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弱き者の権利【エッセイ】一二〇〇字(本文)

 小学校に入る前だから、「北の国から」の舞台、麓郷にいたころ。父のオートバイに乗せられ富良野の広場に行ったことがある。色とりどりののぼり旗がはためいていたことを記憶している。父の肩に跨って(たぶん父と同じ)ハチマキをして集会、デモに参加した。アイスクリームとラムネが目当てで。5月1日のメーデーだった。父は、米などの検査を行う食糧庁(いまは、ない)の役人なので、全農林(全農林労働組合)の組合員としてなのだろう。公務員だから「ストライキ」はできないが、メーデーのような場で「労働者」としての権利を主張することはできる。
 1960年前後の小学生の頃は、「ストライキ」というのはごく普通に行われていたように思う。「ストライキ」の実施形態のひとつである「ゼネスト」という言葉もテレビで聞いていた。しかし、「絶対寝ないで頑張って行うストライキ」のこと、と固く信じていた。かように60年前後の子どもたちは、「ストライキ」という言葉には馴染みがあった(私は、「ゼネスト」(:全国的に展開されるストライキ)の意味に誤解があったけど)。
 そのストライキが、8月31日、大手百貨店では1962年の阪神百貨店以来61年ぶりに西武池袋本店で決行された。業績の不振が続くそごう・西武をめぐって、親会社のセブン&アイ・ホールディングスの、アメリカの投資ファンドへの売却話に、雇用が維持されるかの危機感が募ったためである。しかし同日、取締役会を開いて売却の最終的な決議を行うという、無情さ。立場が決定的に弱い労働者として、悲痛な叫びをあげている最中に。その取締役たちも、資本家に雇われる「労働者」のはずなのだが。
 私が大学生だった1970年代初めころは、ストライキのピークだった(下図参照)。1960 年代と 70 年代は、世界中でデモや社会運動が行われている時代。「オイルショックで景気の不安が高まり、労働者の不満に応じて様々な国で労働組合が次第に成長し,強化され,争議行為としてストライキが急増した」。その労働者が声を挙げた成果かどうかはわからないが、その頃から経済の右肩上がりが続き、給与水準が上がっていった。
 その時代。大きな力を発揮したのは国鉄の動労(国鉄動力車労働組合)で、「鬼の動労」「昔陸軍、今動労」と言われるほどに、激しく闘い強かった。が、近年ストライキの件数が減少したため、言葉さえ知らない若者が多いのではないだろうか。不当な賃金でこき使われているにもかかわらず、沈黙している。
 ストライキ決行の報せに、街中のひとの反応は様々だったが、「買い物ができないのは迷惑」と言うひともいた。「絶対寝ないで頑張って行うストライキ」じゃないのだから、スト中は我慢してもいいじゃないの、と思った。たぶん、そのかたも同じ「弱き労働者」のはず。雇用不安を訴える労働者に声援を送ろうじゃないか。

(後記)
 ただし、「弱き労働者」を守るべき組合の力が、近年、弱まっているのは事実。存在感が全くない。「給料を上げろ!」と言いづらいデフレが長く続いていたせいもあろう。しかし今は、企業の内部留保が膨らみ続ける時代。物価も高騰している。「労組よ、むかしの動労並みにもっと声を挙げろ」と激を飛ばす時期にあるのではないか。
 そして労働組合が、「雇用者と被雇用者」「労働者の人権」の問題を追及する組織である以上、いま明らかになってきている「ジャニーズ問題」も、積極的に行動すべき事案である。
           ※
普段は穏やかなNote友の彩音幸子さんが、9月3日、「ジャニーズ問題」に関してこのような熱き記事を投稿しています。私も、この記事に賛同し首相官邸向けて意見文を送りました。その文面は、(今回は長くなるので)次回に投稿します。

意見文の主旨は、以下の通りです。
国連人権理事会「ビジネスと人権」作業部会の「声明」を早急に実行していただくことを強く求めます。
今月20日前後に国連総会での岸田首相の演説が予定されているということですが、そのなかで、国連作業部会からの要求に応じ、国家人権機関を設置し、人権擁護に関し、政府主導で具体的行動を起こすことを宣言していただきたい。

TOP画像:知育玩具JPから

(御口直し)
「ストライキ」が行われた翌日(9月2日)の新聞コラム

朝日新聞朝刊(9月2日)


東京新聞朝刊(9月2日)


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