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共感と想像の入り口——2019年度安乎中学校読書ワークショップ(1/2)

僕は今年度(2019年度)洲本市教育委員会様と共同で、市内の中学生を相手にキャリア支援ワークショップを設計・実施するお仕事をさせていただいています。その中で今回は、9月と11月に1回ずつ安乎(あいが)中学校で開催した読書ワークショップについて、その内容をご報告します。

なぜキャリアワークショップで「読書」なのか

この取り組みは、洲本市教育委員会内にある実行委員会が主催となって市内の中学校向けに開催する出前講座「すもとっ子∞塾(むげんだいじゅく)」の一環で開催されているものです。「次世代を担う無限の可能性を持つ本市の子どもたちに、人生の先輩であるアスリート・芸術家・大学生等との交流や講座を通じて、夢や希望をいかに実現するかの方策を学ぶとともに、心豊かな人間性を育み、青少年の健全育成を図る。(市HP)」としてこれまで多くの講座が開催されてきました。今回はこれまでこの∞塾に多数の講座を提供してきたインカレサークル「京都大学エスノサンジョウ」の皆さんと一緒に、年度初めから講座の企画を進めてきました。

この∞塾の中で僕が、安乎中学校向けに「読書」をテーマとしてワークショップを設計した理由は大きく二つあります。ひとつめはシンプルで、中学校から読書教育を盛り込むことをご要望いただいたからです。中央教育審議会答申が「読書は、国語科で育成を目指す資質・能力をより高める重要な活動」と位置付けたことを踏まえて、平成29年に改訂・告示された中学校国語科の学習指導要領では、思考力・判断力・表現力等の技能について読書を通して高めていくこと、および平素の指導の中で主体的・対話的な深い学びを実現していくことが盛り込まれました。この中で各学校では読書の時間を設けるなど対応していますが、「思考力」や「表現力」につながるような読書教育を通常カリキュラムに加えて組み込むのは、なかなか簡単な作業ではありません。一般的な声として、本をただ読ませるだけではだめなのではないか、という問題意識をお聞かせいただく中で、ただ読むのではなく、読んだことをグループ / クラスとして深めていく動的なワークショップを設計することにしました。

もうひとつは、社会人基礎力に関する問題意識です。過去提供された講座を見たときに、少なくとも直近では「(論理的)思考力」「課題発見能力」「プレゼンテーション能力」「コミュニケーション能力」といった、いわゆる「社会人基礎力(経済産業省)」に(ゆるやかに)対応していくようなスキルを提供しようとするものが作られてきた印象を受けました(設計者本人も認めています)。もっともこれらのスキルが単発の講座やワークショップの受講で身につくわけではありませんが、そのきっかけとなるようにとの意図で設計されていたと理解しています。ここにあって僕としては、これまでの講座で取り上げられてこなかったこと、そして当の「社会人基礎力」でも微妙に想定されてこなかったことである「共感力」をテーマに取り上げる必要を感じていました。例えば3能力のひとつ「チームで働く力」のサブカテゴリにある「傾聴力」と「柔軟性」と、「共感力」とは少しずつ違います。共感力とは「相手と深く思いを同じくする力」のことで、ビジネスやプロジェクトが課題オリエンテッドになってきている今の社会でチームを組織するうえで重要なスキルです。柔軟性は、相手の立場を理解して方針を決定する力ですが、極端な話、共感していなくとも相手への理解は可能です。なのでこれは別のスキルといえます。さらに傾聴は文字通りしっかりと聴くということであり、相手の言葉を自分勝手に受け取らない態度のことです。もちろん共感と重なる部分もありますが、こちらもまた別のスキルです。

このように、なぜすでに挙がっている諸スキルと少し違うところにある「共感力」がこの社会人基礎力の中にリストアップされていないかの本当の理由は分かりませんが、おそらくこの社会人基礎力がおよそ個人主義的なものだからだと思います。3能力のうち残りの「前に踏み出す力」「考え抜く力」はまさに、主体的な個がどのように行動するか、思考するかという問題です。さらにはさきほど挙げた「チームで働く力」にしても、チームの中にいる自立 / 自律した個がどのように振る舞うか、他者を理解するかが高く評価されています。ここにあって「相手と思いを同じくする」「自己を変容する」などはあまり重要ではないもの、もしくは3つの能力・12の能力要素という風に体系立てるにあたって邪魔なものとして処理されたのではないかと思います。ですがさきほども述べたように、共感力は、ビジネスやプロジェクトが課題オリエンテッドになってきている今の社会でチームを組織するうえで重要なスキルです。また一般論として、チーム内に異なる境遇や価値観を持つ他者がいたときに、ただしっかりと聴くだけでその他者と信頼関係を築くことができるでしょうか。もちろん多くの場合、聴くことで共感は始まります。重要なのは、自己を相手に寄せることができるか、自己を変容させることができるかということで、それは、相手を理解する / できるとは違う次元の問題です。(もちろん僕たちは、かりに共感力が高い時にあってもすべての物事に共感するわけではありません。また人によってどの物事に共感するかも違います。)こうした問題関心から、今回のワークショップでは読書を通じて「共感力」を獲得するきっかけを提示しようと試みました。

