見出し画像

企画展「グッズでめぐるテレビアニメと特撮の世界 収蔵品が語り継ぐコレクターたちの記憶」 基調エッセイ「テレビアニメとグッズ」

序に変えて
本展では、テレビアニメや特撮に魅了され、長年にわたり熱心に収集を続けてきたコレクターの個人コレクションを紹介します。 これらのコレクションは、単にアニメや特撮のファンとしての思い入れが詰まった、というだけのものではなく、日本のコンテンツビジネスの歴史を物語る貴重な資料でもあります。 アニメや特撮が、もはや単なる子ども向けの娯楽ではなく、大人も楽しめるエンターテイメントとして確固たる地位を築いた今、このコレクションが、日本のコンテンツビジネスを振り返る機会になれば幸いです。また、これらの作品が、なぜ私たちの心を魅了してやまないのか、その理由を考えていただく機会になれば、これ以上の喜びはありません。


はじめに

拡大し続けるコンテンツ市場

小さい頃にあなたが夢中になったおもちゃは何でしょう?怪獣ソフビ人形?テレビゲーム?プラモデル?それともカードゲーム?
世代によって様々な答えがあるでしょうが、そこに間違いなく大きな影響を及ぼしているのがテレビ番組です。テレビで放送されるアニメや特撮を見て、おもちゃ店に入ると目に飛び込んでくるのがテレビで見たヒーローやロボット、怪獣の関連商品でした。私たちはそれに夢中になった。

今やコンテンツマーケットは国内約10.6兆円規模の巨大市場となっていますが、そのうち8%ほどをキャラクター関連商品が占めています(経済産業省調べ)。このキャラクター関連商品、つまりグッズに私たちはどうして夢中になるのでしょうか。
日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』の放送が開始された1963(昭和38)年、アニメグッズは同時に産声を上げています。アトムは日本で初めて著作権表示をつけて商品化されたキャラクターでもありました。そしてその後コンテンツマーケットの拡大と共にグッズは多様な進化を遂げていきます。

毎週現れる怪獣をそのまま人形化した『ウルトラマン』、変身ベルトで子供たちの変身願望を刺激し怪人カードの熱狂を生んだ『仮面ライダー』、アニメの設定を商品に活かした超合金『マジンガーZ』や『コン・バトラーV』、精密なプラモデルでティーンエイジャーをターゲットにした『宇宙戦艦ヤマト』、そして「ガンプラ」で社会現象を巻き起こした『機動戦士ガンダム』……。他にもコンパクトやステッキなどで少女も虜にした一連の魔法少女アニメも。

グッズは映像を補完する

それらの中でも群を抜いてグッズの種類が豊富なのが1979(昭和54)年に放送された『機動戦士ガンダム』です。放送期間約9カ月全43話で終了した本作品は、その後爆発的な人気を博し、放送後40年以上を経た今も関連グッズが次々と発売され続ける巨大コンテンツとなっています。
『ガンダム』関連グッズの大きな特徴が、その世界観を補完するモノが多いことです。それまでのアニメ・特撮作品の多くが主人公や主役メカに関わるモノがほとんどなことに対し、『ガンダム』関連グッズはその作品世界に登場する様々なモノがグッズ化されています。主人公の敵であるジオン公国の送り出すロボット「モビルスーツ」が多数プラモデル化されただけでなく、作品内に登場する架空の一企業のグッズやキャラクターの衣装、さらにMSV(モビルスーツバリエーション)というプラモデルシリーズでは作品に登場しない設定画のみのモビルスーツや「モビルスーツの開発段階でこのような試作機もあったであろう」機体までも商品化されました。
これらのグッズによって『ガンダム』世界は放送終了後も枝葉を広げていき、続編となる作品が製作され、今もなお多くの人に愛されています。
40年以上という長い間人気を保ち続けているコンテンツは世界的に見ても稀です。ではなぜ『ガンダム』関連グッズはこれだけ人々に受け入れられたのでしょうか?

