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武蔵小杉と言う街の不運【2】

住みたい街ランキングで上位に入る様になり、ベッドタウンとして注目を浴びる様になった武蔵小杉。
その魅力度は再開発されたきれいな街、生活に欠かせない商業施設とあるでしょうが、様々な人が集まれる、様々な場所へアクセスできる移動手段の選択しが豊富である事が最大な理由でしょう。

偶然の産物、武蔵小杉駅

武蔵小杉駅には鉄道路線5路線、JR南武線。JR横須賀線、JR湘南新宿ライン、東急東横線、東急目黒線が乗り入れ、東京、品川、渋谷、新宿、池袋等の東京都内主要駅に乗り換えなしでアクセスが可能です。
これらどの駅、街にも30分以内で行けると言うのはとても魅力的です。
他の東京近郊を見てもこんなに都心に近いながらこれほど交通網が集中している場所と言うのは意外とありません。
そんな稀有な土地となった武蔵小杉がどのように交通の要衝として利便性の高い駅になっていったのか見ていきます。

まずは武蔵小杉駅(厳密には駅ではなく停留場ですが便宜上駅と呼びます)が誕生した1927年(昭和2年)まで遡ります。

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今昔マップon the webより

上の地図には南武線(当時は南武鉄道)の武蔵小杉駅はありますが、東横線(当時は東京横浜電鉄)にはなく新丸子駅のみ、横須賀線(当時は貨物専用線)の線路もありますが駅はありません。
武蔵小杉駅は長い年月をかけて現在の位置まで移動します。
どのように現在の位置まで移動してきたのかは以下の記事にて詳しく書かれています。

まとめると、
元々はすでに発展していた街道近くに南武線の武蔵小杉駅は作られた
・東横線も発展していた街道に近い所に駅を作り、宅地開発を行った
・南武線は新丸子を通すつもりが住民の反対によってルートを変えた
・川崎の工業発展に伴って新丸子と元住吉の間に新しく駅を作った。ただしこれも街道沿い。
・利便性を図るため、東横線と南武線の交点に駅を作り現在の武蔵小杉駅が誕生
・アクセスが向上した事で街道沿いから駅周辺に発展が移る

現在の武蔵小杉のある場所は古くから場所ではなく、後に開発するためにあらかじめ駅作ったという経緯もなく、たまたま南武線・東横線が交わった場所に出来た駅でした。
駅が正式に出来たのが戦後になってからなので、結構新しい街という事になります。

偶然の産物、横須賀線

長い間(60年以上)、武蔵小杉駅から都心方面へのアクセスは東急のみでしたが2010年に横須賀線の武蔵小杉駅が開業し、都心へのアクセスにJRが加わり東京や新宿へ乗り換えなしで行けるようになり、さらに武蔵小杉の価値を高めました。
先ほどの今昔マップでは線路はすでにあるものの、昭和初期当時は貨物列車専用の線路として建設されました。
なので当然、武蔵小杉駅を作るためにここ線路を通したわけではありません。
では、なぜこんな所を通りしかも90度近い角度でカーブしているのか?

貨物線は品川を出て東海道線と別れた後、しばらく同じ方向を走り途中から急激に進路を変え、さも武蔵小杉の方に向かっているように見えます。
そして多摩川を渡った直後で急カーブして南へ向かいます。
カーブした先にはかつて新鶴見操車場という貨物施設がありました。
新鶴見操車場は面積は80haほど、直線距離では約5.5kmあり東洋一と謳われたほどの規模を持つ施設です。
それほど広大な操車場を建設するには広い土地が必要ですが、武蔵小杉よりも西側に行くと丘陵地帯に入るため、東京郊外で丘陵地帯の手前にある平野が選ばれ、川崎市幸区の大部分に渡って横たわる様に操車場は作られました。
作られたのは昭和4年(1929年)、高速道路も航空輸送もない時代。物流は鉄道が主流の時代の一大物流拠点でした。

この広大な操車場に貨物線を接続させるため線路は東海道線から遠ざかり大回りしているので、なんで武蔵小杉の近くで急カーブしているのかと言うと、つまりこれもたまたまという事になります。
もし操車場の規模がもう少し小さければ、もっと南側でカーブしていたかもしれません。

偶然の産物、2つの近い駅

貨物専用線だったこの線路は、新鶴見操車場の廃止や東海道線のバイパスの役割を担わせるために昭和55年(1980年)から横須賀線が走る様になります。そして貨物専用線から旅客線に転換したという事で、新しく駅が作られました。