もっとも、この「社会人基礎力」そのものが、若者たちの身に着けるべきスキル(能力)として適切な指標かということ自体にも議論の余地があります。またこうした能力を求めること自体が現代的な病理だという指摘は既に教育学・社会学から提出されていることです。ゆえに何の前提もなくただこの指標にのっとってワークショップを設計するのは危険でしょう。なのでここではこの指標自体の評価は留保し(ただ、おおざっぱな目安としてはそこそこ使い勝手の良いものではあります)、ただ過去の経緯を受け、指標から微妙に抜け落ちている「共感力」についてアプローチしようとするものです。

読書ワークショップ「実は・・・だったのです!」

今回のワークショップでは、9月は宮沢賢治「どんぐりと山猫」を、11月は宮沢賢治「月夜のけだもの」を取り上げました。これは京都市・京北地域で僕が主宰しているブックカフェ京北で宮沢賢治を長らく取り上げていたことによります。そしてワークショップは以下の3つのステップで進めました。

①作品や宮沢賢治自身に関するクイズ
国語科のカリキュラムでは文学史にあたる部分です。生没年を始め賢治にまつわる話、作品の執筆の経緯などを簡単にクイズとしてまとめました。なおこのクイズによってチームごとにカードを引きますが、それはまだここでは開けません。

②作品の内容を振り返る
各チームについたファシリテーターを中心に、作品の内容を振り返ります。作品は事前に宿題として生徒には読んできてもらいました。登場人物、場面、時代など、おもに5W1Hで確認できる内容を丁寧に振り返ります。併せて、ストーリー展開もチームで確認します。ここでは「何が起こったから、次はどうなった」などと論理だてた筋道の振り返りを、可能な限りで行います。それが終われば、面白かったところ、不思議に思ったところを、チーム内で共有します。

③「実は・・・だったのです」ワーク
冒頭のクイズで引いたカードをチームごとに確認します。カードには、僕が作成した「架空の物語の裏設定」がひとつずつ書かれてあります。たとえば「どんぐりと山猫」の回では《実はこの作品は今から二百年後の日本が舞台》などといったカードが、「月夜のけだもの」の回では《実は動物たちは大昔に滅びた文明の生き残り》などといったカードがあります。生徒たちにはそのカードを基に、最後の発表で「実はこの作品で描かれている○○は・・・だったのです!」と発表してもらい、他のチームに「なるほど、たしかにそうかもしれない!」と思わせるように、作品の再解釈していってもらいます。各チームにはワークシートが配られ、「なぜなら、・・・というところが・・・だと思うからです」と、作品をもう一度読み、いわば証拠を探していってもらい、説得できる理由を作ってもらいます。そして最後には、「なのできっと物語の続きでは・・・かもしれません」と、その引いたカードの設定通りであれば続きはこんなシーンが待っているだろう、と想像して設定してもらいます。以上がワークショップの全容です。

すべては読んでもらうため

このワークショップに一貫しているのは、どうすればひとつの作品に対して、いろんな読み方をしてもらえるかということです。そしてもちろんその先に「共感」というテーマがあります。

まず、宿題としてひとりで読むときには、何も意識しない「流し読み」になるのが通常です。もちろん読書好きな生徒であればしっかりと読みこんで来てくれると思いますが、さすが読書離れといわれるこの時代、まず苦労して読み切ってきた生徒が大半で、そのように何度も読んできた生徒はほとんどいませんでした。ただ、実は安乎中学校でのワークショップは3回目なのですが(初回は全然違うことをしました)、直近の回では先生方が指導してくださったおかげで、気になったところや分からないところをメモしながら読了して来てくれました。いずれにしてもこのときの彼らの読書は、各々ひとりの経験です。

