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『ドラえもん』における文学的想像力とその歴史化

唐突ですが、僕は『ドラえもん』で育った人間で、『ドラえもん』は僕の国語の先生でもあります。昔祖父が入院していた病院の売店で並んでいる単行本をふと手に取り、子どもながらにとてつもなく面白く、小学校~中学校にかけて一番の愛読書でした。当然『ドラえもん』とは、その単行本の発売は1974年と古く(小学館発行の雑誌は1970年)、ゆえに作中の言い回りはどこか古風で、平成生まれの子ども(=僕)には少し難しいところもありながら、そうしたセリフをまねしつつ、僕の語彙が形作られていきました。ただ『ドラえもん』で育ったと言っても、別に『ドラえもん』で倫理観を獲得したわけでもなければ、世界観を共有したわけでもありません。今回はむしろこちら、『ドラえもん』における世界観について、主に大長編シリーズを中心に記述していきたいと思います。

1970年とひみつ道具の夢

改めて紹介するまでもなく、ドラえもんは、未来から持ってきたひみつ道具によってのび太や周りの登場人物を助けていきます。「どこでもドア」「タケコプター」「タイム風呂敷」「通り抜けフープ」など、有名どころを上げるだけでも骨が折れます(ちなみに道具検索サイトはこちら)。ドアや風呂敷、フラフープなど、日常で使用する道具を軸として、基本的には生活がより楽に、豊かになるためのものとして、道具は位置づけられています。

それは、誌面連載が始まった1970年に開催された大阪万博に託された「夢」と軌を一にしていることは明らかです。例えば日本館で出展された「人間洗濯機」などは、文字通り「人間を選択してくれる機械=超楽なお風呂」として、まさにひみつ道具的な「夢」が提示されていたことを表しています。

この1970年(代)とは、68年に学生闘争が終わり、70年になるとべ平連(ベトナム戦争に反対する「ベトナムに平和を!市民連合」の略称)も市民からの代表制を失い、いわば「政治」から後退した市民が、消費社会の中にあって、自分の生活をよりよくするためにのみ力を割くようになる時代でした。これを「生活保守主義」と呼ぶことがあります。

藤子・F・不二雄(藤本弘、以下藤子F)は1933年生で、同世代には手塚治虫(1928年生)、野坂昭如(1930年生)がいて、彼らは「焼け跡世代」と呼ばれました。彼らは幼少期に食糧難を経験し、終戦時の思想的社会的な大転換に少なからず衝撃を受けた世代です。その中にあって身の振り方は様々ですが、おそらく藤子Fは、彼が室内にこもりマンガ家を目指していた時期、戦争自体を経験することなく、政治的闘争にアイデンティティを見出そうとする団塊世代とは別のやり方で、日本の将来を見出し、描いていこうとしたのだと思います。それが70年的な夢でした。

大長編シリーズに託された共生社会

70年万博が「人類の進歩と調和」を掲げたと同時に世に送られた『ドラえもん』が、ひみつ道具によって「進歩」を体現しようとしたとすれば、大長編シリーズに込められたメッセージは共生社会への志向であり、すなわち「調和」だったのだと言えます。

藤子Fは、大長編シリーズにはかならず、宇宙や異世界の生命体、過去や未来の人間を登場させ、舞台も設定時代の東京(練馬)を離れたところに置くことを徹底しています。それは鑑賞者にとって常にファンタジーでありながら、常にそれらの作品は、現実社会を意識したものとなっていることが多いということができます。

第4作『海底鬼岩城』は、アトランティスとムーという、太古の昔海に沈んだという伝説の大陸が存続していて、ドラえもんやのび太は、その両者の攻防に巻き込まれていきます。そこでは海底資源を際限なく奪い、工業化によって海を汚す人間への批判が、海底人のセリフによって展開されています。

しかしこの物語の本質は、当時まだ緊張感の抜けなかった米ソ冷戦と、それによる核戦争への危機感をモチーフとしているところです。本作が発表された前年(つまり執筆同時)、アメリカでレーガン政権が発足。その少し前の1979年にはソ連でブレジネフ政権がアフガニスタン侵攻を開始するなど、まさに当時は冷戦真っただ中でした。また、核兵器の世界総量は1986年がピークで、この作品が執筆され公開された時期とは、まさに核開発競争の最中だったことが分かります。ここにあって作中の「鬼角弾」とはまさに核兵器のことであり、また同じく作中の自動報復システム(ポセイドン)とは、実際にソ連に存在した、自動反撃装置のDEAD HANDシステムのことを指していると考えられます。ちなみにドラえもんたちはバギーに乗って南アフリカ沖を迂回して大西洋に向かっていますが、この時期その周辺では、まさにフォークランド紛争(1982年3月)が勃発していたのです。

