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qutakuta
仏教に学ぶ生き方、考え方「隙間に身を置く我が人生」
私たちは様々な「隙間」に身を置きながら、この世を過ごしています。
朝夕の満員電車では肩が触れないように「座席の位置」に気をつけますし、車に乗れば「ぶつけないように」慎重に駐車したりします。
駅について誰かが降りると「空いた席」にまた誰かが座り、車が発車した駐車スペースにはまた誰かが「駐車」するでしょう。
実は私たちはすべて、生まれてから命終えるまでの「時間の隙間」にしか存在できないのです。
そして私が去った「隙間の時間」にはまた誰かが入るでしょうし、その人もやがては誰かに「人生の時間」を譲ります。
私たちはずっと前からここにいて、これからずっとここにいるように感じていても、実は「隙間」を借りながら「譲り合って」存在していると言えます。
隙間という「時間と場所」を布施されて存在し、それはまた誰かに布施をしていく。
すべての人が「布施をしあい、譲り合って」この世を過ごしていることを心のどこかに感じていたいものです。
☆今日の一句☆
布施された
隙間を生きる
我が命
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