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仏教に学ぶ生き方、考え方「あなたのためを思って言っているという心をどう考えるか?」

 よく誰かに意見するときに「あなたのためを思っているから言ってるんだよ?」と付け加える人がいます。

 たぶんそういうふうに言って、自分の言いたいことが、とても正しいことだと「念押し」しているのでしょうが、本当にそうでしょうか?

 まず正しい、正しくないというのは実は「見方」によって変わります。

 自分にとって正しいことでも、相手にとっては正しくないこともあるのです。

 これを仏教では「業が違う」と言います。

 つまり今まで育ってきた環境、経験したこと、影響を受けたことが人によって「全く違う」のです。

 同じ環境でも、見方や立場が違うと、全く違う経験となります。

 まず「業」が違う人だから「合わなくて当たり前」なのです。

 その上、自分の業を相手の業と比べて「勝っている、優れている」と思い込むと「慢心」(まんしん)が生まれます。

 さらに感情的になっていうことで「貪瞋痴」(とんじんち)の三毒の煩悩が燃え上がります。

 つまり「自分では正しい」と思っていても「業」の違いが分からず、「慢心」を持つことで「貪瞋痴」に苦しまされているのです。

 そしてそれらは全部「自分の行いから出て自分で苦しんでる」自業苦、つまり「地獄」になるわけです。

 こういう苦しみの連鎖に自分から落ちないようにするには、苦しみの連鎖をどこかで断ち切ることが大切なのです。


☆今日の一句☆

 意見する
    自信満々
       慢心(まんごころ)

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