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意思表示【エッセイ】

 「Black Lives Matter」。黒人差別への抗議運動が、アメリカだけでなく世界に飛び火している。昨春訪れたマンハッタンの想い出の街並みをデモするひとたちも映る。また香港では、中国による「国家安全法」の導入を阻止しようと、抗議デモが行われていた(が、施行され、さっそく大勢の逮捕者がでてしまった)。理不尽な出来事に率直に反応できる姿勢に大いに共感する。だけど、その群衆の「密」のなかに、決死の覚悟なしに加わることができるだろうか、とも思ってしまう。
 つい最近、一人の女性が「#検察庁法改正案に抗議します」とツイートしたことに端を発したSNSデモがあった。私も参加した一人だけど、街中のデモだったら、どうだっただろうか(実際、国会前に集まっていたひともいた)。報道される海外の映像を見て、「必死度」が違う、とも反省させられる。
 5年前。安全保障関連法案に反対する全国で10万人を超える抗議行動があった。70年前後に、高校や大学にいたものの多くは、デモは日常的で慣れているはずなのだけど、その当時も、同じフレーズを叫ぶシュプレヒコールには馴染めなかった。最近は、若いリーダーがヒップホップのリズムに乗せて叫ぶ、カッコイイ形に変わっているけども、それもしっくりいかなかった。
 そこで、金子兜太さんの書「アベ政治を許さない」(“桜”吹雪ならぬ)の画像を背にプリントしたTシャツを着て黙って練り歩いたのだけど、デモの行きかえりはTシャツの上に上着をはおり隠したりする。政治についてフランクに話そうといいながら、抑える自分もいることも確かなのだよね。そうこうしているうちに法案は決められて、Tシャツの街中デビューを果たせなかった。
 デビューは、メトロポリタン美術館だった。たまに見かける日本人観光客は、背中の文字を指さして笑っていたが。一緒にいたNYに住む友人は、「このTシャツ、アートよ」といって、フェルメールを鑑賞する私を後ろから撮影してくれたのだった(noteやFacebookのヘッダーで使用している写真です)。「Black Lives Matter」のTシャツなら、日本の街中でも周囲の目を気にすることなくファッションとして着られるのだろうが・・・。
 そうそう、黒人で思い出す。ヤンキースタジアムの開幕戦先発のマー君を観に行くとき、地下鉄の路線を間違った。そのとき、困っている日本人に声をかけてくれたのが、黒人の青年だった。先に降車していく彼にお礼を言うと、低音で「No problem !」。カッコよかった。

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