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若菜【エッセイ】六〇〇字

朝カル通信教育講座「エッセイ教室」前期。最初の課題は、「若菜」。小学生の頃は、春は、悲しい季節だった。でも旭川の北に位置する愛別町にいたときは、違った。その後は、また「愛の別れ」の話になるけども。前作「引け目」で書いたように、ここでも弟を置いてけぼりにし、年上の子と遊んでいた。
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 春は、「諦め」と「芽生え」の季節だった。
 父は、米の検査官。査定が農家の収入を左右するので、癒着を防ぐため、短期間での転勤になる。おかげで小学校で、四回、転校。多くが、一年。半年も。母から聞かされる前に、春が近づくと、覚悟する。いや、もっと良い事があるかもと、淡い期待を持とうとした。「野球が強い学校かもしれない」とか、「またきっと、可愛い子がいるだろう」とか。
 ただ、一度だけ二年過ごした街がある。三校目で、旭川の北にある愛別町。小学三年から四年まで。引越しのない春を、経験した。
 小学三年のとき。学校の野球クラブに入っていた。父が選手だったので、小学に入る前から特訓され、すぐに中心メンバーになれる。長嶋が入団して間もない頃。むろん、背番号は「3」を、奪取。週三日だが、雪が降る十月の下旬まで、真っ黒になって、プレーが続く。
 雪が降っても踏み固めて練習はできるが、冬は、なんと言っても、スキー。学校の裏に、スキー場があり、体育科目にも。もちろん、野球の仲間はみな、スキーも上手い。放課後、競い合って、さらに黒くなるまで、滑った。

愛別小学校裏のスキー場

 三月中旬になり、徐々に雪融けが始まる。グランドを囲む木々の周辺には、蕗の薹や土筆が、顔を出し始める。これまでは、この季節は別れを意味したのだが、転校はなかった。仲間と味わえる、初めての、春だった。
 しかし喜びも束の間、翌年には、いつも通りに、「諦め」と淡い期待の、春が訪れる。

(おまけ)

「東京新聞」1月26日朝刊

この三木のおっちゃん、おもろいコラム(東京新聞)を書くのですよ。このご意見も、まったく同感です! 共産党には、まじめで清潔感のある政治「家」が多い。しかし、やはり拒絶反応を感じる国民が多いのも事実。ロシアや中国、北朝鮮などの共産主義のイメージが強い(厳密には共産主義じゃないのだけど)。「自由がない」「怖い」というイメージが支配する。いま注目されている新進気鋭の思想家、斎藤幸平は、「共産党」という党名は変更する必要はないが、綱領を国民政党にふさわしい内容に変えるべきと指摘する。私も、同意する。変に「シン・共産党宣言」をするのではなく、「国民のための民主主義政党」宣言をしてほしいと思うのであります。

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