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似て非なるもの2

似て非なるものの続きを述べていきます。
前回は「命懸け」。
今回は「血反吐」にしようと思います。

血反吐を吐くほどやる

「血反吐を吐くほどやる」、これは駄目です。
根性論を振りかざすクソジジイが言う言葉の1つとして、必ず挙げておきたい言葉です。

命懸けでやるぐらいの気持ちでやる、の類義語の1つなので、口癖になっている人は、今後、もう二度と言わないようにしましょう。
何がいけないかわからない人は、パワハラ上司の素質がありますから、一生ヒラのままで、ずっと黙っていてください。

「血反吐を吐くほどやる」は、セルフブラックのように、自己成長のために、過酷な状況下に身を置いてみる、の類義語に見えます。

しかしながら、私本人から敢えて言います。
「血反吐を吐いたことありますか。」

こう言うと返ってきた言葉は以下の通り。
「もういい。」
「そういうことじゃない。」
「それぐらいの気持ちの話だ。」
「何様のつもりだ。」
「あんた一体何者?」
「じゃあ、あんたはあるのか。」

所詮そんなもんです。
「ありますよ。」とも「ありません。」とも私に返ってこないんです。

「ありませんけど、もう何なんですか。」ならば一回だけありました。
「ありません。もう二度と言いません。」
そう返せる人間は、本当にいませんでした。

「血反吐を吐いたことありますか。」
そう聞かれたら私はこう答えます。
「はい、あります。」
「二度と吐きたくありません。」

血反吐を吐く

血反吐を実際に吐いてきた話は、私が生きてきた中で、需要があると思えた試しがないのです。

概ねですが、週3回以上の嘔吐が続いた環境だと、吐物に血が混ざってきます。
週2回ならば嘔吐だけで済む。
※私の場合。個人差があります。

内臓は自己修復機能に優れているため、自己修復に間に合う頻度の嘔吐なら血が混ざりません。
間に合う頻度を上回ると血が混ざってきます。

食欲不振が重なってくるため、吐物から固形物が減り、血の混ざった液体を吐くことになります。
とにかくもう鼻の奥が痛くてシンドイ状態が長く続いていたのを未だに覚えています。
血液のみを吐くというのはありませんでした。

私の場合にはあくまでも吐血でした。
喀血ではありませんでした。
吐血が消化器系で、喀血が呼吸器系です。

ストレスで胃が痛い人は、私のような吐血をする可能性があります。
胃は消化器系ですからね。

ストレスで胃が痛い「ような気がする」老害は、血反吐を吐くことはないと思います。
ストレスで胃が痛いような気がするパワハラ老害に限って、血反吐を軽視するのは、消化器系への損傷が無いからだと思います。
血反吐を吐いてきていないから、気がするだけで実際には胃ではない、と見るべきです。

血反吐を吐くほどとは

「血反吐を吐くほどやる」なんて軽々しく言える老人は、血反吐を吐いていないんです。
漫画の読み過ぎなんですよ。

かつて肺病が流行していた時代は、喀血で大量に血を吐く人がそこそこいました。
けれども戦後直後ぐらいまで。
世代的には戦前生まれの人たち、令和においては後期高齢者がメインです。

漫画家は登場人物にドバドバ血を吐かせ、吐血を表現しますが、あれは喀血の出血量です。
吐血と喀血の区別がついていないのです。

戦前生まれの漫画家が用いた表現を、戦後生まれの漫画家がそのまま用いているだけなのです。
手塚治虫さんが戦前生まれの漫画家であった影響でしょうか。

週刊少年マガジンや週刊少年サンデーが創刊する前後から漫画を読み始めた世代以降には、概ねは喀血と吐血の区別がついていないのです。
令和の前期高齢者も、令和の現役中高年もです。

にもかかわらず、実際に血を吐いてきた本人たる私にまで、知ったような口をきく。
薄っぺらいんですよ。言葉が。
鼻の奥の痛みを知っていたら、軽々しく言わないはずなんですよ。

「血反吐」という言葉がカッコイイと思う人々は、血を吐いていないから軽々しく言うのです。
カッコイイのはあくまでも、血反吐を吐きながら強敵に立ち向かう漫画の登場人物のはずなのに。

強敵に立ち向かうという部分がカッコイイ。
間違えてはいけません。

我々は漫画の登場人物ではないのです。
血反吐を吐きながら強敵に立ち向かう状態に陥るようではいけないのです。
絶対にするべきではありません。

他人に血反吐を吐かせながら立ち向かわせる。
これは、もう論外です。
ブラック上司の典型でしかありません。

自分は他人ではないのです。
他人は自分ではないのです。

炎上しそうなら有料にします。
今のうちに読んでください。

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