クリスマスツリー

 ――交差点の先車両行き止まり。
 そう書かれた立て看板が視線の端を後ろに流れていく。いつものジョギングコースのアスファルトはまだ濡れている。雨は朝には止んだはずなのに。信号の青い光がアスファルトを鈍く照らしている。
 交差点の向かいには純喫茶店、道を挟んで向かいに個人医院、並んで奥には民家やアパートなどが続く。小さな住宅街のなかを駆け抜けると、工事現場に突き当たる。工事は広大な地域を抜ける環状線を造るものだ。小さな住宅街は年末のせいか、いつもよりも閑散としている。今年の師走はここ数年で一番寒い。
 工事現場は人の身長より高い半透明のプラスチック製の防音壁で覆われている。防音壁の上部に白い蛍光灯が並んでいる。防音壁の向こうの工事の進捗状況に応じて、複雑に防音壁の位置が変化する。行き交う歩行者や自転車に乗る人々はまるで迷路を通り抜けるようだ。突き当たった防音壁を川に向かって走る。蛍光灯の光が私と濡れた道路を冷たく照らす。
防音壁に沿って走る。右側の小さなネギ畑、水田の向こうに大きな建物が見える。大学の付属病院だ。建物の脇に大きな丸い月が見える。月は地表付近の空気が汚れていてやけに黄色い。
 「そうか、昨日はスーパームーンだった」
 と思い出した。雨夜でまるで見えなかった。その余波で今夜も大きいのだろう。
 その月のちょうど真横、病院の入院棟の七階当たりの窓に電飾が見えた。クリスマスツリーだ。
 「そんな時期か」
 改めて年末なのだということを思い知らされた。しばらくツリーに見入ってしまった。見慣れた窓だ。

