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無意識逆張りオタクだった件

今やディズニー狂いの俺だが、大学生の頃まではマジで1ミリも知らない現実主義者()であった。

謎の信念があった。流行しているからと言って安易に乗らない。むしろ流行してるものには絶対乗るものかくらいの勢いだった。今思えば理由がちゃんとあって、高校の時にクラスメイトが聴いてたバンドを俺も聴いたよと言ったら真似しないでと言われたTraumaがあったからだ。俺はその人との会話の中でお勧めされたと思ったから聴いた報告をしたのだが、違ったらしい。俺が何か文脈の読み取りをミスったのだと思うが、当時の俺はすごくショックだった。別に怒ったような言い方ではなかったが、俺はすごく傷ついた記憶がある。そして流行り物など相手にしてやるかという歪んだ認知をするようになる。

それまでは単純に世間の流れに疎い人間だった俺は、こうして「逆張りオタク」になった。当時はそんな呼称なかったが、今だとそう言われるんでしょ。孤独だと思っていたが、ただ呼称がなかっただけで昔からそういうタイプの人間はいたのだろう。別に珍しいことではないというのは、励ましにも思えるがダサくも思える。何か微妙な気持ち。

そうして大学生になった俺は無意識の内に逆張りをするようになる。ディズニーツムツムというディズニーのキャラの頭部が流れ落ちてくるのをまとめて消すというファンシーなのか残酷なのさ分からないゲームをよくやっていたのだが(ディズニーが好きなのではなくゲーム性が好きだった)、当時流行っていたアナ雪のキャラが期間限定で出てきたりテレビをつければレリゴーレリゴーとあわや洗脳のように流れているもんだから、「俺が選んでないのにそっちから侵食してくるな」と思っていた。レリゴーに関しては別に逆張りしてなくても、俺と同じように思っている人はいたと思うが。

大学時代にはアカペラサークルに入っていたから、周りにはディズニーの曲を歌っている人もいた。大学の頃はほとんどリードボーカルはやっていなかったのもあって、ディズニーなど俺には無縁だった。

しかし、大学を卒業して間も無く出会った仕事関係の友人(今日までとても仲良い存在になる)が大のディズニー好きだったのをきっかけにディズニーにどハマりするようになる。俺は恥ずかしながら彼に教えてもらうまでディズニーがミュージカル映画だというのを本当に知らなかった。パート・オブ・ユア・ワールドとか、ホール・ニュー・ワールドとか有名な曲は知っていたがオープニングかエンディングのテーマソングなのだと思っていた。

この友人というのがミュージカルガチ勢(子どもの頃から20年「やっていた」人)だったので共にドライブに行くとよくディズニーの曲を聴いて、ハモリ部分を交代しながら歌うなどしていた。そんなことをする内に、元々音楽が好きだったことも相まって気づけばディズニー作品がすっかり好きになっていた。作品ごとに舞台となった土地や文化に沿ったジャンルの音楽が使われているし、短い尺の中に曲として面白い展開がたくさんあるからすごく勉強になる。そしてディズニーが意外と深いメッセージ性を孕んでいることにも気付き初め、カートゥーンの皮を被っためっちゃ良質なミュージカルだと俺は思うようになる。(お分かりになるだろうが、俺はディズニーを素敵な童話ではなく音楽作品と捉えている。)

このようにハマればどっぷりハマるのが俺なのだということに20年以上生きててやっと気付くことができたので、友人の功績はかなりデカい。なおこの友人といるおかげで有名なミュージカル作品にも多く触れるようになったが、作品を見ずにまず(ドライブしながら)曲から入って一通り覚えた後に本編を見るという常軌を逸した楽しみ方をしている。ヘア・スプレーもスウィーニー・トッドも、キンキー・ブーツもそのパターンで覚えてから作品に入った。ウィキッドはかなり曲を覚えたけど、まだ見てない。曲聴いていたら大体話の流れ分かっちゃうけど。ラ・カージュ・オ・フォールも見たいと思ってる。

流行るのには、わけがあるんだよね。当たり前だけど。変に逆張りしないでもっと気楽に触れていっても損しないよね。チェンソーマンも良かったよ。触れた結果クソでもいいのよ。下らない映画もないとつまらん世の中になるってデンジも言ってたしね。

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