花束【エッセイ】八〇〇字(本文)
朝日カルチャーセンター通信教育「エッセイ講座」の4月提出課題である、「花束」(600字)。800字に膨らましました。
早大オープンカレッジ「エッセイ講座(文章教室)」も、9日から春講座(全10回)がスタートする。また苦悶の日々が続くことに・・・。期間中は、その課題を週1ペースでアップしていきます(頓挫しなければ、ですが・・・)。
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(極めてドメスティックな人間で)初めての海外は、35年前、36歳のときのグアムだったのだけど、気軽に「声かけ」する欧米人の姿にスマートさが感じさせられた。サーヴされると、「センキュー」。エレベーターで見知らぬ人が乗ってきても、「グッモーニン」。海外に行くたびに、戻ってしばらくは、自然に口にするようになるのだが(ちょうど、映画を観たあと主人公になりきってしまうのと似ている)、時間が経つと、普通の日本人に戻ってしまう。しかし、50歳を過ぎたころからか、(歳を重ね厚かましくなってきたせいだろう)気軽に声をかけられるようになり、軽いハグも、自然にできるようになった(酒が入ってではあるけども)。
ところが、相変わらず苦手なことがある。花束を買うこと、手にして街中を歩くことだ。これだけは何歳になっても、欧米人のように振る舞えない。この私でも何回かは買う機会はあったが、中身がわからないように包装紙で完全に包んでもらい、大きな紙袋に入れてもらって、運ぶ。
『北の国から』に、花束に纏わる名場面がある。小学1年までの4年間過ごした麓郷が舞台なので繰り返し観ている。感動させるシーンは数多あるが、その中でも秀逸と思う。
不倫相手の子を身ごもっていて、一人で生んで育てるという蛍に、幼馴染の正吉がプロポーズをするため、大反魂草を懸命に刈るシーンである。『百万本のバラ』を聴いて、バラだと高くて買えないが、野に咲く黄色い花ならお金はかからない、と考えたのだ。仕事の後、休み時間に、ひたすら大反魂草を刈りまくり、蛍に届ける。部屋中が黄色い花で埋まり、花束を手にしている蛍を思い浮かべながら。
スマートさには欠けるが、正吉の健気な姿を何度も観ているうちに、小さな花束くらいだったらできるかも、と思えるようになってきた。
しかし、人生ってうまくいかないもので、歳を重ねるにつれて花束を贈る機会が少なくなってきている———。
次回(4月9日)は、「5本に1本は書かないと、筆が腐る」との師匠の教えに従って、「そのテーマ」で。
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