その名は新川崎駅、自分にとっての地元駅です。

東海道線が品川駅と横浜駅の間に川崎駅があるので、同様に横須賀線にも川崎駅と同等の役割を持たすため新しく川崎市内に駅を作ったわけです。

同等の役割と言っても、「ただ川崎市内に駅がある」と言うだけで何の関係もありません。
なので、駅が作られた当初からこのような案内看板があります。

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どうも、川崎駅に行きたい人が似たような名前だからと適当に乗ってここまでやって来て「全然違うじゃん!」と言う人がすでに開業から40年以上経っているのに後を絶たないようです。
日本全国にある「新〇〇駅」シリーズでどれだけ元の駅と無関係な場所にあるかではかなり上位に来る自負があります。

以前は、品川か横浜まで行かないと行けませんでしたが、武蔵小杉で乗り換えが出来るようになったおかげで随分と時間のロスが減りました。
(乗り換えの面倒さを気にしないなら)

ただ、実はこの新川崎駅、近くに南武線の鹿島田駅があり運賃を気にしないのであれば駅を出て歩いて乗り換えてしまえば、武蔵小杉まで行くよりも本当は早いのです。

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駅にもこのような看板があり、運賃上の都合は付かないけど近いから歩いて行ける事は案内されています。
(40年以上変わらず掲出されたままの案内板も中々味がありますね…)

案内板には600mと書いてありますが実際測ってみると400mくらいなので、実は横須賀線の武蔵小杉駅が出来るはるか昔からこの新川崎駅と鹿島田駅を乗換駅として設定するような要望がありました。

とはいえ、普通に公道を歩いての行き来するのは乗換駅として設定するには国鉄時代からJRへ変わっても難色を示し続け、駅同士を直接つなぐにしても離れすぎているし地元商店街も人が通らなくなると反対をしていました。

そんな事が要望として長年在り続けながらくすぶり続けていたところ、2005年になって青天の霹靂の様な話が降ってきました。

それが横須賀線の武蔵小杉駅設置でした。

長年要望のあった新川崎~鹿島田の接続はすっぱり諦められ、急カーブのしかも別に大して近くもない(新川崎~鹿島田と距離はそんなに変わらない)場所に新しく駅を作る。

「別々の駅同士を繋げるより、他社線乗り換えもできる武蔵小杉に駅を作ったらいいじゃん!」

誰かが気付いてしまったんでしょうね。
武蔵小杉の街が再開発の真っただ中にあったのもJRの重い腰を上げさせるきっかけになったのかもしれません。

もし現在の横須賀線の線路が貨物専用線のままだったら、いくら近くに線路があったとしてもあの場所に駅を作る話も上がってこなかったでしょう。
武蔵小杉の近くを貨物線が通り、その貨物線が旅客線に変わったと言うのはたまたまでした。

ちなみに、後年新川崎駅と鹿島田駅の間は再開発によってペデストリアンデッキで結ばれ、現在では地上に降りずに行き気が出来るようになりました。

偶然の産物、座って通える始発駅

住む街を選ぶ時、何を基準にするかは人によって違うと思いますが通勤の事を考えるならば、始発駅と言うのはとても魅力を感じるものです。

横須賀線の武蔵小杉駅が出来るより遡ること10年、90年代から改良工事を行っていた東急の武蔵小杉駅が2000年に本格稼働を始めました。
改良工事は東横線の輸送力を増強するため、線路を増やし複々線化するための物で、当時、目黒駅から蒲田駅まで結んでいた目蒲線を多摩川駅で分離し、目黒駅から日吉駅までルート変更して新しく目黒線として設定し、東横線に集中する乗客を分散し混雑緩和を狙った計画でした。

しかし、武蔵小杉駅と日吉駅の間にある元住吉駅が幾度にも渡るの計画変更により改良工事が遅れ、目黒駅と武蔵小杉駅の間を先行して目黒線として開業する事となり武蔵小杉駅は始発駅としての価値を獲得しました。

この恩恵を自分は存分に受けます。
2002年に就職し、就職先が地下鉄南北線が通る溜池山王だったので自宅から自転車で武蔵小杉駅まで通い、乗り換えなしで座って行ける楽々通勤生活を享受していました。
ただし、就職先が2か月で溜池山王から五反田に移転してしまったので束の間の出来事でしたが…。

と言うように、座って通勤できる始発駅の価値は絶大です。
目黒線が日吉駅まで全線開通したのは2008年、その間に武蔵小杉の再開発は始まり、8年の間に「始発駅・武蔵小杉」としての地位は確固として築かれていったのですが、前述の様に元々は計画遅れから来る暫定的な措置で、始発駅となれたのはたまたまでした。

と言うわけで、
たまたま今の場所に駅が出来、
たまたま近くを通る貨物線が旅客線になり
たまたま昔からあった要望を武蔵小杉で実現する事になり
たまたま工事の遅れから10年近く始発駅となった

と言う特に誰かが狙って作り上げたわけでもない交通の要衝・武蔵小杉が出来上がったのでした。

(つづく)



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