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夕陽【エッセイ】一〇〇〇字

 「曽田、そんなに落ち込むなよ。お前の責任じゃないよ。あした勝てばいいじゃないか」
 試合が終わって、着替えしているとき、曽田がいないのに気づいた。グラウンドに戻ると、校庭横の田んぼのあぜ道を一人、俯きながら歩いている彼に、そう言った。
 半世紀ほど前。北海道の雨竜という町にいた。町立の中学三年の時。小学四年に始めた野球。中学でも入部した。中学までは野球ばかりやっていた。それでも4クラスで3番以内はキープしていた。しかし、どうしても抜けない女子が一人いた。「ま、あいつは、部活せずに直帰するし、ナイターを観なくてもいい。その分、勉強ができるからな、仕方ない」という、妙な理屈で納得させ、口惜しいとも思わなかった。
 中学野球は、全道大会をめざすのだが、その前に雨竜近辺の4校による総当たりの地区予選と、北空知大会を勝ち抜く必要がある。その年の予選はわが中学で行われ、地の利があったか、あと1勝すれば全勝で北空知大会に出場できるまで勝っていたのだが、その試合に負けて、次の日決定戦になった。全勝をかけた試合で、曽田は無安打。それで、泣いていたのだ。
 私はキャプテンで、3人いるピッチャーの中のエース格、3番。曽田はセンターで2番を打っていた。公式試合では全生徒が観戦し、投げるとき、「“雨中”―――エース!」と声をそろえて応援席から叫んでくれる。とてもいい気持ちなのだ。その当時フジテレビ系(札幌テレビ・STV)で始まったアニメ『宇宙エース』にからめて(いま還暦以上のひとじゃないとわからないだろうけど)。
 決定戦。曽田も私も、2安打を打ち、投げてはゼロで押え、北空知大会に勝ち進んだのだった。残念ながら、初戦で敗退したが、中学の最高の想い出になっている。
 その後、曽田と私は、地域の進学校に入学し、2人ともに野球部に入った。
 しかし、体力が急激に落ちていて、私は、高校1年の途中で退部し、高校2年の年末、結核であることが判明。半年間入院することになった。
 次の年の6月。母校の野球部は、北空知予選で決勝戦に勝ち進んだ。曽田は中心的存在になっていた。その決勝で彼のホームランが決め手になり、何年かぶりで北北海道大会に進んだ。そのラジオ中継を、私は、ベッドで聴いていたのだった。
 夕陽のなか、あのあぜ道を俯きながら歩いていた彼と影法師を懐かしく、想い出しながら。

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