今回の展示にもあるように、『ガンダム』関連グッズは多彩で、また変化に富んでいます。例えばキャラクターと同じ衣装を実際にまとえる「コスプレ」関連のグッズ。『ガンダム』以外の多くの作品の場合、その衣装は名前が付いているキャラクターの衣装ですが、『ガンダム』においてはキャラクターとは関係ない軍服や階級章、さらに架空の企業のグッズまである。あまつさえ「おそらく軍隊で使用されているであろう」食器や衣服までも商品化されている。これは「そのキャラクターになる」のではなく「その作品世界に入り込んで楽しむ」ためのモノです。

こうなると単なる「ゴッコ遊び」には留まらず、より作品世界を楽しむためのツールです。『ウルトラマン』を演出したことでも知られる映画監督実相寺昭雄氏(1937~2006)は「立体は映像を補完する」と言いました。テレビで観る映像を手元に立体として触ることで作品世界への理解はさらに深まります。そして『ガンダム』ではさらに没入するツールとしてグッズが作り出され、作品世界を拡大しているのです。

ファン心を燃えさせる薪

アニメ評論家の氷川竜介氏は『ガンダム』について、リアリティをもった世界観を構築していくことで「『おもちゃ』のはずのガンダムが、『信じられるもの』に高まった」と述べています。また「観客が架空の世界観を信用して自我を預けて没入するための力」について信頼性や確実性を意味する「クレディビリティ」という言葉を使って分析されています(資料30)。
『ガンダム』関連グッズの中には私たちが平素の生活の中で「日常使い」ができるグッズもあります。こうなると作品世界が逆に、現実である日常世界を「浸食」していることにもなっているのです。

『ガンダム』をはじめとする日本のアニメコンテンツは今や世界中で注目され、高い評価を受けています。『進撃の巨人』『鬼滅の刃』などの作品が各国で人気を集め、イベントではコスプレイヤーが衣装の出来を競っています。また近年はグッズは自身の好きなキャラクター「推し」を周囲にアピールする意思表示のためのツールとしても用いられています。

……テレビアニメが始まった当初は、その人気に便乗して売上利益を出すためだけのものだったグッズは現在、多様な活用をされるようになりました。テレビアニメがファンの心に火をつけ、さらにくべられたグッズという薪によって火は大きく燃え上がる。そして制作者側はその燃え上がりを見てさらに作品制作に情熱を傾ける。この両者の相乗効果が日本のアニメを世界が注目するコンテンツに押し上げたといえるのではないでしょうか。


1.コレクターの入り口 ~アニメ雑誌~


『鉄腕アトム』(63年)から始まった日本のTVアニメ
は、それから約10年後、大ヒット作『宇宙戦艦ヤマト』(74年)を生み出します。この時にヒットを支えたのが、幼いころからアニメに親しんで育った当時のティーンエイジャーたちでした。彼らが成熟した購買層となったことで、TVアニメが「利益を生む・ビジネス」となることが知られるようになったのです。

『ヤマト』大ヒットの後、ティーンエイジャーたちの旺盛な購買欲の受け皿になったのが当時相次いで創刊されたアニメ雑誌でした。
今回展示されている「アニメック」(資料10、ラポート、刊行は78~87年。以下同様)や「月刊OUT」(資料11、みのり書房、77年~95年)の他、「ジ・アニメ」(近代映画社、79~86年)、「マイアニメ」(秋田書店、81~86年)、そして現在も出版が続く「アニメディア」(学研、81年~)、「アニメージュ」(徳間書店、78年~)「月刊ニュータイプ」(角川書店、85年~)といったアニメ雑誌はインターネットが無い時代に飢えたファンたちの貴重な情報源となりました。

これらの雑誌の内容は主に放送中のアニメの紹介や新作アニメの情報、そしてスタッフや声優へのインタビュー記事、読者投稿のページなどで構成されています。他にも今後の放送スケジュールや放送局などの情報も。これらがファンたちをよりアニメの深い世界へといざなう入り口になっていきました。

また他にも「版権絵」と呼ばれる、雑誌がアニメ制作会社から許可を得、アニメーターに描いてもらって掲載されたピンナップがあります。この「版権絵」は、そのアニメが放送されていない地域のファンたちの興味を掻き立てるものになりました。

これらアニメ雑誌は初期の頃、編集部が応援したい作品、いうなれば編集者自身がファンでありプッシュしたい作品の特集を組んで大々的にアピールすることも多くみられました。例えば「アニメック」は編集長だった小牧雅伸氏が、放送中はそれほど人気が出ていなかった『機動戦士ガンダム』(79年)に注目し、大々的な特集を組んでいます。また小牧氏はそれだけでなく『ガンダム』の監督をされた富野由悠季氏に直接訪問、インタビューを繰り返すことで作品の今後の展開や劇場版の情報などをスクープしていきました。

小牧氏のインタビューを集めた『富野語録』(ラポート刊、99年)

