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ほとけさまのおしえ「親ガチャ」

 「親ガチャ」という言葉が使われて久しいです。

 ガチャを回すとき自分で「欲しいもの」が出てくるとは限らないように、「親は選べない」という意味で使われているそうです。

 よく考えてみれば、お金をつぎ込めばガチャは欲しいものが出るまで、「何回でも」回すことができますよね?

 でも親ガチャは「一回しか」回せないところがややこしいのです。

 確かに「自由と民主主義の国」であっても選べずに不自由な思いをすることは多々あります。

 特に家族や親戚などの「人間関係」はその最たるものでしょう。

 でも一方でそれに囚われたり恨んだりして、「いただいた時間」を囚われ恨むことに使うのも勿体ないなと思うのです。

 そして親を客観的に見られるほどまで大きくしていただいたのも、まさしく「親に育てられたから」なのかもしれません。

 私の母親は、教育熱心で「過干渉」な性格でした。

 それを鬱陶しく思い、「反発」したこともありました。

 でも今となっては「お寺の後継ぎ」として、また戦争で味わった「貧しさ」を味わわせないように「必死だった」のではないかとも思うのです。

 そして一度きりのガチャで出てきた「景品」を、そのまま大切にしてくれたのかなと。

 口では「親ガチャだからな~」と言いながらも、心の内では「ご縁」をありがたく思う人が増えてくればいいなと思っております。


☆今日の一句☆

 親のこと
    ガチャガチャ言わず
            認めよう

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