それがワークショップ当日となると、みんなでストーリーを確認するので、その場で今度は、頭の中で順序だてながら文章を追いかけ直すことになります。また、感想を共有する際、自分では気にならなかったところを取り上げる生徒がいたときに、改めてその部分に目が行きます。ひとの手が加わることで客観的に作品の内容が整理されるとともに、そのプロセスでそれぞれの生徒は、宿題の時とは違う作品の読み方を経験します。

さらに「実は」ワークでは、ある意味で生徒たちが物語を作るように作品を読みます。提示された架空の裏設定が、さも本当の設定であるかのように作品中のシーンやセリフをこじつけていくのですが、ここで起こっていることは作品の曲解ではなく、むしろ、自分が「証拠」として取り上げようとしている個所をどう解釈しているかの確認なのです。あるシーンは、Aともとれるし、Bともとれる。その揺らぎを自覚するからこそ、そのシーンを「証拠」として使おうとすることができます。もちろん「言葉狩り」のようになることもありますが、ワークシートでは、できるだけ「なぜ」を掘り下げるようになっており、また複数の「証拠」をあげなければならなくなっています。つまり、ただ近そうな言葉が出ているからといってそれを並べるだけでは、ワークシートは簡単には埋まりません。

さて、実際にワークショップをした結果ですが、生徒さんたちの作品の再解釈のクリエイティブさには本当に驚きました。設計した僕自身が、ああたしかにこの作品はそういうことが書かれていたのかもしれないな、と思えるほどでした。それほどまでに話の整合性を取れるというのは、生徒にクリエイティビティがあるからで、ある意味で新しい物語を作っているとすらいえると思います。

ひとは自分が気づかないところに面白さを見つける

読書会や今回のような読書ワークショップとは、複数人でひとつの作品を読む行為です。僕たちは読書を個人的な活動だと思いがちですが、ものを読むにあたって補助となる物事は、読者ひとりでは獲得できません。それは例えば、過去の経験、読むときの空間・環境、そして事前の知識やその時点での読者の感性そのものまでもです。つまり僕たちは、例えひとりで読書をしているときであっても、決してひとりで本を読んではいないのです。

この「読書行為の逆説的な構造」を最大限に生かそうというのが、僕の読書ワークショップを設計するときの考え方です。一緒に感想を共有すれば、誰かは絶対に自分が面白いと思わなかったところを、面白いといいます。そこはひとりだとずっと読み飛ばしたままだったかもしれません。また、分からないところを共有するときに、誰かがあげたことについて、自分も実はよく分かっていなかったと気づくことがあります。さらに、自分では普通だと思っている感想でも、ひとからすれば新鮮で面白いものであることがあります。自分の良さ / 面白さを発見してくれるのは、往々にして自分以外のひとなのです。

自分で黙読するとき、声に出して読むとき、ひとが読み上げているのを聴きながら目で追うとき、一度感想を共有した後で読むとき、それぞれで僕たちが気づく個所が異なり得ます。また、場所や環境、そのときの自分のコンディションによってもそうです。そしてそうした変化は誰であっても起こり得ます。なので、ある感想が現れたとき、もしくはある感想が述べられたとき、その理由を訊ねることで僕たちは自分や相手を知ることができます。このワークショップでは、そのために「理由」を重視しています。

このように自分の気づかないところをひとが気づき、またその背景に自分やひとのそのひとらしさがあると知る仕組みを通じて、その違いを「面白い」「共感できる」と思えるきっかけを作る。このようにして「共感の入り口」を作ることを、このワークショップでは目指していました。

賢治にどう申し開きをするのか

とはいえ、あえて嘘の設定で作品を再構成させるワークショップについては、文学作品の読ませ方としていかがなものかという批判もあろうかと思います。まず断っておきたいこととして、「これは僕が作った嘘です」と最初に生徒さんたちには伝えてありました。なのでこのワークショップは、嘘と分かっているからできることです。よって後半は、読書から派生した創作ワークショップといったほうが正しいと思います。そして、想像力によって新たな作品を創作する意味で、このワークショップは「想像の入り口」でもあります。いずれにしても、作品に対してこのようにいろんな角度から読み込んでみることで、作品や本を読むということへの距離を少しでも縮めてもらうことが目的です。事後アンケートでは、ひとによる気づきの違いや、作品自体への興味が深まったことなどが書かれてあり、僕としても楽しい経験となることができました。


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このワークショップは洲本市教育委員会様の委託を受けて常盤が設計したものです。ワークショップの実施やご相談がおありの方・学校関係者様・行政関係者様はお気軽にご連絡ください。
masanoritokiwa0127@gmail.com

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