他にも「アニメージュ」の編集長を任された鈴木敏夫氏は、注目すべきアニメーターとして当時知る人ぞ知る存在だった宮﨑駿氏に着目し、「アニメージュ」本誌で『風の谷のナウシカ』を連載させ、そのアニメ化を推し進めていきます。

これらのアニメ雑誌が発信源となり、日本のアニメファンは確実に規模を拡大、そしてアニメ制作会社もアニメ雑誌を利用して人気の拡大を図っていったのです。

2.もう一度あのシーンが見たい ~フィルムブック~


ビデオデッキが普及する1980年前後まで、TVアニメは一度放送したら最後、再放送が無い限り二度と見ることができないものでした。劇場用作品についてはリバイバル上映やTVでの放送などで観る機会もありましたが、話数の多いTVアニメはよほど強い要望があった人気作品以外は再放送にも恵まれず、評価の高い作品であってもそのまま知られずに埋もれていくこともしばしばでした。

それでも「もう一度あのアニメが見たい!」というファンの希望に応える形で出版されていたのがフィルムブックです。フィルムブックは放送されたシーンを切り取り再編集した書籍で、「フィルムコミック」とも呼ばれます。今回展示されているアニメ文庫「ルパン三世 カリオストロの城」(資料65、双葉社)などもまさにその例で、宮﨑駿氏が手掛けたことで知られるルパン三世劇場第2作『カリオストロの城』をコミック化したものです。

それ以前にも『宇宙戦艦ヤマト』などで「ドラマ編」と呼ばれるレコードが発売されていまいた。これは劇中のセリフやBGMを録音してあるレコードで、劇中シーンが掲載されている同封のブックレットと合わせて見て、「脳内で作中のシーンを再現して」楽しむものでした。

その後、フィルムブックが人気を博したことでアニメファンは新しいアニメの楽しみ方を発見することになります。それは放送中には確認できなかった細かな描写やキャラクターの表情などを時間をかけてゆっくり楽しむことができるようになったのです。その中から「このシーンは誰が描いたのか」に注目が集まるようになり、一部のスタッフがスターアニメーターとして人気を集めるようになります。

宮﨑駿氏や大塚康生氏、『宇宙戦艦ヤマト』などに参加し、後に『機動戦士ガンダム』でアニメーションディレクターを務める安彦良和氏や、『伝説巨神イデオン』(80~81年)・『聖戦士ダンバイン』(83~84年)の湖川友謙氏、『超時空要塞マクロス』(82~83年)のキャラクターデザイン美樹本晴彦氏やアニメーター板野一郎氏、「金田パース」として後に多くのフォロワーを生み出した金田伊功氏などが当時人気を集めていました。

またフィルムブックには本編シーンだけでなく、設定資料など放送を観ているだけでは知ることができない情報が共に載っていることも多くありました。『新世紀エヴァンゲリオン』(95~96年)では、情報量が多い本編シーンがフィルムブックによってより詳細に読み取ることができるとともに、本編では示されなかった付加情報が掲載されているということで爆発的なヒットとなりました。

謎めいた展開を含めて大ヒットした『エヴァンゲリオン』。公式・非公式問わず多数の副読本が発売された

フィルムブックはビデオが普及して後も根強い人気を持ち、出版が繰り返されています。それはアニメファンの「より知りたい」欲求を満たすものでもあったからです。

3.より作品を深く知るために ~設定資料集~


ファンが成熟してくると、作品についてより深く知りたいという探求心が芽生えてきます。その需要を満たすために生まれた設定資料集は、1つの作品に対して網羅的に資料を集めた書籍です。設定資料集と名のついた多くの書籍はアニメ制作の元になる絵コンテや原画、ボツになって日の目を見なかった企画段階の初期設定やスタッフインタビューなどで構成されています。本来ならば表に出ることのなかったこれらの資料は、ファンの知的欲求をくすぐる物でした。

主な設定資料集としては徳間書店による「ロマンアルバム」シリーズや角川書店「ニュータイプ100%コレクション」などが刊行されています。
『機動戦士ガンダム』関連では同作品の制作会社である日本サンライズ(当時)から『ガンダム記録全集』シリーズが出版され話題になりました。これは日本サンライズが、ガンダムの人気にあやかって出版したものでしたが、こちらもガンダムの人気上昇に伴い大ヒットしました。他にも『機動戦士ガンダム』関連では『ガンダムセンチュリー』(みのり書房刊、81年)も注目されます。この書籍の中では本編で語られることのなかったモビルスーツ開発史や各種用語の説明、考証などが記載されており、その後の『ガンダム』世界の拡大に大きな貢献を果たしています。

