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ふりかえり

この記事はAEC and Related Tech Advent Calendar 2021、10日目の記事です。

今年も色々とフォトグラメトリしました。
明治期建設の木造駅舎、JR東北本線 新田駅駅舎


日本初の常設サーキット、多摩川スピードウェイ観客席の遺構

国産初の交流電気機関車、国鉄ED91形


それぞれ立派な肩書を持っていますが、特に文化財などに指定されているものでもないので建て替えや解体によって姿を消した、消そうとしているものたちです。

最近、「どうやってそう言う物(解体間近なもの)を見つけるんですか?」と聞かれることがあるんですが、思い返してみるとどうしてるんだろうなと。(去年も新潟駅の事を書いたし)

と言うわけで、振り返るのは今年ではなく35年くらい前の事です。

斜めのプラットホーム

なんで35年も遡るのかと言うと、自分がそう言う物を気にしするようになった「これだろう」という物を初めて認識したのが小学生の頃に見た、ヘッダーにも使った写真のこれだろうなと。

ここは東京都足立区にある東武スカイツリーラインの五反野駅。
五反田駅とよく間違われ、東京拘置所最寄り駅の小菅と北野武氏の出身地に近い梅島の間にある駅です。

ここは祖父母が住んでいた家の最寄り駅で幼少期によく通っていたのですが、そこでこの写真のものが目に入っていました。

これ

なんでしょうね、これ。
プラットホームの形の様に見えますが、線路に対して平行ではなく少し斜めになっています。
これじゃ電車が止まっても乗り降りできません。
祖父に質問した際にも、まぁ昔のプラットホームだよと言うような事を言われたと思います。

実際調べてみると確かにかつて使われていたプラットホームである事には違いはなさそうだけど、階段が途中で切れてたり、屋根が付いてないのは後で取り外したのはわかるにしても、斜めなのはおかしいじゃん?
言うなればトマソンです。

こう言ったふとしたところにある街中の「違和感」に子供の頃から敏感でした。

探ってみる

せっかくなのでもう少しこのプラットホームについて探ってみます。
駅を出て線路脇の路地に入るとこのように見えます。

件のプラットホームがせり出しているのが分かります。
ただ、道が狭く下から覗くことが出来るだけで全体像を見ることが来ません。

そんな時のためのフォトグラメトリ

一視点から二次元的にしか見ることが出来ない写真と違い、自由視点でどこからでも見ることが出来るのがフォトグラメトリを含む三次元キャプチャの利点ですね。
というわけで、視点を変えて真横から見てみましょう。

するとプラットホームだけでなく、高架橋全体が左側(小菅方)に傾いているのが分かると思います。
さらに、ホームから先の小菅方にある擁壁を見ると不自然に斜めに梁が走っています。

これはどういう事かと言うと、このプラットホームを使っていた時代は小菅に向かって下り坂になっていたのではないかと言う事です。

ちなみに、五反野駅が高架になったのは1968年(昭和43年)、複々線になったのは1974年(昭和49年)で、最初は複線で高架化され6年間だけあのプラットホームは使われていたことになります。
そして、複々線化された事で高架橋と駅の構造が変わり、使用されなくなったプラットホームが斜めになって残ったと…。

※余談:元々下り坂だったのが複々線になったことでまぜ高さが変わったのかと言うのは、小菅と北千住の間を流れる荒川の堤防が改修でかさ上げされたため、それに合わせて高架橋の高さが変わった、と推測されます。

まとめ

と言うわけで、これらの「違和感」は街の「痕跡」であり駅に限らず街中にある建物や道、都市や区画の「痕跡」を見たり見つけたりするのが好きだったので、ただ古いもの無くなりそうなものを探し回っているわけではなく、おのずとそう言った「痕跡」に目が向くようになったのが、今に繋がっているんだろうなと。

恐らくそれは、自分が「何をフォトグラメトるのか」と言うテーマに対して「時空(時間と空間)」と言って外形を三次元キャプチャするだけでなくそこからコンテクストを見出そうとしている、コンテクストそのものをスキャンしようとしていると言うのも、そう言う痕跡探しをしているが故なのかもしれないと思った2021年でした。

(建築情報学会Meetup vol.003 LTより)



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