見出し画像

母の昭和史【エッセイ】

 令和元年の大型十連休、初日。半藤一利の『B面昭和史』を手にする。「政治・経済・軍事・外交といった表舞台」のA面に対して、B面は、裏舞台の「民草の生きるつつましやかな日々」を意味し、元年から終戦までを書いている。
 完読後の母の日、ふと、母を想い描いた。
 母は、北海道滝川で生まれ育ったが、十九から開戦前後の二年、養女になることを前提に、東京で会社を営む、遠縁の家にいた。楽しかったらしく、東京に残りたかったと、よく話をしていた。が、戦争が激化し、実家に戻らざるをえなかった、ようだ。
 戦後まもなく、親戚の強い勧めで、海軍の軍人だった父と、見合い結婚する。それが、不幸の始まりだった。乱暴な父に、実家に帰るだけでも、母は暴力を受けた。だから、外出することはほとんどなかった。その後、難病を患い、入退院を繰り繰りかえす。最後は、私が住む東京に一度も訪れることなく、劇症肝炎を患い五十で、逝ってしまった。
 もし、戦争がなければ、母は東京で誰かと結婚し、好きな東京で、自由に生きられたかもしれない。滝川は、内地や他の道内ほど、空襲の被害はなかったらしいが、「民草」として、戦争に人生を狂わされた、一人と思う。
 (もっとも、戦争がなかったら、この私は存在しないということに、なるけれども)。

NO WAR

STOP WAR

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?