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「死刑台へのストレッチャー」【エッセイ ルポ風】二四〇〇字

(最新式カテーテルアブレーション施術報告記)

 主治医は、アラフォー(推定)。165cm前後の小柄で、医者独特のエリートぶる雰囲気はない。小生意気な若造医師が、「ハイ」じゃなく、「ヌン、ヌン」と、こちらの話を聴いているのかって、感じの生返事や高飛車なところがない。善良なひとだ(と思う)。まさか、オペ回数の実績を上げるために嘘をついているとは思えない。が、いちおう術前に再度、固い約束をさせようと、前日検診に来た時に、確認する。
 「先生!ホントでしょうね。術後すぐに動けるっていうのは・・・。ネットで検索しても、そのような事例がなかったのですよ・・・看護師も最低でも4、5時間、術後は動けないと言うし」(半ば涙声)
 「大丈夫ですって、菊地さん。カテーテルを挿入する太腿の付け根の静脈の穴を塞ぐのに、これまでは、8時間はかかった。だから。動けなかった。しかし、その穴を塞ぐギアを最近、慶応が開発したんです。この階の看護師はまだ知らないかもしれません。説明しておきますよ」
 「そうですか・・・でも1割は順応できないひともいると、言っていましたよね?」
 「はい。残念ながらゼロじゃない、ですけど」と、宣まう。

 前日は、通っているエッセイ教室の課題を仕上げる余裕があった。しかし、夜になると徐々に、不安が増してくる。病室は改築間もない1号館の10階。ベッドは、幸い窓際。神宮外苑の夜景を見ながら思った。「その1割にならないよねえ・・・」と。

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 右手の建物が1号館

 当日。前夜はむろん呑めなかった(当たり前)。寝酒代わりにと睡眠促進剤を処方してもらったせいか、熟睡。朝一の手術ということで、定刻、8時45分に看護師が迎えに来た。死刑囚を迎えに来る刑務官とは違って、笑みを浮かべて。「剃毛の儀式」をしていただいた女性ひとだ。

わたくし:
 「朝一じゃあ、二日酔いの医者なんか、手が狂うのでは?」
看護師:
 「そんなことないですよ。先生たち朝早いし。むしろ疲れてくる遅い順番のほうがリスキーかも。午後一なんかは、次の予定がなければ時間が長くなるし。今回は、12時には終わる予定ですよ」

 そういえば、6年前に受けた1回目のカテーテルアブレーションは、午後一だった。結局、8時間かかった(と聞かされた)。技術の進歩のおかげか、3時間の予定らしい。

 病室でストレッチャーに(自分で)仰向けになり、迷路のようなバックヤードの中を進む。リュージュに乗っているようだ(と言いながらその経験はないが)。天井が流れていく。
 オペ室に到着。やはり、黒衣の女医(慶応は女医は黒衣なのだ)は、残念にもいなかった(楽しみがひとつ消えた。やはり興奮してはいけない、とのご配慮か)。主治医と、事前にあいさつに来た若造の担当医とその助手がスタンバイしていた。

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 心電図や、心臓の3D画像と数種類小画面が映る新品の100inchモニターと、数々の新品の機器類が頼もしかった

 オペ台に乗せられ(いや、自分で移動し)、保護柵をきっちりとセットされ。すると、柔道の白帯の生地のようなものでできた手首の拘束具が出てきた。「おいおい、またそれかよー」と思った瞬間に(6年前、術後に両足を白帯で固定された苦い記憶が)、そして意識が、途切れた。

その拘束の苦痛を記したのが、拘束【エッセイ】六〇〇字

 気が付くと、病室のベッド。そのときの様子がこの姿。術前に看護師に撮影を依頼したのであった。
 「できるだけ、哀れっぽく撮ってね。SNS仲間が『大変な手術だったんだ。可哀そう・・・』と、思うようにね」、と。
 いまにも納棺師が登場するかのような、哀れさ。かつ、手術着が適当に艶っぽく、映倫ギリギリに適度にはだけているし。なかなかのショット。

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 アブレーションは、6年ぶりの2回目。2回処置すれば、凡そ不整脈は止まると知っていたが、術後8時間の拘束がトラウマになっており、二の足を踏んでいた。両足を固定され、ほとんど拷問に近かった。普段、仰向けで寝たことはなくアクロバティックに両足・両手を動かしながらが、私の就寝スタイル。動かせないことの苦痛は、思い出しただけでも失神するほどだ。オペは、両足の太ももの付け根にある、太い静脈に穴を開けカテーテルを心臓まで通し、乱れた電気信号を出している筋肉を焼く(アブレーション)ことで正常に戻そうというもの。術後の拘束は、付け根の血管の穴を塞ぐため。下手に動いて出血すれば最悪、「出血性ショック死」ということにあいなる。
 しかし、頻脈の症状が頻繁になり、最近は、電気ショック(AEDのようなもの)を3回、処置。その頻度が高まってきた。そんなときに、主治医の2回目施術の提案があったのだった。

 「これでいいですか?」と、「剃毛儀式」の看護師がスマホを見せる。
 「おお、満点! これ明日アップするから」「すぐに動けるよね?」と、ワタクシ。
 「いいえ、2時間は我慢してください」
 「ええええ!2時間もぉ・・・。あ、でも片足だけ? 今回」
「そうそう、両足ではなくなったのですよ。最近。11時半に戻ってきたから、1時半まで」
 「あ、そっか、左足は動かせるんだ。背を上げられます?」
 「いいですよ。それも進歩だよね」(と、自分を納得させる)
 前回は、戸板に縛られた囚われの身。上半身を斜めにできるのは、楽だった。自宅でソファーに足を投げ出し映画を1本観る感じだ。ちょうどテレビでは五輪中継が映っていた。商業主義丸出しの五輪なんか観るかと思っていたが、スノボ大回転を観ながら、2時間が過ぎた。

(やっぱり、スポーツはいいね。^^)
(昨夜の藤澤ちゃんらの準決勝だったら、3時間でも耐えられたかも。^^)

(あとがき) 
 6年前。オペは、クリスマスの日。退院は、小晦日。翌日、狛江の知人宅で年越しの酒宴があり、術後の美酒を愉しんでいたとき。急に体調が悪化。吐き気もあり、救急車を呼ぶ事態になった。驚いたのは、消防車もサイレンを鳴らしながらの到着。初体験だった。
 救急隊員が脈を測ると不整脈。話しているうちに落ち着いてきたのだが、オペの話をすると、「念のため病院に行きましょう」と、お世話になることになった。歩いて車内に乗り、ベッド脇の椅子に座っていると、
 「せっかくですから、ベッドに横に」と、救急車処女体験。
 最初は近くの病院を手配しようとしていたのだが、大晦日で救急も混んでいる模様。そこで、決まったのが慶応病院。首都高速を使い、50分後に外苑出口。見慣れた建物が左に見えてきたのだった。しかも救急病棟には、オペ班の中にいた若造医師が、アタフタと動き回っていた。(今回は、救急車に乗らずに済んでいる)

 静脈の穴を塞ぐ技術は、いまのところ慶応大学病院と一部の医療機関に限られているようだが、今後、普及していくようだ。術後の苦痛が大幅に軽減されたことは、アブレーション手術を受けられる不整脈患者(私は心房細動系)にとっては、大きな前進と言える。

(おしまい)

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