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「学生街の喫茶店」【エッセイ】一〇〇〇字

 拓郎の『リンゴ』が、大音量で流れていた。
 大学紛争で騒がしい70年代前半。早大文学部の近くに、「SEASON」という店があった。71年にオープンし、わずか5年で閉店。当時の早稲田には似つかわしくない、青山風な、100席超のハンバーガーのイートインショップ。マックが、1号店を銀座に出店した年。バーガーブームで、店は大繁盛だったのだが。
 入学後まもなく、オープン直後に、クラスメイトのAとバイトを始める。3人の社員と、早大や他大学の学生を中心に50人超が、授業の合間の1~数時間、ローテーションを組んで営まれていた。立教大学の正門前の1号店と椎名町駅近くにもあり、立教の学生も手伝いにきていた。
 バイト仲間は、みな自分の好きな曲が入ったテープを持ち込み、流していた。70年代前半のフォークやロックが、ほぼ網羅されていた。さらに、定期的に店内でコンパがあったり、男女交際があったりと、さながら部活のような集まりだった。
 4年目。社員の旅行会の日に、学生だけで初めて店を任せてくれることになる。数日前から、「オレたちで、売上を更新できたら、面白いだろうね」と、Aと話をしていた。
 その日、主要メンバーは授業を休み、朝からみんな、昂っていた。私は店の前の舗道で、呼び込みをしていた。常連の学生が通ると、「きょう、バイトだけでやっているんだ。みんなに宣伝してよ」と、協力を求めた。店内からは、「いらっしゃいませー」の元気な声と、拓郎のがなる声や、陽水の『夢の中へ』が外まで聞こえてくる。
 半強制的に手を引っ張り(今なら、違反行為・・・)、誘導係に渡し、相席で詰め込んだ。朝から、記録更新をうかがわせる賑わい。休憩時間も短めで、疲れていないわけがなかったが、みんな輝いていた。夜になり、レジ締めの前からAと集計し、あと何人かを計算。必要な人数を「勧誘」するために、キャンパスにまででかけた。そしてついに、達成した。
 が、そんな店が、5年で消えることになる。オーナーと私やバイト仲間2人 とで、レストランチェーンを展開する資金にとの、事情で(その後、その計画も2年で、中止となる)。
 お別れ会では、ガロの『学生街の喫茶店』を全員で歌った。

(現在、その場所に、みずほ銀行がある)

(李麗仙の訃報が。あの時代の少しあと、花園神社に戻った赤テントをよく観た。合掌)

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