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ただコロナに耐える日本は不思議  多和田葉子さんの視点【紹介】

Photo by 朝日新聞デジタル

 今年の4月に紹介した
「多和田葉子さんの寄稿文 (多和田葉子のベルリン通信) 理性へ、彼女は静かに訴える」
は、540ものPV数がありました。多くの多和田ファンに読まれたようです。
ということで、今回は、朝日新聞デジタル(会員制)に掲載されたインタビュー記事を紹介します。
最後に、多和田さんも登壇する国際シンポジウム(オンライン視聴できます)の案内があります。多和田ファン必見!

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 ベルリンを拠点に世界中を旅してきた作家・詩人の多和田葉子氏は、コロナ禍で朗読会などがキャンセルになり、自宅で机に向かう日々を続けている。コロナ危機に際して、芸術支援を含めた政策を繰り出すドイツ政府と、なにかとちぐはぐな日本政府をどうみるか。社会や文化への影響は? 子どもが短命になる世界や祖国や母語をなくした人々を小説で描いてきた多和田氏に聞いた。

法より「人の目」が機能する日本
 ――ドイツ政府はコロナ危機への対策や支援を早く打ち出しました。

 「老人を支援し、医療を拡充し、零細企業、個人経営店、芸術家などを助けると表明、すぐに支援金も出ました。そこまではすごい。しかし、後で審査があって、必要なかった人は返金しないといけない、しかも返せなかったら罰せられる場合もあるそうです。大企業は法律対策をしていて大丈夫でしょうが、たとえば芸術が本当に守られたのかはまだ分かりません」

 ――不満も出てきていますか。

 「国内旅行は普通になっていますが、マスクの義務化に抵抗感を持つ人は多いです。罰金があるので無理してマスクをつけていますが。危険な圧力だという人もいますし、人権侵害だという人もいます。リベラルや左翼系はマスクを支持していますが、右翼系がマスクは国家権力による弾圧だと反発しています。隠れた不満が出てきて、社会のバランスが崩れる危機を感じてもいます」

 ――ドイツからは日本はどう見えますか。

 「日本は本当に不思議な国です。政府はなぜか何も対策を取っていないみたいで、逆に国民は社会全体のことを心配して自分でできることを進んでしている」

 「ドイツは個人の自由を大切にするので、自由を制限する時は法的に縛ります。地下鉄内でマスクをしていなければ罰金を払わなければいけない、などというのもそれですね。日本は法よりも『人の目』という見張りがあり、それが危険な面もあるし、機能しているという面もある。日本人が個人主義になったら、全く別の政治機構が必要になるでしょう。ドイツのように素早く議論して規則を決めるという仕組みは長い歴史と背景があってできることで、日本はすぐにはそうならないと思います」

 ――議論を経ないで感情や空気を優先するというのも、日本の特徴なのかもしれません。

 「福島第一原子力発電所の事故から約3カ月で、ドイツは脱原発を閣議決定しました。選挙を通して国民の意思がすぐに政治に反映されたという印象があり、民主主義が機能しているという実感が持てました。ただ実際は、まだ動いている原発もありますし、これからどうなるかは分かりません。日本ではさすがに国民の意見を無視できず、一時期すべての原発を停止していましたね。ただ再稼働も始まりましたし、国民感情だけでは未来は保証できません」

 「日本の不思議は、ダメ政府と良心的な市民かもしれません。一人一人がこのままではこの国はだめだと反省し、せめて自分でできることをする。『ダメだ』という自覚は大事だと思います」

 「日本で一つ心配なのは、第2次世界大戦への反省が弱いことでしょうか。かつての東西冷戦の戦場が朝鮮半島やベトナムなどアジアにあったように、今後、中国と米国の冷戦の場が日本や近隣国になる可能性も考えられます。おそらくですが、日本では新型コロナウイルスより、国際関係の方が危機なのではないでしょうか。さらにいうと、ウイルスそのものではなく、社会が揺るがされた時に出てくる弱点のほうが心配です」