『ガンダムセンチュリー』(みのり書房刊、81年)

また今回の展示品の中では『マスターピース ゼータガンダム』(資料44)、『マスターピース ダブルゼータガンダム』(資料45)にも注目です。こちらはガンダムの作品世界の中で出版されたものという体裁をとっている書籍で、それを読むことはアニメ作品としての資料を読むと同時に自分が作品世界の中の人間になって読むという二重の意味で楽しむことができるものになっています。

これら設定資料集でもう1つ特徴的なのは原画と呼ばれるアニメの基本となる画が多く掲載されていることです。先述したフィルムブックと同様、これらの原画が書籍にまとめられることでアニメーターがある種のアーティストとして注目されるようになりました。本来ならばアニメ作品が完成した後は不要になる原画類が、こうして多くの人の目に触れられるようになることで、アニメーターの中に「アイドル」のようにもてはやされる人々も出てきました。彼らスターアニメーターが描いた原画や動画が出版物によって多くの人の目に触れられることで「自分たちもアニメ業界に入りたい、仕事をしていきたい」と思う若者を生み出すことになりました。

「安彦良和アニメーション原画集『機動戦士ガンダム』」(資料23)はその最たるものでしょう。『新世紀エヴァンゲリオン』などで有名な庵野秀明氏が編集したこの原画集は、本来アニメを制作するまでの一段階でしかなかった原画がアートのように掲載されており、アニメの設定資料集の枠を超えた、ある種の美術画集としての価値すら見出すことができるのです。

安彦氏の描いた『ガンダム』の原画


4.作品の根源に触れたい ~絵コンテ~


絵コンテとは、本来は「連続」を意味する英単語コンティニュイティcontinuityの略で、アニメ以外のあらゆる映像作品でも作られる「映像制作の設計図」です。
多くの場合絵コンテはカットごとの画面構成やキャラクターの動きが当該シーンのセリフと必要とされる秒数と共に記載されています。アニメの制作について言えば、まずシナリオが作られ、そこから絵コンテが作成、それを各アニメーターが見てそれぞれ担当の原画を起こし、それから動画→撮影→アフレコ、というのが一般的な流れになります。ですから絵コンテとはアニメを創り出すための根本、ということになります。

絵コンテを描く(「コンテを切る」と言います)のは多くの場合、演出家や監督の仕事です。アニメは数多くの人の手を介して作られる作品ですので、絵コンテを通して演出家や監督のイメージする映像の完成形が制作スタッフに伝わり、作品を生み出しているのです。
それは逆に言えば絵コンテを読むことによって演出の本当の意図を知ることができる、というでもあります。「今のシーンの、このキャラクターの動作にはなんの意味があったのか」を絵コンテを読み解くことで知ることができるのです。
今回は宮﨑駿氏の絵コンテ集が展示されています(資料68、69)。宮﨑氏の描いた絵コンテは完成後の作品とほぼ変わることがない完成度を誇っていることで有名ですが、この絵コンテをスタッフがアニメに起こしていくことで、彼の考えている作品世界をアニメとして描き出すことができるのです。

宮﨑氏の絵コンテより。1つのシーンについてセリフと共に動きなどの細かい指示が書き込まれている

宮﨑駿氏だけでなく、富野由悠季氏や出﨑統氏(『あしたのジョー』『ガンバの冒険』『エースをねらえ!』等)、押井守氏(『うる星やつら』『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』等)といった著名な監督は絵コンテ集が数多く刊行されています。
特に富野由悠季氏は先年開催された展覧会『富野由悠季の世界展』(2019~2022年)でも過去の作品の多数の絵コンテが展示されていました。彼はガンダムを手がける前、フリーの演出家だった頃には「コンテ千本切り」と呼ばれ、「富野に任せると三日でコンテができあがる」と言われるほどコンテを切るのが早かったことで知られていました。

絵コンテはアニメ制作の基本です。視聴者の心に残る力を与える絵コンテは、アニメ作品を生み出すために不可欠なものなのです。


5.アニメ作品を違った角度で ~コミック~


『マジンガーZ』の永井豪氏や『仮面ライダー』の石ノ森章太郎氏のように、アニメや特撮作品には漫画家による原作が付いているものが多くあります。
しかしこれらは一概に原作としてのコミックが先にあり、それを元にして映像作品が制作されたものばかりではありません。そもそも映像作品としての企画があり、映像作品と同時並行してコミック作品が連載されることもしばしばありました。