 入院棟ではお盆、暮れ正月と、過ごした経験がある。病院とは不思議なところで、妙に人間味を出そうとすることがある。人間を管理し、学校よりも数段合理的で、汚物の臭いくらいしか人間味のない空間である。そこに季節感などの生活臭を入れてもそんなものに患者は気を配れない。なのに、そんなものを入れようという感覚は解せない。時に疎ましくなる。
 複数の病室は東西に貫かれた長い廊下でつながっている。廊下の中央にはナースステーションがある。廊下の両端には二メートル超の大きな窓が嵌まっていた。西側の窓からは、夕方に夕日に染まる街の風景が見えた。近くの住宅もオレンジ色に染まっていた。遠くには黒い山影がぼんやりと見えた。名前は分からないが、たぶん筑波山だろう。
 病室からこの窓に夕景を見に行くのが日課になっていた。薄桃色の壁紙、灰色の絨毯を歩いて窓に向かう。右手には点滴台を引きながら。同じ状況にある患者はこの状態を自嘲気味に、「お散歩」と呼んでいた。点滴台をペットに見立てているのである。窓の前には予備の車椅子が置かれていて、そこに腰掛けて外を眺めるのだ。
 しかし、そこには見慣れないものがあった。
 車椅子は撤去され、窓は電飾の点いたツリーに占拠されていた。
 「またか」と思った。ツリーを見たのは初めてだが、以前は看護師がサンタのコスプレをして回ってきたこともあった。人間味を持ち込むのである。音楽を聴かせたりするのは治療につながるのだろうから良いが、それ以外にも意味があるのかわからないことをした。患者に外部の世界を連想させ、恋しいと思わせることにどんな効果があるのか。
 きっと無駄なものを持ち込む行為は、そうしないと病院に働く人々がやってられなくなるからだ、と二十代の私は思っていた。自分たちが精神的にやられてしまうのだ。
 『ペット』を左手に持ち、右手を腰に当て、途方に暮れてしまった。
 私にはツリーで季節感を出すことよりも、「夕景を見る」という日課を消化するということの方がよっぽど意味があった。数ヶ月にもわたる入院生活をこなすために、そうやって日課を自分で作ってそれを淡々と消化しないと、一日の経過が遅く感じる。予定のない数ヶ月は地獄だ。その日課のおかげで、資格もいくつか取った。取ったところで退院後につながることはないのであるが。
 後ろからスウェットのももの辺りを引っ張られた。驚いて下を見ると、男の子が立っていた。白地に小さな車の絵がいくつも描かれたパジャマを着ていた。同じ入院患者のユウだった。ユウは小児科に入院していた。ちょっとした縁から知り合いになった男の子だ。
 ユウとは院内で定期的に行われるクラシックコンサートで出会った。決まって診察のない土曜日の午後、一階の正面エントランスから入ってすぐのところで行われた。そこは会計をする待合だが椅子を並べ替えて、コンサート会場にするのである。大人数が集まれて、吹き抜けの気持ちの良い空間はそこくらいしかなかった。
 さまざまな患者が集う空間だった。怪我で入院し、明らかに暇になってしまった人間、私のように病気で入院した人間、車椅子で押されてやってきた、音楽を認識しているかわからないお年寄りがいた。子どもの姿はあまりなかった。
 先月のことだ。グランドピアノがもちこまれて行われたショパンの演奏会に行った。そこでたまたま横の席に座ったのが、ユウとお母さんだった。四十代の女性が弾き手であった。生の楽器の演奏は実に気持ちが良かった。
 ユウは聞きながら、ずっと私のももの上に手を置いていた。
 「すいません」
 と言いながら、お母さんが手を引っ込めさせる。それでもユウはすぐに私のももの上に手を置いた。そうしていたい何かがあるのだろう、と思い、二、三度そうした後、お母さんを制してユウの好きにさせてあげた。
 コンサートが終わると、三々五々患者たちは自分の病室に引き上げていく。そうして会計をする人もなく閑散とした待合で、私と母親はユウを挟んで座り少し話をした。
 「今、小学校一年生になるんですけど、もっと子どもの頃から入院を繰り返していて」
 お母さんはユウの横顔を見、毛糸の帽子を被っているユウの頭に手を置きながら話をした。
 「検査しても原因がわからないんです。体調を崩しては入院して、落ち着くと退院。いくつか他の病院も回ってみたんですけどね。なんらかのアレルギーらしいんですけど、それ以上は分からないんだそうで」
 ユウは私のスウェットのズボンを掴んでいる。ユウは全体的にやせていて、小柄に見えた。
 「同年代の子たちと一緒にいるのも億劫がって、院内学級もあるんですけど、やっぱり行きたがらなくて。私もずっと一緒にはいられないし・・・・・・」
泣きそうになっている母親の顔を改めて見た。ひどくやつれていた。もう疲れた、と言わんばかりだった。人がいなくなった広い空間は、人がいたときより気温が下がった気がした。
 「だから、この子がこんなに他人に懐くなんて珍しいんですよ」
 と寂しい笑顔を浮かべた。
 「寒くなってきた」と私は吹き抜けの天井を見上げた。
 「風邪引くといけないから行きましょう」と二人を促した。
 エレベーターホールへは、小さな中庭を抜けて行く。ユウは歩く途中もずっと私のズボンを握っていた。
 エレベーターのなかで、自分の病室の番号を告げ、いつでも遊びに来てほしいと告げた。
 小児科の病棟は、私の病室のある病棟よりも下の階だった。ついてもユウはズボンを離そうとしなかった。仕方がないので、自分の病室のある階まで一緒に上がった。
 病室に行くのは抵抗があったので、面会者と話したりするラウンジに行った。お母さんが持っていた子供用の絵本を読み聞かせると寝てしまった。寝てしまってやっと手を放した。

