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勝ち組

私は、学校に行くのが嫌いだった。
別に不登校というわけではなかったが、毎回同じ席に座って人の話を聞くというのが苦手だった。

だから、大学生になり自由になったと感じた。
興味のない授業は極力避けて、大学2年からはオンラインになった。
講義は、飯を食って聞いたり、布団の中に入って聞いたり、ニワトリに餌をやりながら聞いたりした。

私は、一年浪人をして大学に入学している。
だから、今私の友人の大半は、社会人1年目を歩み始めている。
大学まで東京にいた友人も地方で働いたり、親元を離れて生活している。

最近、実家にいることの多い私は、ふと最寄り駅で中学時代の同級生を見かけた。リクルートスーツを着て、普通に歩いていた。
別に話かけたわけではないが、1年後の自分を少し見ているようでちょっといやな気分になった。

私は、すでに正社員で働いている。創業1年ほどの人材ベンチャー企業。
働き方は自由。在宅でいい。スーツも着なくていい。

正直、そのまま就職もいいのだが、というか就職はしているのだが未来永劫続く保証のない環境での不安を背負う勇気が若干まだない。

若干その不安から、興味はないがスーツを着る年収が高い会社を数社受けた。
面接をしている中で、時間の無駄を感じた。

財布の中身を見た。まぁそこまで少ないわけではない。

生きていける気がした。

もう少し、社会の当たり前に抗ってみよう。

考えてみれば、成功したいと思っていた人生だったと思う。
顕著に出たのは、高校受験、大学受験。

いい大学に入ることが美しい、そう習ってきた。

結果、いい大学に入ることはできなかった。行く予定もなかったどこかの県の大学に流れ着いている。

しかし、本当に充実して満足をしている。間違いなく自分の人生を豊かにしてくれている。

東京にいた友人、東京にいる人ができない体験をできている自信がある。
そして、何より自分自身を肯定できる気がする。

そこに価値を感じてくれる人もいる。

きっと人生は、他人と比べてつくるものではなくて自分でつくるものなんだろう。そして、常に大事なのは目の前のことを一生懸命やりながら未来にことにワクワクできるかの好奇心だと思う。






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