例えば『マジンガーZ』はコミック版の連載開始が『週刊少年ジャンプ』1972年10月2日号で、TVアニメの放送開始が同12月3日です。同様に『宇宙戦艦ヤマト』も松本零士氏によるコミック版が雑誌『冒険王』74年11月号連載開始で、TVアニメ放送開始が74年10月6日となっています。
これらの作品はコミック連載開始が僅かにTV放送より先になっていますが決して「原作としての」コミックがあり、それをTVアニメ化したわけではなく、あくまで同時並行してTVアニメとコミックの企画が進んでおり、TVアニメ放送開始に先行してコミック第1話を雑誌に掲載することでTVアニメ第1話の視聴率を上げる意図があるものでした。

ゆえにこれらのTVアニメ作品においてコミックは「原作」とクレジットされていますが、アニメそのものはほとんどTVオリジナルです。つまり現代的に言うところのメディアミックス(複数の媒体で1つの作品を展開することで相乗効果を図る販売方法)の一環としてコミックが存在していたといえます。

他方、漫画家による「原作」を持たないオリジナルのTVアニメとして放送され、その後にコミック版が作られた例もあります。今回展示されている『機動戦士ガンダム』のコミック(資料15)はその例の1つです。
これらの作品では、漫画家が企画当初の段階の設定資料のみを見せられ、それを元に執筆しているものも多く、TVアニメ本編とは全く違うストーリー展開であったり、登場人物のキャラクター造形がなされているものもあります。『ガンダム』においてもTVアニメ本編ではナイーブで内気な様子が強調されている主人公アムロですが、コミック版では企画当初の段階で設定されていた熱血漢のアムロになっています。このギャップを見るのもコミック版を読む楽しみでもあります。

岡崎優氏著、コミック版『ガンダム』より。TV版にはない展開やキャラ造形が魅力


6.見たいものは自分たちで作る ~同人誌~


本来同人誌とは、一般の書店に並ばず、自費出版されてごく少数の部数だけ製作され愛好家同士の間でのみ読まれるものです。1970年代までは自費出版する財力がない人は「肉筆同人誌」と呼ばれる自筆で1冊だけ製作した本を回覧することもありました。

その後コピー機が一般的になってくるとより多くの部数を安価にかつ容易に刷ることができるようになり、また通信販売などの流通網が整備されると全国のファンにそれらを頒布できるようになってきます。
当時「ファンジン」と呼ばれたアニメやコミックの同人誌は、全国各地で定期的に開催される同人誌即売会などで頒布(同人誌はあくまで営利目的の販売ではなく、ファン同士が私的にやり取りをするものなので「販売」ではなく「頒布」といいます)されていきました。

その同人誌即売会でも最大規模のものが1975年から現在も開催されている「コミックマーケット」です。夏と冬の2回開催されるこのイベントは現在では参加サークル数3万5千以上、参加者は一度の開催でのべ60万人というビッグイベントとなっています。

コミックマーケット(コミケ)の様子

同人誌の内容は多様で、アニメやコミックのみならず芸能・ゲームなどあらゆる趣味の分野に広がっています。これら同人誌の根本にはファンたちの「こういうものが見たい!」という欲求があります。

今回展示されている『超音戦士ボーグマンファンブック』(資料33)はまさにその欲求から生まれたもので、放送当時からずっと好きだったファンが、放送後33年を経て公式から何もリリースが無くなってしまったので、「だったら自分で作ってしまおう」と当時のスタッフにお話を伺いに行き、また現在活躍されている以前ボーグマンファンだったアニメーターやイラストレーターの方々に寄稿をお願いして完成させた同人誌です(私菰田もインタビュー記事などの執筆でご協力をさせていただきました)。

元となった作品には無いシーンや設定などの、いうなれば「妄想」を表現したい、それを多くの人に伝えたいというファンの熱い想いから同人誌は作られ続けています。

7.もう一部のファンだけのものじゃない ~一般誌~


日本の長編アニメ第1作『白蛇伝』(58年)、そしてTVアニメ第1作『鉄腕アトム』の放送以来60年以上の月日を経て、日本のアニメファンも3世代目に入っています。もう祖父母の代からアニメを観ている時代になっているのです。その中で、過去に生まれた様々なヒット作も作品によっては半世紀以上の歴史を積み重ねてきました。
そうなると幼いころにアニメのファンだった人が成長して社会的に地位のある立場にいるようになり、過去のヒット作がある意味で「社会の一般的な常識」として認知されるようになっていきます。

