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仏教に学ぶ生き方、考え方「なぜ○○○のありようを大切に考えるのか?」

「なぜ心のありようを大切に考えるのか?」

 人間は生きている間にいろいろな行いをします。動物とは読んで字のごとく、行いをすること自体が生きているというふうに捉えても言い過ぎではありませんよね。では「行い」とは一体どのようなものがあるのでしょうか?仏教で考えられている「行い」には以下の三つがあります。

 まずは身体で動く行い、これを身業(しんごう)といいます。よく悪いことをして叱られたというときには主にこの身業のことを指します。

 次に口でいろいろなことを話す行い、これを口業(くごう)といいます。褒めたり感謝を伝えたりするのも、悪口を言ったり、愚痴をこぼしたりするのも、口業になります。

 そして最後に心の中の行い、これを意業(いごう)といいます。心の中で思うこと感じることすべてが意業です。

 ここまで言うと皆さん気づかれたと思いますが、身業、口業は外からもわかりますが、意業は外からでは分かりませんよね?心の中のわからないことを外から見て口出しすることはできません。ですから、心の中のことはそれほど重要視されません。実際に人からお金を取ったら警察に捕まりますが、「あの人のお金をほしい」と思っただけでは捕まりませんよね?今の社会はあくまで目に見えるもので判断するんです。

 ところが仏教ではまず心がどうなのかということを重要視します。ですから、「お金を盗みたい」と思うことと、実際に泥棒することは同じと考えます。それはちょっと厳しすぎじゃないですか?という声が聞こえてきそうですよね。そうなんです、仏教は実はけっこうシビアに考える教えなんです。もちろん人の心の中は見えませんから、これは自分の心の中の話、つまりそれぞれが自分の心に厳しく自問自答するんですね。
 
 なぜここまでするのかというとちゃんと理由があります。それは口の行いも身体の行いも全ては心の行いから生じるからです。つまり心の行いを見つめることで口や身体の行いを未然に掴んで対処していこうという考え方です。これはとても合理的ですよね?世の中のすべての事には原因がある(これを因果の道理といいます)から原因が何かを探求していく教えなんです。そして心の有り様が全ての原因になるからこそ、その原因をまず整えようとしているわけです。

 こういう仏教の教え、とてもわかりやすくて合理的ですよね!もっともっと教えを知りたくなっていますし、もっともっと皆さんにも伝えていきたいと思う気持ちが膨らんでいます。この気持ち(意業)がおてらこらむ(口業)や自分の生き方(身業)に現れてくるといいですよね。まずは今の自分から、少しずつ頑張っていこうと思います、、、。

 ☆今日の一句☆
   見つめよう
     すべての基本
          心こそ

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