ここにあって戦争を止めるのは機械ではなく人間だ、というヒューマニズムが本作の中心的なメッセージとなります。この作品は、さんざん悪態をついて周囲を困らせていたバギーが、しずかのために身を捨ててポセイドンに突っ込んで自爆することで戦争を回避する結末で、多くの読者はここに感動します。

このバギーは機械でありながら人間の象徴です。そして、事故が原因で窮地に陥ったエルを助けたのび太たちが、それでも「無断で国境を超えると死刑」と法律に書いてあるから死刑だ、と一点張りする裁判官と対照的に描かれています。つまり裁判官は機械のような人間であり、バギーは人間のような機械で、自動システムや機械的な意思決定で「お茶を濁す」国際社会にアイロニーを投げかけたのが、この作品でした

テーマの大きさと問題解決の作法、当事者性

このように『海底鬼岩城』以外にも、藤子Fは現代社会にメッセージを投げかけることを、大長編シリーズの基礎としていました。しかしながら、そのテーマの大きさゆえに、他方で藤子Fが単行本において仕掛けてしまった「生活保守主義」が、そこから当事者性(主体としての実行能力)を奪うことになる現象が、後の作品から現れてきます。

第10作目(映画第11作目)『アニマル惑星(プラネット)』は、誰がどう見ても環境破壊に対する警鐘の物語でした。遠い宇宙にある動物たちだけが住む星では、環境と完全に調和した暮らしを、最高度のテクノロジーが支えている様子が描かれています。そう、前近代的な環境保護ではなく、環境保護はテクノロジーが解決する問題だという、きわめて近代主義的な作品でした。現代で言うところのスーパーシティのようなハイテクエコロジカルな惑星はしかし、かつてその隣接する惑星で文明を誤った方向に発展させたがために滅亡させ、悲惨な暮らしを送る人間(ニムゲ族)から、羨望のまなざしで見られ、やがては征服の対象となります。

この作品が公開された1990年とは、その前年にベルリンの壁が崩壊し、『海底鬼岩城』が憂慮した米ソ対立がいったん解消された年です。ただ、そのことはすなわち平和を意味するものでは決してなく、特に僕たちの国・日本では、日米安全保障条約をどうするかという問いと連動していました。そして考えられるのは、『アニマル惑星』とは、実は日米同盟に対して問いを投げかける作品だったということです。

平和なアニマル惑星にニムゲが攻めてくると知った動物たちは作戦会議を開きますが、会議は一向に進まない。何か良い意見があればどしどしください、という議長に、それは賛成だ、君はどうかね、良い意見を聴きたいね、と議員が議題をたらいまわしにしている様子が描かれています。その会議に対して惑星唯一の警官は、「この星では戦争をしたことがないからね」「武器も6発の麻酔銃のみ」とドラえもんにこぼします。

結局作戦を練りに練ることで、ある程度までは善戦するのですが、ニムゲの戦力兵器の前にはやはり歯が立たず、万事休すと思われたその時、「連邦警察」と呼ばれる組織が空の彼方からやってきて、ニムゲをあっという間に倒し、逮捕することができたのです。お分かりのように、連邦警察とはすなわち、アメリカ軍のことを表しています。

これは、一言で言えば、戦争の解決にはひみつ道具は何の役にも立たなかった、ということです。実はこの作品以外にも、物語が最大のピンチを迎えるとき、そのほとんどの場合、ドラえもんたちは外部の力や偶然によって乗り切ってきました。第12作『雲の王国』でも、地上に暮らす人間には見えないところで、空中の雲の中に居住する人びとがいて、これ以上大気汚染をさせまいと地上を大雨による大洪水で滅ぼす計画(ノア計画)を、ドラえもんたちが必死に説得して止めようとする物語でした。この作品でも、はっきり言ってドラえもんたちは自分たちで解決することができず、かつて親しくしていた仲間(キー坊/植物星の大使)が発言権のある立場として雲側を説得し、計画を中止させることが決まりました。

