
 スタッフが私とローゼマイヤーの間を遮る。何者かに押されて、私は彼からどんどん引き離されていった。

 言ってやりたい事はもっとたくさんあった。しかし、私はもう何も言うことができなかった。
 ……人混みに遮られて、白銀に輝く記録挑戦車が見えなくなると、私は踵を返し、ゆっくりと人ごみから離れていった。

 忘れていた冷たい風が頬に当たる。風はさらに勢いを増していた。
 私はポケットに手を突っ込み、誰とも目を合わせないようにして自分の車まで歩いてきた。運転席に腰を下ろすと、隣にはマンフレートが座っていた。
「行ってしまったか」
「……ああ」
 ハンドルに突っ伏した私を途方もない虚無感が襲っていた。
 外から歓声が聞こえた。測定がスタートしたのだろう。同時にアウト・ウニオンのV16エンジンの咆哮がフロントガラスを震わせる。
 私が突っ伏したハンドルにも、その振動がビリビリと伝わってきた。
「スタートしたな」
「……」
 甲高いエンジン音が、ひときわ高く鳴り響き、それがだんだん遠のいていった。
 しばらくすると、エンジン音がまた戻ってくるのが聞こえた。
 新記録樹立。そんな歓声が聞こえるのかと思いきや、それはなかった。
「これは、記録達成はなかったな」
マンフレートが言った。
 おそらくそうだろう。このコンディションでは、今朝私が出した記録を塗り替える事は難しい。
 しかし、アイドリングの音はまだ止まっていない。再び歓声が上がった。
 ……もう一度挑戦するつもりだ。
 その時、先ほどよりもいっそう高くエンジンが吼えた。
 慌てて私は車から降りた。すると、車内で聞いたよりも遥かに大きなエンジン音と振動が、私に襲いかかってくる。
 そして熱狂的な歓声。
 私は口の中に溜まった苦い唾を飲み込んだ。
 今度も無事に帰ってきてくれ、ローゼマイヤー……。
 私がそう思った瞬間、一陣の突風が森を揺らした。

第7章 突風

 今でもあの日のことを思い出すと、悔しさ、そして虚しさがこみ上げてくる。
 なぜ私は彼にもっと危険性を訴えなかったのか。そうでなくとも路面の状況や風の具合をもっとアドバイスしてやれなかったのか。
 心のどこかに彼に対する嫉妬があり、それが私に何も言わせなかったのではないか。

 事故が起こり、歓声が悲鳴に変わると、よろめいた私は車にもたれかかった。
 観客はみんな走り出していた。事故現場へと。
 少年が1人、私のそばを駆け抜けていった。私はその少年に尋ねた。
「君、何が起こったんだ!」
 少年は振り向いて叫んだ。
ローゼマイヤーさんがクラッシュしたんだ!
 それだけ言うと、彼は再び駆け出していった。
 その答えは私が予想していた通りのものだった。私はそれを確認しただけだった。
 私はどうしようもなく足がふらつき車に入った。
「……俺は行きたくないよ」
 マンフレートが言った。彼は助手席に深く身を沈め腕を組んでいた。その表情には、深い苦悶の色が見て取れた。
「俺も行きたくはないよ」
 私もそれだけ言ってシートに身を委ねた。
 マンフレートが呟いた。
なあ、どうしてこんなことが必要なんだろうな
 その問いに、私は答えることができなかった。

 私が記録を作り、それを追い抜くためにローゼマイヤーは今日、走った。わずか数秒、わずかな速度を塗り替えるために、彼は走った。そして帰ってこなかった。
 国家への貢献、技術進歩への貢献、そんなものはくそくらえだ。
 ローゼマイヤーはまだ若かった。才気溢れたその命は、どんなものにも代え難い。
 ……私たちは何のために走り、何のために死ぬのだろう。
 抗うことができない死神の手が、もがく我々を嘲るように魂を奪い取っていく。その後に、我々は何を残すことができるのだろうか。
 打ち立てた記録は、いつか誰かに塗り替えられる。そうしたら、後世の人々は、我々が命をかけて刻んだ記録など、気にも止めなくなるだろう。

 1人の人物が、静かにこちらに歩いてくるのが見えた。
 その顔には見覚えがあった。我がメルセデス・チームと、ローゼマイヤーの所属するアウト・ユニオン・チームの両方で専属医師をしているグレーザー医師だった。
 私は車から降りた。
 私の目の前まで歩いてきたグレーター医師は無表情に、ただ微かに寂しさをにじませていった。
「……死にました」
 その一言から、何もしてやれなかった彼の苦しみが窺えた。
「マシンから放り出されて、森の中に飛び込んでいました。仰向けになったまま、じっと空を睨んでいましたよ」
 ……まだ走るぞ、まだ走れるぞ
 命尽きた目で灰色の虚空を見つめながら、そう言っているローゼマイヤーの姿が、私の脳裏に浮かんだ。

 …… 2度目の挑戦の往路、最高速度達成の直前、強い横風がローゼマイヤーに吹き付けた。
 その時の速度は、時速440キロメートル。私の作った記録を上回っていた。
 風を受けマシンはバランスを崩した。直線での安定性に欠けると言うPヴァーゲンの特徴がここで現れてしまったのだろうか。
 路面上70メートルほど滑ってマシンは、その後、スピンしながらアウトバーンを飛び出していった。
 そして時速400キロメートル以上の速度で地面に叩きつけられローゼマイヤーは即死した。
 医師が話すローゼマイヤーの最後の様子を聞いて、私は彼の死を素直に受け入れている自分に気がついた。
 馬鹿野郎。死んでしまったら終わりなんだよ。
 若さと勇気と才能に恵まれ、遊びに行くような笑顔でレースに向かっていたローゼンマイヤーの姿が思い出された。
 私はうつむいているグレーザー医師の手を握りしめると、車内に戻ってイグニッションを回した。
 そして、未だ喧騒に包まれている現場を後にし、街へと走りだした。