今回展示している『日経ビジネス』(資料18)や『AERA』(資料17)といった雑誌は通常、アニメの画を表紙にするような雑誌ではありません。しかし購買層にアニメ視聴者世代が多くなったことで、取り上げざるを得ないものとなり、また取り上げることで販売部数が増すコンテンツとして認知されるようになっています。
「昔は会社で上司から『竜馬がゆく』『国盗り物語』などの司馬遼太郎の作品を使って人間関係や社会について語られていたのに、今では『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』で説明される」といった話もあります。以前なら「自分はこの会社内で織田信長か、豊臣秀吉か」といった問われ方をしていたのに、今ではそれが「アムロか、シャアか」ということになっているのです。

展示品『サンデー毎日』(資料19)の特集も「人間関係に迷ったらガンダムに学べ」。これらの特集が組まれる理由も、アニメの話が社内の会話に出てくるのが「普通」になったことの証左といえるのではないでしょうか。

またこれらの事実は、日本のアニメのファンが年齢的に成熟してきたと同時に、「アニメで人生を学んだ」世代が社会に拡大してきたことも意味します。アニメが司馬遼太郎のような国民作家の作品と肩を並べ、一般常識・教養ともいえる存在になってきている。それは過去に「アニメは子供の見るもの」と言われ、ある程度の年齢になったら卒業しなければならなかったものだった時代からは隔世の感があります。
アニメに最も影響を受ける世代をティーンエイジャー、10代中盤の年ごろと考えれば、現在『ヤマト』を見ていた世代が60歳前後、『ガンダム』が50歳前後、『エヴァンゲリオン』が40歳前後になっています。アニメファン層が社会の中枢で活躍する世代になったことで、放送当時は一部のファンのみが知るものだったアニメが「一般教養」として、今や世間に広く認知されるようになっているのです。

8.好きなキャラを身近に置きたい ~グッズ~


『鉄腕アトム』は放送当初、スポンサーを担っていた森永製菓によって関連商品が販売されていましたが、その後『アトム』人気に呼応するように各社が次々にアトムグッズの販売を始め、その利益が『アトム』を制作していた虫プロダクションに還元されるようになりました。このアニメ・特撮作品の関連商品の販売とマーチャンダイジングは、「大手企業によるスポンサードに頼らず作品制作をすることができる」制作スタイルを生み、その後日本のTVアニメが数多く制作されることになった大きな要因となりました。

その後アニメファンが一定の購買層として認知されるようになると、スポンサー企業から販売されるタイアップ商品だけでなく、純粋なアニメファン向けのグッズも販売されるようになり、ファンの購買意欲を刺激するようになります。

1987年に設立されたアニメグッズ専門の販売店「アニメイト」は現在全国47都道府県に展開していますが、アニメイトではアニメ制作会社との契約の下、オリジナルで関連グッズを製造販売しています。
グッズと言ってもその種類は多種多様で、文房具やCD、キーホルダーやラミネートカードといった小物、ぬいぐるみなどの他、作品内に登場する小物やキャラクターの持ち物のレプリカなども発売されています。

アニメイト池袋本店

中でもキャラクターを造形した「フィギュア」と呼ばれる模型は、以前は未完成のキットとして販売され、それを組み立てて塗装して完成させることができる技術を持っている人によってのみ作られるものであり、一部の人々向けの趣味でした。
しかし90年代からフィギュア製造を中国などの工場に委託・生産する体制が整い始めます。フィギュアの原型を日本で作り、それを元に下請けの工場で量産、塗装まで行うことで安価で大量に生産できるようになりました。現在ではフィギュアは完成品が店頭で販売されている他、アミューズメントセンターの景品としても安易に入手でき、「オタク」の部屋といえばフィギュアが飾ってある、というのが多くの人の認知されるものになっています。

また同様にガンプラと呼ばれる『機動戦士ガンダム』に登場するモビルスーツのプラモデルも関連グッズの一つでしょう。放送終了後に発売され社会現象と呼ばれるほどの大ヒットになったガンプラは、2020年に発売開始40周年を迎え、累計販売数が7憶個を超えています。『ガンダム』が40年以上の長きにわたって人気を保っているのは、ガンプラ人気の影響も大きいのです。

これらのグッズの中には「その作品世界で使われているであろう」という想像の下に製造販売されているものもあります。特に顕著なものがやはり『機動戦士ガンダム』関連のグッズで、作品内に登場する組織や企業で用いられているであろうグッズが多数販売されており、ファンの心をくすぐります。今回展示されている様々なガンダムグッズは、その作品をより楽しむためのツールとして今後も作品世界を拡大させ、ファン心理をくすぐり続けることでしょう。