藤子Fも認めているように、小学生に社会課題を学ばせる意図で、環境問題や戦争にまつわるテーマを多く執筆しており、それがまとまった分量で展開されてきたのが大長編シリーズでした。しかしながら、そのテーマの大きさに比して、作中で何か道筋をつけるにはあまりにも難しく、問題や課題があることだけが分かって、どうしようと悩む間に誰かが解決してくれる、かなり手厳しい言い方をすれば、多くの大長編シリーズはこのように表現されます。言い換えれば、課題が課題のままになっていて、それ以上のことは何も言っていないのです。

その極めつけが、第19作『宇宙漂流記』です(藤子F没後の作品)。この作品では、居住困難になった星から移住先を探すために派遣された「宇宙少年騎士団」のリアンがのび太と出会い、リアンの故郷の星で起こるクーデタに巻き込まれながらもそれを解決するという物語でした(コロコロコミックで1998~1999年連載)。間の細かい設定、特に「モア」の正体が何なのかは大変興味深いのですが、本稿の流れで一番重要なのは、物語の一番最後でのび太がリアンと分かれる際ののび太のセリフ「きっといい星が見つかるよ!」です。これは地球に来ることをまったく想定していない、究極の他人事です。ユーゴスラヴィア紛争が起こり、国際社会で難民問題が深刻化したまさにこの時期(コソボ紛争が1996~1999年)から現在に至るまで、国や地域を持てない人びとに対するあまりに無関心な態度を一貫して示す日本の姿そのものです

大長編シリーズは、子どもたちに社会や地球が抱える問題を知らせようとしながら、実際に示した振る舞い方によって問題そのものをなぞってしまっていたと言えます。もちろん、ではのび太はあの場面で、「国連につなぐね」とか言えばよかったのかと言えばそうではないでしょう。そもそもテーマの大きさの割に何も自分たちにできることはない、と政治をあきらめたのが1970年を生きた人びとでした。藤子Fはそれでも問題を描き続けていながら、やはりそのテーマの大きさの割に、その解決の糸口を物語の中に落とし込むことができなかったのだと言えます。ゆえにセリフの問題以前の、設定や戦略の問題だったのでしょう。

そして迎えるひみつ道具の「賞味期限」

声優陣が一新されたからの『ドラえもん』は、特に昔をよく知る世代からあまり好ましい評価を受けていません。それを俗にいう「懐古厨」と切り捨ててしまうのは簡単ですが、昔をよく知る世代が今の『ドラえもん』をあまり面白いと思えないのは、声優になじみがないからではなく、おそらく「ひみつ道具」という存在自体の賞味期限を迎えてしまったからではないかと思います。

1970年当時、人間洗濯機がある種あこがれの的だったように、ドラえもんが出すひみつ道具は、なぜそんなことができるのかと目を輝かせることができるくらい、不思議で魅力的でした。しかし、今放送されている『ドラえもん』を観れば、「あー、これあの情報を機械学習させてるな」とか、「いやドローンやん」とか、その仕組みすら簡単に想像でき、かつその割に実現できていること自体が極めて陳腐化しているのを感じます。言ってみれば、ひみつ道具はどれも、Bouncyで紹介されてそうなもの、という程度に落ち着いてしまっているのです。文学的想像力が、技術革新の加速度曲線にある時期以降、完全に追い抜かれたことが分かります

だから反対に言えば、今の子どもたちはそもそも、昔『ドラえもん』を楽しんだ人びととは同じ楽しみ方をしているのではないのだと思います。そこには新しい『ドラえもん』の可能性があり、それはつまり、従来のドラえもんが「歴史化された」ことを意味しているということです。

2019年1月、本稿のサムネイル画像にもあるように、『ドラえもん』第0巻が発売されました。これは、1970年に誌面連載を開始した『ドラえもん』について、小学館が発行する複数の雑誌で少しずつ違う第1話を、すべて集めた書籍です。これはもはや史料と呼ぶべきであって、ここに『ドラえもん』の歴史化は完了したのです

社会課題を認識するだけでなく、僕たちは今、それぞれの立場から何らかの形でコミットすることが必要となってきています。ただしそれは別に、デモに行くとか起業するとか、そんな大きなことばかりではなく、様々な次元でコミットメントの可能性が広がっています。社会へのコミットメントをあきらめた1970年の申し子『ドラえもん』は、大長編シリーズでもそれゆえ行き詰まり、課題を課題として描くだけで終わってしまいました。もちろんそうした作品や、そもそも『ドラえもん』に込められた文学的想像力が意味を持つ場合もあります。そして藤子Fは別の作品『21エモン』でそれに挑戦しています。今度はその作品について扱いたいと思います。

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