第8章 終幕

 それから長い年月が経った。
 ローゼマイヤーが死んですぐ、長く悲惨な戦争が始まった。戦争の間、グランプリ・レースは中断された。私はスイスの山奥に引きこもって、戦争には背を向けて暮らした。
 それでも何度か国威発揚のためとかで、ヒトラーの運転手に駆り出されたこともあった。軍服を着せられてパレードする気分はあまり良いものではなかったか。
 戦争が終わり、すぐに私はレースに復帰したのだが、そこで生死を彷徨うような大事故に見舞われた。何とか生き残ることができたが、事故の際受けた怪我が原因で私はレースから引退することになった。
 結局、私はサーキットで死ぬ事はなかった。

 我らがメルセデス・チームは、戦争が終わって9年後、ようやく敗戦の痛手から立ち直りグランプリ・レースに復活することができた。
 南米から来たファン・マヌエル・ファンジオやイギリス人スターリング・モスといった新世代のレーザー達が、シルバーアローを駆ってグランプリ・レースを戦った。
 しかし、それもわずかな期間だった。
 1955年のル・マン24時間レースで、私の愛するシルバーアローは事故を起こした。マシンはそのまま観客席に飛び込み、死者82名と言う自動車レース史上最悪の大惨事となった。この事故を受けたメルセデスの親会社ダイムラー・ベンツは、以後全てのレース活動を休止することを宣言した。
 数々の栄光を勝ち取ってきたシルバーアローのマシンたちは、私の親愛なる友人ドン・ノイバウアーの手で封印された。
 こうしてメルセデスチームの歴史は幕を閉じた。もう二度とその姿をレースで見る事はない。

第9章 母子

 …… 1958年。私はあの事故の現場に来ている。
 ローゼマイヤーの死から20年が過ぎていた。今日ここで20周忌の式典が行われるのだ。
 フランクフルトからハイデルベルクへと向かうアウトバーンを降りた地点に、ひっそりと若くして散った天才への記念碑が建てられていた
 そこに花輪を捧げて、私は行ってしまった友人に哀悼の意を示した。
 私は彼の国葬の時を思い出していた。ベルリンで行われたローゼマイヤーの葬式は、ヒトラーの命令の下、国葬として執り行われた。
 ローゼマイヤーは民族の英雄だと言うのだ。本人がそれを聞いたら、大笑いしただろう。
 そう思いながら私は、マンフレートや他の仲間たちと、ローゼマイヤーの棺を担いで歩いた。
 静かにそれについてきた美しい貴婦人の姿を覚えている。
 取り乱すことなく、凛々しく立っていたその貴婦人の名前はエリー・バインホルン・ローゼマイヤー。ベルントの妻だった女性だ
 若くして寡婦となったエリーを、私は慰める術がなかった。

 それ以来、彼女と会う機会はなかった。だから20周忌の式典の後、声をかけてきた夫人が誰なのか、すぐに思い出せなかった。
「お久しぶりです。カラッツィオラさん」
「ああ……ローゼマイヤー夫人?」
 まだその呼び方をしていただけるのですね、とエリー・ローゼマイヤーは笑った。
 老いてしまってはいたが、あの頃の面影を残すエリーと私はしばらく話をした。
 夫人と懐かしい思い出を語り合っていた時、彼女の後から現れた人物に私は息を飲んだ。
 ベルント。あの時アウトバーンに散ったベルント・ローゼマイヤーが、私の目の前に立っていたのだ。
 私がよっぽど驚いた顔をしていたのだろう。夫人は微笑みながらいった。
「あの人とそっくりに育ちました。息子のベルントですわ」

 ああ、そうか。私は思い出した。
 ベルント・ローゼマイヤーは夫人との間にたった1人子供を残していたのだ。事故の時まだ生後2ヶ月だった子供の名前は父親と同じベルント。
 夫人はたった1人で幼いベルントを育てあげたのだ。そして幼いベルントは在りし日の父そっくりのすらりとした長身と金髪を持った青年に成長していた。
 私はその姿をうれしく見つめていた。まるでベルントが蘇ったようだった。

 3人で並んで歩きながら私は若きベルントに尋ねた。
「君はお父さんと同じようにレーシング・ドライバーを目指してはいないのかい?」
 幼い、いや、今は青年となったベルトは首を横に振った。
「いいえ。僕はレーシング・ドライバーになるつもりはありません。……僕は医者になりたいと思っています」
 彼の言葉には確固たる意思が込められていた。
 私は大きくうなずいた。
「そうか。……がんばりなさい。そして、お母さんを大切に」
 私の答えに、青年ベルントはにっこりと笑った。
 その笑顔はあの日のローゼマイヤーと、全く同じ笑顔だった。
 母の手を引いて去っていく青年ベルントを見送って、私は1人空を見上げた。
 あの日と同じ空の色だった。
 命を省みず記録へと向かっていったベルント。父とは違う道を歩み、人を助ける道へと向かうベルント。
 ……私は死ねなかったよ、ベルント・ローゼマイヤー。
 見上げた空を、一陣の風が吹き抜けていった。


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