 ――小説で危機に直面する世界や人を描いてこられました。コロナ禍における社会の弱点や危機をどう見ますか。

 「日常生活の中でみえてくる危機は、人間の変容だと思います。オンラインでのやりとりやテレワークなどが進み、集って直接しゃべることがなくなり、人間が変わってしまうのではないかと心配しています。生身の人間と接触すると感染の危険がある、という意識がすり込まれてしまったら、引きこもったほうが安全、という社会的傾向が今以上に強まってしまうかもしれません」

 「学校や大学も心配です。家でできる勉強もありますが、文化という遺産は人との関係の中でしか学べない気がします。この状態が数カ月続くのは仕方ないとしても、いつ終わるかわからないのがつらい。2年、3年と中途半端な状態が続いたら、人間が壊れていく部分があると思うのです」

危機で強まる、社会の変化
 ――ウイルスに対抗するには、都会に人が集中するのではなく、ドイツのような地方分散型の社会がいいという人もいます。

 「コロナ危機によって、最初はメルケル首相のもと国内が一致団結しました。それはドイツでは経験したことがなかったので驚きました。その後、最大の危機が過ぎたらメルケル氏はバックに下がり、各自治体が状況を見て対応していく。分散と統合のバランスは良いと思います。ただ、欧州連合(EU)の中での分散と統合の動きがこれに加わり、かなり動的です。このように速いテンポであらゆる部分が連動するような世の中の動き方は、日本は苦手かもしれませんね」

 「今回、自分の反応が日本人っぽいかもしれないと思うこともありました。何か危機が始まると、無口になって自分の中にこもりがちになるのです。おかげでいつもは読んでいられない厚い本などいろいろ読めましたが、そうやって危機が終わるのを受け身で待っている。そのわりにウイルスそのものへの恐怖感は薄く、自分が感染するという実感がもてない。ドイツ人は危機が始まると討論欲がますます強まるみたいです」

 ――ドイツに住んで38年になり、世界文学の担い手でもある多和田さんが、コロナ危機下で日本人であることを意識したと?

 「日本人であるというより、日本で育ったせいで日本の歴史や社会に思ったよりずっと深い影響を受けている自分に気づきました。ドイツに長く暮らしているからこそ感じたことだと言えるかもしれません」

 「ふだんは私的生活の枠内で暮らしていて、自分の感覚もその中にありますが、社会に軋轢(あつれき)が生じたときや社会全体が大きく揺れたときは、自分という単位では足りなくなるようです。政治や社会を語る気がなくても、社会の一部としての自分を感じ、個人的立場からだけでは自分について語ることができなくなるのです。東日本大震災の時には今以上にそれを感じました」

 ――危機の感じ方や感じたときの行動が、日本と欧州では違うということでしょうか。

 「日本では、危機があっても危機ととらえないようなところがあるのではないでしょうか。日本は自然災害が多いし、飢饉(ききん)や貧困も遠い過去の話という感じはしないですよね。危機があっても騒ぎ立てず、うつむいて耐えるようなところがあります。ドイツやまわりの国を見ていると、それが現実かどうかは別にしても、衣食住に困らない社会をかなり前に実現し、自然災害がほとんどなくなるところまで自然を征服した、という自覚を持って生活しているような印象を受けます。新しい問題が起こってもそれを人間の手で解決できるという自信があるのか、コロナ禍も大きな危機としてとらえ、いい方策を考え出して乗り越えるんだ! 征服するんだ! という能動的な態度で接しているようです」

 「日本は、じっとうつむいて待っていればコロナは自然と去っていく、と思っている人も多いのではないですか。ただ、うつむいてしまうと、世界の状況が見えなくなってしまいます。うつむいている人たちを揺り起こしたい、危機なんだと揺さぶりたい、大きな風景を見せたい。そんな気分です。だから危機を感じさせる言葉、呼び起こす言葉が自然とわたしの小説の中に入ってくるんだと思います」(聞き手・吉村千彰)

【ニュース】
多和田ファンの方、彼女の話がオンラインで聞くことができます。

多和田さんも登壇する国際シンポジウム「朝日地球会議2020」(10月11~15日)はすべてオンラインで視聴いただけます。事前登録とプログラム詳細は
https://www.asahi.com/eco/awf/?cid=awf20d1&iref=pc_extlink

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