見出し画像

社会的均衡と、妄想とデザイン

なかなか面白い文章を発見したので、共有します。


特集「社会規範と世論の形成」に寄せて 序
佐 々 木 彈


全体的に僕の作っているAIスケジュール管理アプリのアルゴリズムの基礎でもある古典的な行動経済学みたいなノリで、興味もある分野なので面白かったのですが、ここではひとつ引用します。

地主いわく「我々としては本来あなたのような優れた経営者 に農地を貸出すことは大歓迎のはずだ.しかしながら我々は金融業者たちが如何に保守的 かよく知っている.彼らは何故か,黒人に冷たい.きっとあなたは,あなたの経営者とし ての能力不相応に,お金を借りるのに苦労なさるだろう.もしお金が思うように借りられ なければ,農場の経営も不調に終り,結果的に土地が遊んでしまうかも知れない.我々の 関心事は誰に土地を貸すかではなく,その土地が有効に利用されることだ.だから個人的 にあなたには何らの悪感情も抱いていないが,あなたに土地をお貸しすることに躊躇せざ るを得ない」.つまり自分は差別主義者ではないが,金融業者が差別的であることを正し く予測して経済合理的に行動せざるを得ない,と言うわけである.逆に金融業者のほうは,
「あなたは企業家として大変有望だ.有望な経営者にこそ我々のお貸しする資金を使って ほしいところなのだが,大変残念ながらあなたは農地を借りるのに大変難儀されることだ ろう.我々はここ南部の地主たちの保守性には,いつもながらうんざりしている.あなた のお仕事が土地の必要な農業ではなく,我々のお貸しするお金だけで始められる商売だっ たら,二つ返事で大歓迎なんだが」と,先程の地主とちょうど対称的なことを考える.つ まりお互い,相手が差別的であることを与件とし,それを前提にすると自らが差別的でな くても,純粋に経済合理的な理由でその差別に同調するかのように行動せざるを得ない, と言っているわけである.ここで注目すべきは,現象面だけを見れば,互いが相手を差別 的と見ることに矛盾は生じない,つまりそれが合理的期待となっていて,そのような差別 が均衡になっている,という点である.

この均衡。 日本でもありますよね。マクロでもミクロでもです。

第三者のせいにする手法みたいですね。


この均衡状態が社会的に良いか悪いかは別問題として、もしこの均衡を崩すのであればどうすれば良いのか?を考えたのですが、一点だけあります。

それは情報の共有です。

地主も金融機関も「勝手な想像」で行動しています。もちろん、地主と金融機関なので、地元に根付いた情報を持っている可能性があります。その通りかもしれない。

ただ、地主と金融機関の均衡は、あくまで妄想でしかない。

地主と金融機関が会って話せば解決する問題です。「あぁそうだったのか」となるだけです。

会って話すのは面倒でしょうか? それならば、優秀なその黒人の経営者が仲介すれば良い。


人ができる問題解決は、明らかに無駄な均衡を放置して嘆くのではなく、行動してより効果の高い方へ移行できることだとも言えます。

これはデザインで解決できる問題だと思います。構造の問題だからです。


自分の行動を他人のせいにしたくないですね!