9.作品世界に浸りきる ~コスプレ~


アニメに登場するキャラクターなどの扮装をする「コスプレ(コスチュームプレイ)」は日本発信の文化として現在世界で受け入れられています。

『うる星やつら』(81~86年)のラムや『美少女戦士セーラームーン』シリーズ(92~97年)のセーラー戦士、『新世紀エヴァンゲリオン』(95~96年)などは多くのコスプレを楽しむ人々「コスプレイヤー」を生み出しましたが、これら人気を集めたコスプレから当時の人気作品をうかがい知ることもできます。

当初は同人誌即売会などで一部のファンが、自作した衣装をまとって披露するものだったコスプレでしたが、現在ではキャラクターの衣装を専門の製造販売する会社も存在し、「公式」として扱われる衣装も多くあります。

多くの場合、コスプレは登場するキャラクターの仮装をするものです。しかし『宇宙戦艦ヤマト』や『ガンダム』といった作品ではその作品内に登場する制服を身に着け、特定のキャラクター以外のコスプレをする場合も多くあります。
今回展示している『ガンダム』の「マグネットコーティング班のツナギとキャップ」(資料51)などはまさにそれで、『ガンダム』の放送話数の中のただ1回、第40話「光る宇宙」の回にのみ登場したキャラクターがまとっていた衣装です。これら「作品内にいるであろう人物」になりきることができるのも、作品世界に浸って楽しむ方法の一つになっています。

昨今のアニメ文化の世界的な広まりを受けて、世界中でコスプレを楽しむ人々の数は増えています。2003年から名古屋市を中心に開催されている世界コスプレサミットは全世界より33ヵ国、22.6万人(2023年)の来場者を集める大きなイベントになっています。また世界各地で行われているジャパンフェスタやアニメ・ゲームのコンベンションでもコスプレは人気を博しており、アニメを楽しむ1つの方法として世界的に広く認知されているのではないでしょうか。

世界コスプレサミットの様子


10.創作者のパーソナリティから学び取る ~クリエイターの著作物~


作品の制作者が著名になると、彼らの創作術やその理念、演出論や技術論を学びたいという人が増えてきました。
中でも多くの著作物を世に示しているのが『ガンダム』の監督を務めた富野由悠季氏です。彼は『ガンダム』の放送終了後、自ら筆を撮り小説版『機動戦士ガンダム』(朝日ソノラマ刊、のち角川書店刊)を出版しました。これはTVで放送された『ガンダム』とは登場人物やメカには共通点が多いもののストーリー展開が大きく異なり、TVのガンダムを観ていたファンたちに大きな衝撃を与えました。

小説版『機動戦士ガンダム』。放送後に執筆されたもので「原作」ではない

他にも、同じく『ガンダム』でアニメーションディレクターを務めた安彦良和氏も積極的に創作活動を行っており、今回展示されている『シアトル喧嘩エレジー』(資料21)や『聖王子ククルカン』(資料22)など多数の小説・コミックを執筆、他にも高千穂遥著の小説『クラッシャージョウ』シリーズでは挿絵を描かれています(資料52)。
また安彦氏は漫画家としても高い評価を得ており、古代日本神話から日本の成り立ちを再構成した『ナムジ』で第19回日本漫画家協会賞優秀賞を、日清戦争前後の日本の帝国主義的な拡大とその底流に流れる民衆運動を描いた『王道の狗』で第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞されています。

安彦氏は他にも『虹色のトロツキー』『天の血脈』など多数の歴史を題材にしたコミックを執筆している。現在『巽と乾 ザバイカル戦記』を連載中

富野由悠季氏に話を戻しますが、彼は自身のアニメ作品の小説版を執筆するのみならず、その演出論や創作の原点についても多数の著作を示されています。展示物にある『「ガンダム」の家族論』(資料25)では、それまで自身の作品に登場した家族の関係の描き方やその深化について語られています。また『映像の原則』(キネマ旬報社、2002年)は映像作家必携の名著として名高い一冊となっています。

これらの著作物は、単純に作品を視聴して楽しむだけならば読む必要はないものでしょう。しかし絵コンテや設定資料集と同様に、「より深く作品を楽しむ」ことを目指していく中でクリエイターのパーソナリティや、作品に底流する思想とその変化を知るための格好の素材となります。これらの著作物を読んでから、再び作品を観ると新たな発見をすることができるのではないでしょうか。

