「生産性とは」

(本文中の内容は私個人の見解であり、所属する組織の見解とは一切関係ございません)

こんにちは。
本日は、昼間は会社員として資本主義の中で生き、夜と土日はNPOで寛容な社会づくりのために活動する二つの世界を越境する日々で感じたことについて少しお話します。

“何に重きを置いて行動するか、何を求めて行動するか“ことを日々の、NPOの活動で考えさせれた経験です。

近年は働き方改革などの影響で短時間で成果を出すこと、生産性の向上が日本中の会社で求められています。私は会社員としてのその渦中にいる中で、周りの同僚と異なるもやもやを感じていましたが、それをなんと言っていいのか表現することができませんでした。

ある日、NPOの事務所で受験が近い中学生に勉強を教えていた時にそのもやもやが何か、思い浮かびました。

成果は、数値だけでなく過程を見ることも大事でないか。過程に表れることを捉えることが次につながるという意識が必要ではないか。

その子は勉強を少しづつ頑張るものの、何校か受験してあまりいい結果は出ませんでした。しかし、当初はかなり勉強するのを嫌がりあまり集中力がもちませんでしたが3か月ほど一緒に過ごす中で、徐々に家で一人で勉強をする習慣が身に付き、こちらが出した宿題もきちんとやってくるようになりました。確かに受験合格者という数値の成果にはなにも現れていないかもしれないですが、近くでみていると確実に前に進んでいることがわかります。

また、NPOの周りの人たちもそういった変化を微笑ましく見守ってくれています。

資本主義の中では、金銭やモノの生産といったものが生産性の価値として重要視されるが、福祉の世界ではストーリーやナラティブといったものを生み出した価値としてみようとしていると感じています。

目に見えやすいものや、無理に長時間働いてひねり出すものではなく、個々人が暮らしいること自体やささやかな進歩も“生産性”であると捉えれるような、余裕のある社会になればいいな思います。

私自身も日々の日常で出会う人たちのストーリーを考えられるような余裕のある心を持ちたいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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