 それから午後に、私の所へユウをやってくるようになった。私は日課のなかにそれを加味するようになった。入院患者などみな同じだが、ある程度入院が長くなると、誰も面会にも来なくなる。
 私の前ではユウはあまり感情が表情に見えなかったが、お母さんの前ではユウは私の所へ行きたいという意思表示をするのだそうだ。
 事実、あまり嬉しそうな表情はしなかったが、ユウはそれからずっと私の傍らに座っていた。そうしていると、お母さんがやってきて、面会者用の丸椅子に腰掛ける。私とお母さんはそのまま世間話をする。たいていは他の入院患者のことや、医者、看護師などの噂話が中心である。女性とは不思議なもので、自分たちが噂話が好きだと、こちらも好きだと決めてかかる節がある。そんな女性同士で、院内の噂話はどんどん伝染していくのだ。
 次からお母さんが気を利かせたのか、ユウが好き(とお母さんが言っている)な絵本を持ってくるようになった。それを読み聞かせていると、ユウはおとなしく聞いていた。口をちょっと開いたまま移り変わっていく絵柄を見ていた。視線が移り変わることで反応があることは分かるのだが、コミュニケーションは相変わらず取りたがらなかった。
 「この子、口が利けないんじゃないですか」
 喉元までせり上がってきた言葉をぐっと呑み込む。
 そうして何度か、ユウがやってきた後の夜、検診に来た看護師が言った。
 「お子さん毎日見えますね」
 「やめて下さいよ『弟さん』くらいにしてよ」
 「あの子大変でしょ」
 やはり誰に対しても反応がないこと、お母さんがいるときは良いが、そうでないと大変なこと、私に懐いていると聞いて小児科が驚いていることを教えてもらった。人の噂話も我慢して聞くと良いことを教えてもらえる。
 「でもオレのところに来ても、横に座っているだけですけどね」
 へえ、そうなんだ・・・・・・と言い残し、看護師は病室を後にした。

 毎日夕暮れを眺めるのは、ユウが自室に戻った後だ。いつが果てになるのかわからない入院生活を一日乗り切った褒美としてここに来る。
 ツリーを前に私とユウは立っている。ももを掴んでいた手を右手に握り替えた。左手には『ペット』を握っていた。
 電飾は一定間隔で明滅する。金銀の玉、サンタクロース、トナカイの可愛らしいオーナメントが飾られていた。
 何かをユウに話しても、何も返ってはこないだろうから、二人で並んで静かにツリーを見ていた。不意に鼻を啜る音を聞いてユウを見た。ユウは泣いていた。黒目がちのまん丸な目から眼球が一緒にあふれ出してしまう、というくらいの勢いで涙が出ていた。鼻水も鼻の下を光らせていた。
 「そとにあそびにいきたい」
 あまりにも声を出していないからだろう。かすれた声を絞り出したような声だった。
 始め、聞きそびれた。聞こえた声の断片をつなぎ合わせて意味を取った。
 「外に行きたいの? どこに行きたいの?」
 屈んでユウの耳元に耳を近づけた。ユウはゆっくりと右手を挙げた。
伸びた人差し指の先には、グーフィのオーナメントがあった。
ディズニーランドに行きたいのか、と聞くと、ユウはにっこり笑った。
慌ててやってきたお母さんの声を背後に聞いた。お母さんに今あったことを興奮気味に話した。今考えると、これも若気の至りだったのかもしれない。
 「実は病室からディズニーランドの花火が見えるんです。周りの子どもはそれで騒いでいて、それでおぼえたんでしょう」
 「じゃあ、お互いの体調が良かったら、クリスマスに外出許可もらっていきましょう」
 と無慈悲なことを私は約束させた。ユウはにっこり笑った。鼻汁で鼻の下がガビガビになっていた。お母さんは妙に穏やかな顔をしていた。
 クリスマスは三日後だった。
 クリスマスの前日、ユウは死んだ。
 約束した翌日から発熱し、体調を崩した。ほぼ突然死のような展開だったらしい。私はユウの病室に行こうとしたが、ユウのことを教えてくれた看護師に止められた。
 「お母さんも大人だし大丈夫だと思うけど、子どもが死ぬっていうのは、あなたが予想できないくらいショックな出来事なの。あなたが会いに行って、穏やかに接することができるかなんて保障できないの。あなたはあなたの身体のことを第一に考えなさい」
 そう言われ、メモ書きのような一枚の手紙をもらった。
 「ごめんなさい。約束が守れなくて」
 便せんにそれだけが書かれていた。
 「それ以上言葉が出ないって。あなたの残念な気持ちはうまく伝えるから」
その年の終わり、次の年の始まり、新年を祝ってディズニーランドが豪華に花火を上げた。年末にみな外泊して閑散となった、隣の病棟の病室から花火を見た。涙が止まらなかった。

 クリスマスツリーを見たり、クリスマスソングを聴いていると、あの時期を思い出す。ユウのこともそうだ。一時期は呪いのように「お前は一生普通のクリスマスは送れない」と言われているように聞こえた。
 その時期と状況は変わっていない。
 でも、自由に走れるだけマシだ。

ーー了ーー(四九九〇文字)


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