11.一体『シン』とは何なのか? ~庵野秀明氏が再発見した特撮の魅力~


1960年生まれの庵野秀明氏は、生まれながらアニメ・特撮作品に触れて育った第一世代といえます。
彼の手がける作品は毎回話題を集めていますが、昨今では『ゴジラ』『ウルトラマン』『仮面ライダー』といった過去の特撮作品をリブートしていて、『シン』シリーズとして注目を集めています。

彼がタイトルに付ける『シン』とは何なのでしょうか。彼は劇場版『新世紀エヴァンゲリオン』で「使徒」と呼ばれる敵と「死」をかけた『シト新生』とタイトルを付けたり、TV版24話でも「死者」と「使者」をかけて「最後のシ者」としてみたりと、ダブルミーニングを用いることが多々あります。ですので「シン」も「新しい」と「真」をかけている、というのが一般的な認識です。

『シン』シリーズとは、現代の特撮技術を用いて過去の作品を生まれ変わらせた「新」の意味もあり、また同時に「真」の意味もあるのでしょう。

では何をもって「真」と名付けたのか
庵野氏が幼いころから数々の特撮作品に熱中していたことは知られています。2021年より全国各地で巡回開催の美術館でされている展覧会「庵野秀明展」では、学生時代から彼が自主制作した特撮作品の上映がされていますが、これらの作品では『ウルトラマン』や『仮面ライダー』へのオマージュが色濃く見られます。彼の大学時代の作品「帰ってきたウルトラマン『マットアロー1号発進命令』」(資料88)などからも見られるように、彼の脳内にはそれらへ対する強烈なイメージがあり、同時にアイコニックな理想像がある。庵野氏はそれを現代の技術を用いて表現しようとしているので「真」なのではないでしょうか。

庵野氏が大阪芸大時代に制作した『帰ってきたウルトラマン』。これが制作された時点で既に公式の『帰ってきたウルトラマン』は放送後なのだが(71~72年放送)、庵野氏はそれを知りながら敢えてこのタイトルを付けている

以前、岡田斗司夫氏は宮﨑駿氏について「過去に見た作品を記憶してあり、それをより上手く再現できる」能力がある人、と語っています(NHK「BSアニメ夜話『カリオストロの城』の回にて。2004年9月7日OA)が、庵野氏もまた彼が手がけたTVアニメ作品『ふしぎの海のナディア』(90~91年)での爆発のエフェクトアニメーションにおいて、過去の特撮作品風に再現することを試みています。

特撮表現をアニメで、そしてアニメの表現を特撮でと、垣根を飛び越えて自分の思い描く理想の作品を生み出す。過去の作品を現代風にアレンジしつつプラグマティックに本来の作品の魅力を追求すること。それが庵野氏の考える『シン』の意味なのではないでしょうか。

おわりに


今回の展示では「グッズ」を通して、日本で生み出されてきたアニメや特撮作品の歴史を網羅的に示してきました。

展示を通して理解できるのが、当初は子供向け・いつか卒業するものと思われてきたアニメや特撮作品が、ファンの成長と共に拡大・継続していった様子です。ファンは決して「卒業」することはなく、なおも新しい情報を求め続けた。その結果が現在のコンテンツマーケットの成長と生み出された傑作の数々です。

今回の展示品は全て、一般のコレクターたちが集め大切に保管していた物です。中には販売数が少なく希少価値の高い物も多数あります。これらからも、集め続けているファンの熱意をうかがい知ることができます。

作品を愛するファンの熱意と、それに応えようと新しい商品を販売、提供してきた企業。そしてまた新たな傑作を生み出そうとするクリエイターたち。その相乗効果は今もなお新しい傑作を生み出し続けています。
作品の中には名作であっても人気が出ず、人知れず終わった作品も数多存在します。しかしそういった作品でも見ていた誰かの心には小さくない爪痕を残している。懸命に良い作品を作ろうとしたスタッフたちの想いがそこには刻まれているからです。それを感じとったファンが、ある者は自らもクリエイターとなって映像作品制作に携わるようになり、またある者は同人活動でその愛を語る。そして、行動で想いを表に出すことが無い人々も日常生活の中のある瞬間、グッズや書籍を目にして手に取り、ふと自分が大好きだった作品を思い出す。多くの人がそういう気持ちになったことがあるのではないでしょうか。

ファンたちの作品を愛する気持ちがグッズを求め、それを手元に置くことで小さな喜びを感じる。今回はそういったファンたちの渇望・熱い想いが、展示の各所から感じ取れたのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?