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自分探し【エッセイ】一〇〇〇字

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 エッセイを書く行為は、遺跡発掘と似ている。
 五十年以上前。一浪受験に失敗した直後、静岡・藤枝の遺跡発掘現場にいた。ひたすら溝(トレンチ)を掘り、土を一輪車(ネコ)で運び続けた。遺物を探し求めている姿を、これまでの自分と、重ねながら。
 高二で病欠留年し、現役受験にも失敗。札幌で浪人中。現役で北大に入り、革マルに関わっていた同期の高野と、絶版扱いの『政治少年死す』の海賊版を製作。拡販をしていた。
 その頃、立正大にいる同期の榎本から連絡が入った。受験で上京する際に、寮に潜り込んで販売しないかと、声をかけてくれたのだ。
 二月初めに、教養学部がある熊谷に向かう。もちろん、部外者は寮には立入禁止だが、難なくクリア。受験期間中、榎本がいる十人の大部屋で寝泊まりすることに。帰省中の学生のベッドが使えた。問題は点呼なのだが、寮長が回る時刻には、ベッドの影か、ロッカーに隠れる。
 榎本は、考古研に所属していた。そもそも親分肌で、研究会の学生や寮生たちに、「大江の発禁本だぜ、読め」と、ほぼ強制的に買わせたこともあり、持参した三十冊は、完売。が、当然の帰結だが、全て不合格となる。
 無様な自分にも関わらず、親は二浪も許してくれた。二歳違いの弟が、東京の専門学校の進学を決めたことが幸いしたのかもしれない。急遽、予備校を決め、東京西部・小平に弟と同居する部屋を借りる。
 また榎本から誘いがあった。遺跡発掘のバイトだった。もう失敗は許されないので、迷った、が、三食付きで高い時給が、魅力だった。弟を待って、藤枝に向かった。
 重労働だった。が、その分、挫折しかけていた自分を忘れることができた。救いは、榎本や仲間たちの屈託のない明るさ。そして、酒だった。彼らの考古学の話にはついていけなかったが、出番は大江の話。深夜まで語り合い、「夜間飛行のお供をいたしましたパイロットは、わたくし、城達也でした」の、バリトンの声で眠りに着く日々。
 何回か東京に戻り、予備校などの手続きをしながら四月末まで続けた。なかなか遺物が顔を出さないので“土方”仕事で終わるのかと諦めかけていた頃、それらしい塊にたどり着いた。それからは、発掘調査らしくなっていく。スコップから草削りになり、竹ベラ、刷毛と徐々に繊細な道具に替わる。最後は、教わりながらではあるが、測量をし、図面描きをする。いっぱしの顔をして、旅を終えた。
 いまこうして、二十歳の頃を想い出して書いている行為は、「発掘」そのものだ。スコップでトレンチ(溝)を掘り、何かに当たると、繊細な道具に持ち替え、徐々に遺物の姿が現れてくるように、半世紀もの昔の忘れ形見が蘇ってくるのだ。

(おまけ)

きょうの新聞二紙のコラム。
二紙ともに、「ふるさと」の惨劇として扱っています。
さいきん短絡的に、ひとの命を奪う事件が相次いでいます。戦争の映像で脳神経が麻痺しているのかもしれません。

長野県中野市といえば、2019年10月の台風19号で、千曲川が決壊し浸水被害があったことで知りました。横浜DeNAの牧秀悟の出身地でもあるようです。

東京新聞朝刊(5月27日)「筆洗」


朝日新聞朝刊(5月27日)「天声人語」


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