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仏教に学ぶ生き方、考え方「余命宣告」

 病気になったとき、そしてそれが大きな病気で治る見込みが少ないとわかると、お医者さんから、今からだいたいどの程度生きることができるかという目安を教えてもらうことがあります。

 これは親族に対してのときも本人に対してのときもあり、「余命を宣告される」つまり、「あなたはあとこれぐらいの期間で命が終わる確率が高いですよ」ということを言われる辛い経験になります。

 ところがこの余命というものにはけっこうな幅があり、必ず当たるものではないものです。

 中には余命半年と宣告されてから十五年経っても、まだまだ元気に過ごしておられる方も見えるようです。

 考えてみれば余命ほど「当てにならない」ものはありません。

 なのに余命を告げられると医者からも世間からも「見放された気持ち」になるのはどうしてでしょう?

 例えば、伝えられた余命より「早く」亡くなったとしても、文句は言えませんよね?

 もう亡くなったら文句を言うこともできません。

 その反対に余命より「長く」生きられたらどうでしょう?

 宣告された余命がハズレたことに「文句を言う」人はいないはずです。

 むしろ、「ラッキーだった」とハズレたことを喜ぶでしょう。

 あくまで余命は目安であり、「それほど長くはないですよ」と心づもりを促すためのものといえます。

 とここまで書いておいて、「はっ」と思い知らされることがあります。

 というのは、わたしたちは宣告されるされないに関わらず、「全員に余命がある」わけです。

 年に一回、国から「日本国民の平均寿命」という指標が発表されますが、あれは正式には「生まれたての赤ちゃん」の平均的な余命のことを「平均寿命」というそうです。

 もっと細かく各年齢での平均余命というものも発表されていて、例えば六十歳男性の平均余命は「二十二年余り」です。

 これを長いと思うか短いと思うかは別として、生きている限り「余命から逃れること」など誰もできないのです。

 だとしたら医者に言われる前に、心の中で自らに「余命宣告」をして、「今日一日」を生きることこそ大切だと感じています。


★今日の一句★

 いただいた
     命に余りは
         ありません

 

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